表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/66

第10球 エルフの矜持

ゴルダ・ハンマーズとの死闘を制した翌日。

初勝利の興奮と、祝勝会の酒が抜けきらない頭で、俺たちは作戦会議室に集まっていた。地方大会はトーナメント方式だ。休んでいる暇などない。


「――次の対戦相手が決定した」


俺が魔力水晶マジックビジョンを操作すると、壁に次の対戦相手、『シルヴァニア・リーフス』のデータが映し出された。

その瞬間、ロッカールームのざわめきが、ピタリと止んだ。


「……なんだ、こいつら」

バルガスが、呆気にとられたように呟く。

画面に並ぶのは、男女問わず、誰もが息をのむほどに美しい、エルフ族の選手たちの顔写真ばかりだった。


「見ての通り、次の相手は全員がエルフだ」

俺の言葉に、マネージャーのルーナが立ち上がり、緊張した面持ちでデータを補足し始めた。

「シルヴァニア・リーフスは、森林国シルヴァニアの代表チーム。 突出したパワーはありませんが、それを補って余りある、二つの大きな武器を持っています」


ルーナが水晶に触れると、相手エース投手、ルシオンの写真が大きく映し出された。

「一つは、エース・ルシオンの、超精密コントロール。データ上、彼の投球がストライクゾーンを大きく外れたのは、過去の公式戦5試合で、わずか3球。四球は、ゼロです」


「ぜ、ゼロだと!?」

グランが、信じられないという顔で叫ぶ。

「そんな投手、いるわけが……」

「います」と、ルーナはきっぱりと言った。「そして、もう一つの武器が……」


画面が切り替わり、シルヴァニアの守備シーンが映し出される。

痛烈なライナーが、三遊間を抜けるかと思われた瞬間。ショートを守るエルフが、まるで瞬間移動したかのように現れ、いとも簡単にボールをキャッチする。

外野の頭を越えようかという大飛球も、まるで落下地点を知っていたかのように、外野手が涼しい顔で待ち構えている。


「鉄壁の守備、です」

ルーナは続ける。

「エルフ族特有の、未来予知に近い動体視力と、森を駆け抜ける俊敏性。 これによって、並の安打性の当たりは、彼らの前では全てアウトになります。データ上の守備率は、驚異の9割9分9厘です」


ロッカールームは、水を打ったように静まり返っていた。

ゴルダとは、あまりにも対極。パワーもなければ、トリッキーなプレーもない。

ただ、ひたすらに、ミスをしない野球。

それは、ある意味で、パワーだけのゴルダよりも、よほど厄介な相手だった。


「……だがよ、キャプテン!」

その沈黙を破ったのは、バルガスだった。彼は自信満々に、自分の力こぶを叩いて見せる。

「パワーは大したことねえんだろ? あんな鉄壁の守備も、俺様の一撃で、スタンドまで叩き込んじまえば関係ねえ!」

「そうだぜ、親方!」

グランも同調する。「あんなヒョロヒョロした連中、ワシの剛速球で捻り潰してくれるわ!」


チーム内に「なんだ、楽勝じゃないか」という空気が生まれかける。

だが、俺はそれを、冷たい一言で断ち切った。

「――甘く見るな」


俺の低い声に、バルガスとグランが押し黙る。

「いいか、お前ら。力押しが、最も通用しない相手なんだぞ。お前たちが大振りになればなるほど、相手エースの術中にはまる。守備の穴を狙おうにも、その穴が存在しない。ゴルダ戦の戦術は、次の試合では完全に忘れるんだ」


俺の言葉に、選手たちの顔に再び緊張が走る。

だが、その中で一人だけ、全く別の理由で、硬い表情をしている者がいた。

アークスの紅一点、エルフ族のエルマだ。


彼女は、モニターに映るルシオンの写真を、複雑な色を浮かべた瞳で見つめていた。

「……ルシオン。同じ里の出身です」

その呟きは、誰に言うでもなく、静かにロッカールームに響いた。

そして、彼女は立ち上がると、俺の方をまっすぐに見据え、宣言した。

その声は、鈴のように凛としながらも、氷のような冷たさを帯びていた。


「キャプテン。次の試合、無様な戦い方は許しません」

「……どういう意味だ、エルマ」

「エルフの野球は、美しく、そして気高くあるべきです。相手のルシオンは、それを体現する、我が里の誇り。それに引き換え、我々のチームは……」


エルマは、グランとバルガスを、侮蔑するかのように一瞥した。

「泥臭いドワーフや、考えることしか知らない脳筋のミノタウロスと、同じチームだと思われるのは、我慢なりません」


その瞬間、ロッカールームの空気が、凍り付いた。


「……なんだと、ゴラァ!」

グランが、椅子を蹴立てて立ち上がる。

「このとんがり耳が! ワシらの野球が、泥臭いだと!?」

「事実を述べたまでですわ。ただ力任せにボールを投げ、バットを振り回すだけの、粗野で、美しくない野球。そうでしょう?」

「て、てめえ……!」

今度はバルガスが、その巨大な拳をギリギリと鳴らした。

「もういっぺん言ってみろ! その綺麗な顔を、原型が分からなくなるまで殴り潰してやるぜ!」


一触即発。

チーム内に生まれた、最悪の亀裂だった。


「まあ待て、お前ら」


俺は、ゆっくりと二人の間に割って入る。

そして、怒りに震えるグランとバルガスを手で制し、氷の女王のように佇むエルマに、静かに問いかけた。


「エルマ。お前は、弓の名手だと聞いている」

「……それが何か?」

「矢を放つ時、お前にとって、最も重要なのは何だ?」


俺の唐突な質問に、エルマは少しだけ虚を突かれたようだった。

だが、彼女はすぐに、その背筋を伸ばし、誇り高く答えた。


「……心の静寂と、的との一体化。寸分の狂いもなき、完璧な調和ですわ」

「そうか」

俺は、頷いた。

「なら、野球のバッティングも、本質は同じじゃないのか?」

「……え?」

「投手との息詰まるような駆け引き。コンマ数秒の世界で生まれる、ボールとの完璧な調和。それは、お前の言う『美しさ』に、繋がるんじゃないのか?」


俺は続ける。

「俺は、お前の言う『泥臭い野球』を、否定するつもりはない。それも、このチームの立派な武器だ。だが、それだけじゃ勝てないことも、俺は知っている」

「……」

「だから、俺は、君のその“美学”を、このチームの勝利のために使ってほしいんだ。お前のその完璧な一振りで、エルフの野球の本当の美しさを、世界に証明して見せろ」


俺の言葉に、エルマは反論できなかった。

彼女は、何かを言い返すかのように唇を開き、だが、言葉を見つけられずに、それを固く結んだ。

その瞳には、戸惑いと、反発と、そして、ほんの少しの好奇心が、複雑に渦巻いていた。


「……覚えておきなさい」


エルマは、それだけを言い残すと、長い髪を翻し、一人でロッカールームを去っていった。

残された選手たちは、エルマの態度に、まだ不満の声を漏らしている。


「なんなんだ、アイツは!」

「気に食わねえ女だぜ!」


だが、俺は、その背中を見送りながら、静かに呟いた。

「放っておけ。あいつはあいつで、今、たった一人で戦ってるんだ」


次の試合が、技術だけでなく、俺たちアークスというチームの『融和』をも試される、これまでで最も困難な戦いになることを、俺は予感していた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ