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第11球 見えざる壁

地方大会二回戦、対シルヴァニア・リーフス戦。

試合開始のサイレンが、雲一つない青空に響き渡った。

俺たちアークスの選手たちが守備位置へと散っていく中、相手チームのエース、ルシオンが静かにマウンドへと歩みを進める。


(……なんだ、あいつは)


俺はキャッチャーマスクを被りながら、その姿を観察する。

ゴルダの選手たちのような、威圧するようなオーラはない。むしろ、その細身の体躯は、野球選手というよりは詩人か学者のようだ。 だが、彼がマウンドに立った瞬間、グラウンド全体の空気が、まるで静かな森の朝靄のように、澄み渡り、そして張り詰めていくのを感じた。

彼は軽く投球練習を始める。そのフォームは、水が流れるかのように滑らかで、一切の無駄がない。放たれたボールは、回転すら見えないほどの美しい軌道を描き、寸分の狂いもなく相手捕手のミットに吸い込まれていく。


「……すげえ。なんて綺麗なフォームなんだ」

ベンチのフィンが、思わず感嘆の声を漏らす。

「ふん、見掛け倒しじゃなきゃいいけどな!」

バルガスは強がっているが、その目には明らかに警戒の色が浮かんでいた。


俺もまた、強いプレッシャーを感じていた。

ゴルダ戦とは違う。あれは分かりやすい「力」との勝負だった。だが、こいつは違う。静かで、冷たくて、底が見えない。まるで、深淵を覗き込んでいるような、そんな感覚だった。


「プレイボール!」


審判のコールと共に、アークスの攻撃が始まる。

先頭打者は、1番の切り込み隊長、リコだ。


「頼むぜ、リコ! なんでもいいから塁に出てくれ!」

「はい、キャプテン!」


小さな体をさらに小さくかがめ、リコがバッターボックスに入る。

俺は、捕手のセオリー通り、まずは様子見のサインを送った。初球は、外角低めのストレート。相手の力量を測るための、基本中の基本だ。


マウンド上のルシオンは、静かに頷くと、美しいフォームで腕を振るった。

球速は、ない。

グランの剛速球に比べれば、まるでスローモーションのようだ。

だが、そのボールは、俺のミットが寸分も動く必要がないほど、完璧なコースに突き刺さった。


「ストライィィク!」


リコは、バットを振ることすらできなかった。


「(……なんだ、今のコントロールは!?)」


俺は背筋に冷たい汗が流れるのを感じる。


「(機械かよ……! 寸分の狂いもねえ。だが、それだけじゃない。何かが違う。俺の知ってる精密機械タイプの投手とは、根本的に何かが……)」


2球目。内角ギリギリへのスライダー。

これも、完璧なコース。リコは必死にバットを出すが、ボールの驚異的なキレの前に、バットは空を切る。

そして3球目。

再び、外角へのストレート。

リコは、その神速とも言える反射神経でなんとか食らいつこうとするが、バットはボールの遥か上を通過した。


「ストライィィク! バッター、アウト!」


あっけない、三球三振。

続く2番のカイも、その獣じみた動体視力をもってしても、ルシオンの投球の「キレ」の前に、ことごとくバットの芯を外され、力ない内野ゴロに倒れた。


そして、ツーアウト・ランナー無しで、3番のエルマがバッターボックスへと向かう。

彼女の表情は、氷のように硬い。同じ里の出身であるルシオンへの、剥き出しの対抗心が、その全身から立ち上っていた。


「(見ていなさい、ルシオン。あなたのその停滞した、美しくも変化のない野球が、いかに脆いものかを、この私が証明してあげる!)」


エルマの心の声が、ビンビンと伝わってくるようだ。

マウンド上のルシオンは、そんなエルマに対し、静かに微笑みかけた。

それは、旧知の仲への挨拶のようでもあり、絶対的な強者が、挑戦者に向ける、憐れみのようでもあった。


俺は、エルマのプライドと、彼女の闘志を信じることにした。

「(エルマ、狙いは奴の得意な外角のストレートだ。あいつがプライドを懸けて投げてくる、その一球を仕留めろ!)」


俺は、エルマにだけ分かるように、特別なサインを送る。

エルマは、小さく頷いた。

だが、その瞬間。マウンドのルシオンの口元が、ほんの僅かに、緩んだように見えた。


「(……まさか!)」


俺がそう思った時には、もう遅かった。

ルシオンが投げてきたのは、俺たちの狙いとは真逆。

意表を突く、内角への、ふわりとしたスローカーブだった。


「なっ!?」


完全に虚を突かれたエルマは、反応することすらできず、ただ、そのボールがストライクゾーンを通過していくのを、見送ることしかできなかった。


「ストライィィク!」


「(なぜだ……!? 俺たちの思考を、完全に読んだとでも言うのか……!?)」


2球目。

「(今度こそ外角だ! 同じ手を二度は使ってこない!)」

俺は、外角のボールを狙うよう、エルマに指示を出す。

だが、ルシオンが投げてきたのは、再び、俺たちの思考の裏をかく、内角への鋭いストレートだった。


「くっ!」

完全に裏をかかれたエルマは、慌ててバットを出すが、体勢を崩され、打球は力なくファウルゾーンへと転がっていく。


ツーナッシング。

エルマは、完全に混乱していた。

その瞳には、焦りと、信じられないという色が浮かんでいる。


「(分からない……! 次に何が来るのか、全く読めない! まるで、私の心を覗かれているみたいだわ……!)」


その時だった。

ベンチでスコアブックをつけていたルーナが、青ざめた顔で俺の元へ駆け寄ってきた。


「ソラさん……! おかしいです!」

「どうした、ルーナ!」

「ルシオン投手の投球パターンが、これまでのデータと、全く違う動きをしています! まるで、打者の思考を、その場で先読みしているかのようです……!」

「先読みだと!?」

「はい! 彼はおそらく、エルフ特有の微細な魔力感知能力で、打者の重心移動や、筋肉の僅かな強張り、その殺気までを読んで、投げるコースを、投球モーションの直前に、瞬時に変えています! あれは……あれは、未来予知です!」


「予知だと!? そんなの、野球じゃねえだろ!」


俺は絶叫した。

脳裏に、あの最悪の記憶が蘇る。

俺の知識が、俺のデータが、俺のセオリーが、この世界の『理不尽』な能力の前に、再び、無力化されていく。


そして、運命の3球目。

迷いの生じたエルマのスイングは、鈍く、力がない。

ルシオンは、そんな彼女を嘲笑うかのように、ふわりとしたチェンジアップを投じた。

完全にタイミングを外されたエルマのバットは、虚しく空を切り、ボールは力なくピッチャーの前に転がった。


「アウト!」


スリーアウト、チェンジ。

ベンチに戻ってきたエルマは、悔しさに唇を噛みしめ、誰とも目を合わせようとしない。 彼女の高いエルフとしてのプライドは、同じ里の出身者の手によって、容赦なくズタズタに引き裂かれたのだ。


俺は、マウンドで涼しい顔をしているルシオンを睨みつける。

彼と俺たちの間には、まるで、分厚く、それでいて透明な、『見えざる壁』が存在しているかのようだった。

ゴルダ戦の勝利で生まれた熱気が、嘘のように、急速に冷えていく。

アークスのベンチは、重く、冷たい沈黙に包まれた。


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