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第2球 転生者の絶望と、一握りの希望

バタン、と乱暴に扉を閉める。

王家の使者の気配が遠ざかっていくのを感じながら、俺は壁に背中を預け、ずるずると床に座り込んだ。


(俺の野球は、通用しない……)


それは、強がりでも謙遜でもない。

この世界に来てから、俺が骨の髄まで味わった、紛れもない事実だった。


俺には前世の記憶がある。

『日本』という国で生まれ、白球を追いかけることに青春の全てを捧げた、どこにでもいる高校球児だった。甲子園を目指し、最後の夏に破れ、そして、呆気ない事故で死んだ。


次に目覚めた時、俺は剣と魔法が実在するこのファンタジー世界に、同じ『ソラ』という名前で転生していた。

最初は絶望した。だが、この世界にも『野球』――聖球戯が存在することを知った時、俺は歓喜したんだ。


「――俺の野球知識があれば、この世界でなら無双できる!」


そう本気で信じていた。

サインプレー、守備シフト、カット打法、ID野球。俺が知る日本の先進的な戦術理論を、この世界の連中に叩き込んでやれば、最強のチームが作れるはずだ、と。

地元のチームの門を叩いた俺は、意気揚々とその知識を披露した。


だが、現実は非情だった。


「サイン? そんな小難しいことより、来た球をぶっ飛ばせばいいんだろ?」

ドワーフの4番打者は、俺のノートを鼻で笑い、軽々と規格外のホームランを放った。俺が計算した守備シフトなど、意味はなかった。


「なぜ変化球に惑わされる必要がある? ボールの縫い目の回転まで、私の目にははっきりと見えるが」

エルフの3番打者は、俺の配球理論を「非効率だ」と一蹴し、どんな変化球をも見切って打ち返した。


俺の知識は、この世界の『理不尽』な身体能力の前では、ただの机上の空論だった。

それでも、たった一人だけ、俺の理論を信じてくれた奴がいた。

同じ人間族で、平凡な能力しか持たない、投手の親友だった。


「ソラの言う通りだ! これからは、パワーだけの野球じゃ勝てない! 俺は、お前の理論に賭ける!」


俺は嬉しかった。唯一の理解者を得て、俺は彼に日本の合理的な投球フォーム、ウェイトトレーニング、食事管理、その全てを叩き込んだ。彼の球は、確かに行く度を増していった。

――だが、俺はまた、この世界の『理不尽』を見落としていた。


試合中、親友の肩から、鈍い音が響いた。

「バキン」と。

人間族の身体の構造は、俺の知る『日本人』とは、微妙に違っていたのだ。俺の知識を無理やり当てはめた結果、彼の肩は、その負荷に耐えきれずに、壊れた。

二度と、ボールを握れないほどに。


『お前のせいだ!』

『机上の空論で、あいつの未来を壊したんだ!』


仲間たちの罵声が、今も耳にこびりついている。

そうだ。俺は野球を知っているつもりで、この世界の何も見ていなかった。

だから、俺は野球を捨てた。

この世界で野球に関わる資格なんて、俺にはないんだ。


                 ◇


重い気分を振り払うように、俺は街を彷徨っていた。

やがて、子供たちの騒がしい声が聞こえてくる広場にたどり着く。

そこで行われていたのは、野球とは名ばかりの、無秩序なボール遊びだった。


「らぁっ!」

体格のいいミノタウロス族の子が投げた剛速球が、バッターボックスに立つ小さなホビット族の子の頭をかすめる。ホビットの子は怖がって腰が引け、まともにバットが振れない。

「おっせーな、ホビット!」

「そんなんじゃ、ボールに当たるかよ!」

周りの子供たちが、無邪気に、しかし残酷に囃し立てる。


(やめろ……)


俺は思わず拳を握りしめる。


(それは、野球じゃない……!)


いじめられて、泣きそうになっているホビットの子を見て、俺の足は勝手に動いていた。


「おい、チビ」

俺はホビットの子の隣にしゃがみこむ。

「そうじゃない。そんな大振りをしたら、当たるもんも当たらない」

「だ、だって……」

「いいか、よく聞け。バットを少し短く持ってみろ。そして、力むな。バットの重さを利用して、ボールの“下”を、軽く叩くんだ」

「ぼ、ボールの下……?」


ホビットの子は、半信半疑で俺の言う通りに構え直す。

そして、ミノタウロスの子が投げた次の球。

ホビットの子は、教わった通りにバットを振り抜いた。


カキンッ!


これまで聞いたことのない、甲高い快音が広場に響いた。

白球は、綺麗な放物線を描いて、初めて外野の芝生まで飛んでいった。


「……え?」

打ったホビットの子が、自分のバットと飛んでいくボールを、信じられないという顔で交互に見ている。

「す、すげえ! 飛んだ!」

やがて、その顔が満面の笑みに変わった。

その純粋な喜びに、周りで見ていた他の子供たちが、目を輝かせて俺の周りに集まってくる。


「おい、人間のおっちゃん! 俺にも教えろ!」

「私にも!」


                 ◇


それからどれくらいの時間が経っただろうか。

俺は夢中で、子供たちに野球の基本を教えていた。

守備の連携、声の掛け合い、チームプレーの重要性。


「いいか、野球は一人じゃできない! 隣の仲間を信じろ!」


そして、その瞬間は訪れた。

ノックで放った打球を、獣人の子が飛びついて捕球し、すかさずドワーフの子が待つファーストへ送球する。


「「アウトーッ!」」


初めての連携プレーでのアウト。

種族も体格も違う子供たちが、一緒になってハイタッチをし、飛び上がって喜んでいる。

その光景に、俺の心臓が、鷲掴みにされたように強く締め付けられた。


(そうだ……俺が伝えたかったのは、これだ)

(勝つための小難しい理論じゃない。種族も、力の差も関係なく、みんなで楽しめる、この“面白さ”だ……!)


雷に打たれたような衝撃が、全身を貫く。


(間違っていたのは、知識じゃない。この世界の理不尽さに絶望し、その使い方を諦めてしまった、俺自身だ……!)


俺は、喜びの声を上げる子供たちに背を向け、走り出していた。

涙で視界が滲む。

向かう先は一つ。アークランドの王城だ。


俺は、部屋から持ち出してきた、埃をかぶった野球道具を強く、強く握りしめる。

城の門を守る衛兵に、俺は息を切らしながら、ありったけの声で叫んだ。


「――王女殿下に伝えてくれ! アークランド代表チームの監督に、俺をしてください、と!」


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