第10球 エルフの矜持
ゴルダ・ハンマーズとの死闘を制した翌日。
初勝利の興奮と、祝勝会の酒が抜けきらない頭で、俺たちは作戦会議室に集まっていた。地方大会はトーナメント方式だ。休んでいる暇などない。
「――次の対戦相手が決定した」
俺が魔力水晶を操作すると、壁に次の対戦相手、『シルヴァニア・リーフス』のデータが映し出された。
その瞬間、ロッカールームのざわめきが、ピタリと止んだ。
「……なんだ、こいつら」
バルガスが、呆気にとられたように呟く。
画面に並ぶのは、男女問わず、誰もが息をのむほどに美しい、エルフ族の選手たちの顔写真ばかりだった。
「見ての通り、次の相手は全員がエルフだ」
俺の言葉に、マネージャーのルーナが立ち上がり、緊張した面持ちでデータを補足し始めた。
「シルヴァニア・リーフスは、森林国シルヴァニアの代表チーム。 突出したパワーはありませんが、それを補って余りある、二つの大きな武器を持っています」
ルーナが水晶に触れると、相手エース投手、ルシオンの写真が大きく映し出された。
「一つは、エース・ルシオンの、超精密コントロール。データ上、彼の投球がストライクゾーンを大きく外れたのは、過去の公式戦5試合で、わずか3球。四球は、ゼロです」
「ぜ、ゼロだと!?」
グランが、信じられないという顔で叫ぶ。
「そんな投手、いるわけが……」
「います」と、ルーナはきっぱりと言った。「そして、もう一つの武器が……」
画面が切り替わり、シルヴァニアの守備シーンが映し出される。
痛烈なライナーが、三遊間を抜けるかと思われた瞬間。ショートを守るエルフが、まるで瞬間移動したかのように現れ、いとも簡単にボールをキャッチする。
外野の頭を越えようかという大飛球も、まるで落下地点を知っていたかのように、外野手が涼しい顔で待ち構えている。
「鉄壁の守備、です」
ルーナは続ける。
「エルフ族特有の、未来予知に近い動体視力と、森を駆け抜ける俊敏性。 これによって、並の安打性の当たりは、彼らの前では全てアウトになります。データ上の守備率は、驚異の9割9分9厘です」
ロッカールームは、水を打ったように静まり返っていた。
ゴルダとは、あまりにも対極。パワーもなければ、トリッキーなプレーもない。
ただ、ひたすらに、ミスをしない野球。
それは、ある意味で、パワーだけのゴルダよりも、よほど厄介な相手だった。
「……だがよ、キャプテン!」
その沈黙を破ったのは、バルガスだった。彼は自信満々に、自分の力こぶを叩いて見せる。
「パワーは大したことねえんだろ? あんな鉄壁の守備も、俺様の一撃で、スタンドまで叩き込んじまえば関係ねえ!」
「そうだぜ、親方!」
グランも同調する。「あんなヒョロヒョロした連中、ワシの剛速球で捻り潰してくれるわ!」
チーム内に「なんだ、楽勝じゃないか」という空気が生まれかける。
だが、俺はそれを、冷たい一言で断ち切った。
「――甘く見るな」
俺の低い声に、バルガスとグランが押し黙る。
「いいか、お前ら。力押しが、最も通用しない相手なんだぞ。お前たちが大振りになればなるほど、相手エースの術中にはまる。守備の穴を狙おうにも、その穴が存在しない。ゴルダ戦の戦術は、次の試合では完全に忘れるんだ」
俺の言葉に、選手たちの顔に再び緊張が走る。
だが、その中で一人だけ、全く別の理由で、硬い表情をしている者がいた。
アークスの紅一点、エルフ族のエルマだ。
彼女は、モニターに映るルシオンの写真を、複雑な色を浮かべた瞳で見つめていた。
「……ルシオン。同じ里の出身です」
その呟きは、誰に言うでもなく、静かにロッカールームに響いた。
そして、彼女は立ち上がると、俺の方をまっすぐに見据え、宣言した。
その声は、鈴のように凛としながらも、氷のような冷たさを帯びていた。
「キャプテン。次の試合、無様な戦い方は許しません」
「……どういう意味だ、エルマ」
「エルフの野球は、美しく、そして気高くあるべきです。相手のルシオンは、それを体現する、我が里の誇り。それに引き換え、我々のチームは……」
エルマは、グランとバルガスを、侮蔑するかのように一瞥した。
「泥臭いドワーフや、考えることしか知らない脳筋のミノタウロスと、同じチームだと思われるのは、我慢なりません」
その瞬間、ロッカールームの空気が、凍り付いた。
「……なんだと、ゴラァ!」
グランが、椅子を蹴立てて立ち上がる。
「このとんがり耳が! ワシらの野球が、泥臭いだと!?」
「事実を述べたまでですわ。ただ力任せにボールを投げ、バットを振り回すだけの、粗野で、美しくない野球。そうでしょう?」
「て、てめえ……!」
今度はバルガスが、その巨大な拳をギリギリと鳴らした。
「もういっぺん言ってみろ! その綺麗な顔を、原型が分からなくなるまで殴り潰してやるぜ!」
一触即発。
チーム内に生まれた、最悪の亀裂だった。
「まあ待て、お前ら」
俺は、ゆっくりと二人の間に割って入る。
そして、怒りに震えるグランとバルガスを手で制し、氷の女王のように佇むエルマに、静かに問いかけた。
「エルマ。お前は、弓の名手だと聞いている」
「……それが何か?」
「矢を放つ時、お前にとって、最も重要なのは何だ?」
俺の唐突な質問に、エルマは少しだけ虚を突かれたようだった。
だが、彼女はすぐに、その背筋を伸ばし、誇り高く答えた。
「……心の静寂と、的との一体化。寸分の狂いもなき、完璧な調和ですわ」
「そうか」
俺は、頷いた。
「なら、野球のバッティングも、本質は同じじゃないのか?」
「……え?」
「投手との息詰まるような駆け引き。コンマ数秒の世界で生まれる、ボールとの完璧な調和。それは、お前の言う『美しさ』に、繋がるんじゃないのか?」
俺は続ける。
「俺は、お前の言う『泥臭い野球』を、否定するつもりはない。それも、このチームの立派な武器だ。だが、それだけじゃ勝てないことも、俺は知っている」
「……」
「だから、俺は、君のその“美学”を、このチームの勝利のために使ってほしいんだ。お前のその完璧な一振りで、エルフの野球の本当の美しさを、世界に証明して見せろ」
俺の言葉に、エルマは反論できなかった。
彼女は、何かを言い返すかのように唇を開き、だが、言葉を見つけられずに、それを固く結んだ。
その瞳には、戸惑いと、反発と、そして、ほんの少しの好奇心が、複雑に渦巻いていた。
「……覚えておきなさい」
エルマは、それだけを言い残すと、長い髪を翻し、一人でロッカールームを去っていった。
残された選手たちは、エルマの態度に、まだ不満の声を漏らしている。
「なんなんだ、アイツは!」
「気に食わねえ女だぜ!」
だが、俺は、その背中を見送りながら、静かに呟いた。
「放っておけ。あいつはあいつで、今、たった一人で戦ってるんだ」
次の試合が、技術だけでなく、俺たちアークスというチームの『融和』をも試される、これまでで最も困難な戦いになることを、俺は予感していた。