06 一周忌
──土曜日。
兄貴の一周忌。朝から家に親戚が集まりだした。
ひと通りそろった頃に、お坊さんがやって来て、読経が始まる。
静かな部屋に響くお経の声と、香の匂い。焼香を済ませ、法話に耳を傾けながらも、心はどこか上の空だった。
法話が終わると、全員で外に出て、兄貴の墓参りへ向かう。墓石を磨き、花を手向け、手を合わせた。
ここに兄貴が眠っている実感はまるでない。合わせた手も、ただ形だけだった。
ある日突然「ただいま」って言って、兄貴は帰ってくるんじゃないかって未だにそう思うんだ。
(そんなふうに考えてるなんて、誰にも言ってないけど……)
家に戻ると、ちょうど昼時だった。俺は二階の自室からローテーブルを下ろし、リビングに並べると、静かに会食が始まった。
親戚のおばさんたちが、「もう一年なんて早いわねぇ」と言いながら、母さんと昔話をしている。
俺は首元のネクタイを緩め、ふぅと息を吐いた。箸に手を伸ばし、仕出しのお弁当に舌鼓を打つ。
ご飯を食べ終わっても、おじさん、おばさんたちの話は尽きない。
午後三時を過ぎてようやくお開きとなった。すべての法事を終えた俺は、喪服から部屋着に着替える。父さんと母さんも着替えてから、後片づけを始めた。おばさんたちが、ある程度片づけておいてくれたから、それもすぐに終わった。
大仕事を終えたような、何とも言えない不思議な疲労感が、肩にずっしりとのしかかる。
俺は、キッチンへ行くと、冷蔵庫から炭酸のペットボトルを取り出した。ソファーに座ってゴクゴクと喉を鳴らす。母さんはいつものようにテレビをつけて、それをぼーっと眺めていた。
半分ほど飲むと、蓋をしてペットボトルを冷蔵庫に戻す。そのままリビングを出て、二階の自室に戻ると、俺は本棚へ近づいた。
「……やっぱり、実感わかないよ。兄貴」
写真立てを手に取る。微笑む兄貴は返事をくれない。
兄貴の顔を忘れないように、こうやって毎日写真を見て、兄貴の声を忘れないようにと、配信で喋る。
そうやって記憶から消えないように頑張っていたけど、それでも指の隙間から零れ落ちる砂のように、記憶は薄れていく。
──頭の中にいる兄貴の輪郭がぼやける。
配信の『コウ』は、ちゃんと兄貴をやれているんだろうか?
朝陽に変わってしまっていないだろうか?
最近はもう……正解がわからなくなっている。
『ピロン♪』
自分のポケットから音がした。続けて『ピロン』と、また鳴った。
俺は手を入れ、スマホを取り出す。ホーム画面に新着メッセージのお知らせが表示されていた。メッセ―ジの送り主の名前は真。それを開いて内容を確認すると、明日の待ち合わせ場所や時間についての相談だった。
(そうだった。明日、真と遊びに行くんだった。どこに行こうかな……)
ふ、と口元が緩む。沈んでいた心がちょっとだけ浮き上がった。真に返信してから、俺は下着類を持って一階へ降り、風呂へ行き、シャワーを浴びた。肩にまとわりついていた疲労を、泡と一緒に洗い流す。身体だけじゃなく、心まで軽くなった気がした。
カフェオレの入ったマグカップを持って、自室に戻ると、俺はノートパソコンを立ち上げ、マウスに手を伸ばす。
「よし。配信でもやるか!」
配信開始ボタンをクリックし、マイクのスイッチを入れた。
『コウさんおっす! 今日は俺が一番だ!』
「お! サルさん! とうとう一番ゲット! おめでとう!」
今日は土曜日だ。平日に比べると人の集まりはいい。
三十人ほどのリスナーに見守られながら、ホラーゲームで遊ぶ。
「おわっ!? 待て、待て待て! 話をしよう! 頼む! って、ああああああああ!!」
『ゾンビに話!?』
『コウさん、マジでブレないな~!』
『イケボの叫び声で、また酒が進むわ~』
いつものメンバーで、いつもの配信。
俺はカフェオレを掲げた。
「酒のパワーを借りて、今日こそクリアする!」
皆に向かってそう宣言すると、マグカップに口をつけた。
甘いカフェオレをゴクゴクと飲みながら、俺はその夜、遅くまでゲームを続けていた。
***
翌日──日曜日。俺は最寄り駅近くで待っていた。
昨日、真にどこに遊びに行きたいかと聞いたら、俺の家に遊びに行ってみたいと言うので、待ち合わせ場所は俺の家の最寄り駅、ということになった。
駅の外には、摩訶不思議なモニュメントが置いてある場所がある。この駅を利用する人ならば、待ち合わせ場所としてよく使われているスポットだ。俺は、その近くに立ってスマホを触っていた。
待ち合わせの時間まで、あと五分。
そろそろ来る頃合いかと思った俺は、スマホから顔を上げ、駅のほうを見た。すると、駅を出て、キョロキョロと辺りを見回している人物が目に入った。
その人物の横を通りすぎて行く人たちは、チラチラと視線を送っているようだった。顔はハッキリとは見えないが、その人のスタイルを見る限り、シュッとしてかっこいい。これは、かなりのイケメンと見た。
(あれって、もしかして……真か?)
じっと目を凝らす。制服姿じゃないから、判別がつきにくい。
どうやら向こうもこちらに気づいたようだった。右手を上げ、軽く振っている。
やっぱり、あの人物は真で合っていたらしい。俺も手を振り返して、合図を送った。
「朝陽、おはよう。もしかして結構待たせた?」
「いんや。俺もさっき来たとこ」
「……ほんと?」
「ほんとほんと」
真がジトッとした目で「怪しい……」と睨んでくる。じっと顔を見つめられて心臓がドキッと跳ねた。
目元の小さなホクロと、見慣れない私服のせいもあってか、美人度が増している気がする。
(十五分前は、『さっき』の範疇に入るよな……?)
俺は肩をすくめて、本当に今来たところだとアピールする。それに納得したのか、真は、ホッと小さな息を吐き、またキョロキョロと周囲を見回し始めた。
「この駅って結構大きいんだね。ショップがいっぱい入ってる建物も隣にあるし」
「そうだな。だから、もし俺んちが飽きたら、駅に戻ってこの辺ウロウロしようぜ」
「……飽きないと思うけど?」
真が首を傾けながら、俺の顔を覗き込むように見上げてきた。ドキリともう一度心臓が跳ねた。
……これに慣れるには、少しばかり時間がかかりそうだ。
「もし、飽きたらの話」
「うん。飽きたら、ね。じゃあ、そのときに考えよう?」
「それもそうだな。んじゃ、うちに行くか」
俺は「こっち」と我が家のある方角を指さし、歩き始めた。
駅から約十五分ほど歩いて、家に到着した。父さんと母さんは出かけており、今日は俺と真だけだから、気を使わなくて済みそうだ。
「おじゃましまーす……」
シンと静まり返った家に、優しげで透明感のある声が響く。
真にお客さん用のスリッパを出したが、いらないと断られた。二階へ続く階段を上って、俺の部屋に入る。
「真。何飲む? お茶、カフェオレ、炭酸のジュース辺りならあるけど」
「カフェオレがあるなら、ブラックのコーヒーとかお願いできたりする?」
「ブラック飲めるんだ?」
「うん。勉強のお供に飲んでたら、好きになってたんだ」
「へ~……なるほどね」
俺はもう一度、「ブラックな」と確認の言葉を発した後、真には「適当にそこら辺に座っといて」と言って、階段を下りたのだった。