表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/66

第12球 守り抜け、一点差

3回まで、パーフェクト。

アークスのスコアボードには、無情な『0』の数字が9つ、整然と並んでいた。

ベンチに戻ってくる選手たちの顔は、回を追うごとに色を失っていく。それは、ゴルダ戦で感じたような、パワーでねじ伏せられる悔しさとは全く違う、もっと静かで、冷たい絶望感だった。


「くそっ! なんなんだよ、あのピッチャーは!」

カイが、珍しく苛立ちを隠さずに、ヘルメットを地面に叩きつけた。

「こっちが何を狙っても、全部お見通しって感じだニャ……。まるで、心が読めてるみたいで、気色悪い!」

「ああ……」

ゼノも、いつもは余裕のあるその表情を歪めている。

「あれは、もはや心理戦ですらない。我々の思考の、さらに一つ上から、盤面を支配されているような感覚だ」


攻撃が完全に沈黙する中、俺たちの足取りは、守備につくだけで鉛のように重かった。

そして、その重圧は、確実にプレーにも影響を及ぼし始める。


4回裏、シルヴァニアの攻撃。

先頭打者が、初球、絶妙なセーフティバントを三塁線に転がした。

「グラン!」

俺が叫ぶ。マウンドのグランも必死にダッシュするが、その巨体では、俊足のエルフ打者に追いつけない。内野安打。

初めて、ランナーを出してしまった。


続く打者の場面。俺は、送りバントを警戒して、内野陣に前進守備を指示する。

だが、相手はバントではなく、ヒットエンドランを仕掛けてきた。

打球は、平凡なセカンドゴロ。併殺ダブルプレーでチェンジだ。誰もがそう思った瞬間だった。


「しまっ……!」


セカンドのリコが、焦った。

スタートを切っていた一塁ランナーの、風のようなスピードが、彼の判断をコンマ数秒、狂わせたのだ。

併殺を狙おうと急いだリコの一塁への送球が、僅かに、本当に僅かに、高く逸れた。

その小さなミスが、全てを狂わせる。

一塁手のバルガスが、必死にジャンプして捕球する間に、打者走者はセーフ。さらに、一塁ランナーはその隙を突いて、三塁まで進んでいた。


記録上は、ヒットとフィルダースチョイス。

だが、内容は、俺たちの完敗だった。

ノーアウト・ランナー一、三塁。最悪のピンチ。


続く打者の打球は、浅いレフトフライ。

通常なら、三塁ランナーはタッチアップできない。

左翼手のフィンも、捕球体勢に入りながら「バックホーム!」と叫ぶ。

だが、三塁ランナーは、ためらわずにスタートを切った。


「なっ!?」

フィンの肩は、特別な能力のない人間族としては標準的だが、エルフの俊足相手では、あまりにも非力だった。

俺は必死にカットプレーを指示するが、ショートのカイからの返球は、タッチするには、ほんの僅かに遅かった。


「セーフ!」


たった一つのアウトも取れないまま、俺たちは、いとも簡単に1点を先制されてしまった。

それは、まるで熟練の狩人が、獲物をじわじわと追い詰めていくかのような、冷徹で、完璧な攻めだった。


                 ◇


ベンチに戻ると、そこには、これまでで最も暗い空気が漂っていた。

ミスをしたリコは、俯いて自分の膝を殴っている。フィンも、自分の肩の弱さを責めるように、唇を噛みしめている。


(ダメだ……このままじゃ、ジリ貧だ……!)


俺は、自分の無力さを痛感していた。

俺の知る『セオリー』が、このエルフたちの規格外のスピードと、ルシオンの『予知』能力の前では、全て後手に回っている。


(俺の頭で考えている限り、あいつらの野球は超えられない……!)

(何かを、根本から変えなければ……!)

(だが、俺から、この転生知識を取ったら、一体、何が残るんだ……!?)


俺は、監督として、転生者として、最大の岐路に立たされていた。

自分の存在意義そのものを、捨てる覚悟があるのか、と。


「……タイム」


俺は、かすれた声で審判に告げると、マウンドへと歩き出し、内野陣を集めた。

選手たちは、また俺が小難しい指示を出すのかと、うんざりした顔で俺を見ている。

俺は、そんな彼らの顔を一人ひとり見つめ、そして、大きな賭けに出ることを決意した。


「いいか、お前ら」

俺は、静かに、だがはっきりと告げた。

「――もう、俺のサインは見るな」

「……は?」

「え?」


選手たちが、呆気にとられた顔で俺を見る。

「データも、セオリーも、俺の知識も、全部捨てろ!」

「な、何を言ってるんだ、キャプテン!?」

フィンが、慌てて俺に問いかける。

「じゃあ、俺たちは、どうやって守ればいいんだよ!」


俺は、ニヤリと笑って見せた。

「決まってるだろ。――お前たちの『本能』でだ」


俺は、猫族の遊撃手、カイを指差した。

「カイ!」

「……にゃあ?」

「お前は、打者がバットを振る、その瞬間に、お前の獣としての『勘』で、一番ボールが来そうだと思った場所に動け。理由も、根拠もいらない。俺は、お前の本能を信じる」


次に、ホビットの二塁手、リコを見る。

「リコ!」

「は、はい!」

「お前は、風の匂いを読め。打球がどっちに流れるか、お前のその優れた鼻が、一番よく知っているはずだ」


そして、俺は外野に向かって叫んだ。

「シルフィ!」

センターを守る、風の精霊シルフのシルフィが、こくりと頷く。

「お前もだ! 風と話せ! 落下地点は、ボールがバットに当たる前に、風がお前に教えてくれるはずだ!」


それは、俺が、自分の唯一の武器であるはずの『転生知識』を、完全に放棄した瞬間だった。

俺はもう、監督じゃない。

この世界の住人たちの、計り知れない『理不尽』な超感覚に、全てを委ねる、ただの観客だ。


                 ◇


守備が再開される。

相手打者が、バットを構える。

マウンドのグランが、腕を振る。

そして、打者がバットを振り抜いた、その瞬間だった。


「にゃあっ!」


ショートのカイが、獣のような叫び声を上げ、セオリーではありえない、三遊間の深い位置へと、弾丸のようにダッシュした。

直後。

キィン! という甲高い金属音と共に、痛烈なライナーが、まさにカイが走ったその場所へと、一直線に飛んでいった。


「うおおっ!?」


カイは、地面スレスレで、その打球に飛びつく。

ボールは、彼のグラブの先に、吸い込まれるように収まった。

スーパーファインプレー。


「アウト!」


スタジアムが、信じられないというどよめきに包まれる。

カイ本人が、一番驚いていた。

「にゃ、にゃんで分かったか、分かんないニャ……。でも、なんか、あそこにボールが来るって、血が騒いだんだニャ……」


それは、もはや野球のセオリーでは説明できない、超感覚の世界だった。

続く打者の痛烈なセンターへのフライも、シルフィが打った瞬間に走り出し、落下地点で、まるで最初からそこにいたかのように、悠々と捕球した。


アークスの守備は、俺の知識から解放されたことで、全く新しい次元へと進化を遂げた。

それは、予測不能で、荒々しく、だが、生命力に満ち溢れていた。


俺たちは、選手たちの超感覚によって、なんとかシルヴァニアの猛攻を凌いでいく。

失点は許さない。

だが、攻撃の糸口は、依然として掴めないまま、スコア0-1の膠着状態で、試合は終盤へと向かっていった。


ベンチで、俺は焦りを募らせていた。

「(守れてはいる。だが、このままじゃ、ジリ貧だ……!)」


その時だった。

ずっと、誰よりも悔しそうな顔で、黙って戦況を見つめていたエルマが、フィールドで躍動する仲間たちの「セオリー無視」のプレーと、それをいなすルシオンの「自然な」野球を見比べ、ふと、何かに気付いたように、ポツリと呟いたのは。


「……違う」

「……え?」

「あいつ(ルシオン)は、読んでなどいない。未来予知なんかじゃない」

エルマは、確信に満ちた瞳で、俺を見た。


「――ただ、風や、マナの流れに、身を任せているだけだ……」


その一言が、この分厚い、見えざる壁を打ち破る、最大のヒントになることを、俺はまだ知らなかった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ