第1球 聖球戯と転生者の憂鬱
「うおおおおっ! 決まったああああっ!」
「レクス! レクス! 今年もアンタがMVPだ!」
安酒場のむっとする熱気の中、壁にかけられた魔力水晶が放つ光が、酔客たちの興奮しきった顔を照らし出していた。
年に一度開催される、この世界の全てを決める野球の祭典『コーシエン』。その決勝戦が、今、決着したのだ。
(……またか。今年もヴァルム帝国の圧勝か)
俺は、カウンターの隅で一人、ぬるくなったエールを呷りながら、その光景を冷めた目で見つめていた。
画面の中で、絶対王者ヴァルム帝国のエース兼4番、レクスが咆哮を上げている。 竜人族である彼の肉体は、人間とは比べ物にならないほど強靭だ。 最後の打者を、その剛腕から放たれる200km/h超の豪速球でねじ伏せ、自らの手で優勝を決めた。
「すげえな、レクス様、人間じゃねえ!」
「当たり前だろ、竜人族だぞ!球を投げさせたら世界一だ!」
(人間じゃねえ、か。その通りだ)
俺は心の中で毒づく。
(ここはそういう世界だ。俺の知っていた『野球』じゃない。剣と魔法が存在し 、エルフが、ドワーフが、獣人が、その規格外の身体能力で当たり前のようにプレーする。 これはスポーツなんかじゃない。ただの理不尽な力の見せつけ合いだ)
画面の中では、敗れた国の選手たちがグラウンドに突っ伏して泣き崩れていた。彼らの国は、この敗戦によって、向こう一年間の国家予算の多くを戦勝国に明け渡すことになる。 下手すれば、国の存亡にすら関わる一戦。それが、この世界の『聖球戯』だった。
「おい、ソラ! お前も見てたか! すげえ試合だったな!」
店の親父が、興奮気味に空になったジョッキを指差す。
「ああ、そうだな」
「なんだい、相変わらず冷めてるねえ。お前さん、昔は野球やってたんだろ? もっと熱くならねえのかい?」
「……もう、野球は捨てたんだ」
勘定をカウンターに置き、俺は騒がしい酒場を後にした。
夜風が、火照った顔に心地いい。
俺が住むこの小国アークランドは、活気という言葉からは程遠い。 街灯はまばらで、道行く人々の肩は、誰もが重い荷物を背負っているかのように丸まっている。資源に乏しく、これといった産業もないこの国は、コーシエンで負け続けた結果、大国からの経済的圧迫に苦しみ、ゆっくりと、だが確実に、沈みかけている船のようだった。
(これも、全ては聖球戯の勝敗が決める……か)
馬鹿馬鹿しい。
そう思うのに、かつて野球に全てを捧げた魂が、この世界の在り方を否定しきれずにいた。
◇
その頃、アークランドの王城では、若き王女アリシアが、大臣たちからの重苦しい報告に心を痛めていた。
「姫様、もはや打つ手は……。これ以上の緊縮財政は、民の不満を爆発させかねません」
「北のヴァルム帝国からは、さらなる資源提供の要求が……」
「コーシエンで奇跡でも起きぬ限り、この国は……」
アリシアは、窓の外に広がる自国の寂れた夜景を見つめ、強く唇を噛んだ。彼女の瞳には、涙の代わりに、強い決意の光が宿っていた。
彼女は振り返り、諦めムードの漂う大臣たちを、凛とした声で一喝する。
「聞きましたか、皆の者! 他に道がないのなら、その奇跡を起こすのです!」
「……姫様?」
「布告を! アークランドは、次回のコーシエンに出場します! 国中から腕利きを集めなさい! これは、王女命令です!」
大臣たちの驚きと反対の声を、アリシアは「他に道があるのですか!」という言葉で封じ込めた。
そして、彼女は一人の側近に、密かに命じた。
「……一人だけ、心当たりがあります。かつて彗星の如く現れ、その革新的な戦術で世間を驚かせながら……ある試合を境に、忽然と姿を消した男が」
「まさか、あの男を?」
「ええ。探しなさい。――ソラを」
◇
翌日の夕暮れ時、俺の粗末なアパートの扉が、場違いなほど丁寧にノックされた。
扉を開けると、そこには王家の紋章が入った豪奢な服をまとった、いかにもな使者が立っていた。
「――元アークランド野球選抜、ソラ殿ですな? 王女アリシア様より、この度結成される新チームへの参加を、監督兼主将として要請したく、参じました」
その言葉に、俺は間髪入れずに答える。
「断る。人違いだ」
扉を閉めようとする俺を、使者は慌てて押しとどめた。
「お待ちください! 貴殿はかつて、その革新的な戦術で、我が国の野球を新たなステージへ導いたと聞いております! どうか、そのお力を再び……」
「……黙れ」
俺の低い声に、使者は息をのんだ。
脳裏に、あの日の光景が蘇る。
――エルフの動体視力は、俺の知るどんな変化球の軌道をも見切り、嘲笑うかのように打ち返した。
――ドワーフの規格外のパワーは、計算され尽くしたはずの内野シフトを、ただの brute force(暴力)で粉砕した。
――そして、俺の日本の知識を唯一信じてくれた親友は、俺が教えた「正しい」はずのフォームで投げ続けた結果、肩を壊し、二度とボールを握れなくなった。
俺は野球を知っているつもりで、この世界の理不尽を、何も見ていなかった。
「言ったはずだ」
俺は、心の奥底から湧き上がる苦い感情を押し殺し、使者に告げる。
「俺の野球は、この世界じゃ通用しない。お遊びに付き合う気はないんでね。帰ってくれ」
今度こそ、扉を乱暴に閉めた。
一人になった部屋で、壁に立てかけてある、埃をかぶった古いバットを見つめる。
あの絶望の日から、俺は野球から、自分自身から、逃げ続けている。
もう、二度とあんな思いはしたくない。
俺の挑戦は、とうの昔に終わったんだ。
そう、思っていた。
甲子園見ながらふと思い立って筆を起こしてみました。
甲子園期間中は1日複数更新、、、できたらいいなあ
少なくとも今日はもう1話は投稿します!