突然の転生
「……痛っ……ここ、どこだ……?」
春人はごろりと地面に倒れたまま、頭を押さえた。
背中に湿った土の感触を感じて目を開けると、視界いっぱいに木々の枝葉が広がっている。
「目が覚めたんなら、さっさと起き上がれよ」
低い声がすぐそばで聞こえた。
「俺はヴォイド。どうやら怪我はしてないみたいだな?」
冷えた空気と一緒に微かな緊張感が漂う。
その男性は黒いマントに身を包み、どこか影のある雰囲気をまとっていた。
「大丈夫? 私の名前はリリア。王女って設定らしいんだけど……まったく興味湧かないのよね」
彼女は鮮やかなドレスをはためかせながらも、唇をとがらせている。
「こんなベタな剣と魔法の世界、やってられないわ」
「け、剣と魔法の世界……?」
春人は驚きに息をのんだ。
「俺、確か残業帰りにトラックに……」
そこまで口走って、思わず声を詰まらせる。
「トラック? なんだそりゃ。新種の魔獣か?」
ヴォイドが不思議そうに首を傾げる。
「違うよ。地球っていうところにあった乗り物で……いや、ちょっと待って」
春人は無理やり頭を振って意識をはっきりさせようとする。
「俺、会社帰りにトラックを避けようとして、それで気がついたらここに……」
「要するに、異世界転生ってやつね。ああ、もう古いパターンすぎる。でも作者がそう書いたんだから、仕方ないわよね。はいはい、じゃあひとまず起き上がって」
「待ってくれ。おれは何も事情がわかってないんだけど」
春人が必死に言葉を探すと、ヴォイドがすっと腕を貸してくれた。
「とりあえず立て。話はそれからだ」
「ありがとう……ヴォイド、だっけ?」
「名前だけはそれで通ってる。今のところ“謎の男”の立ち位置らしいけど、正直そんなに悪役やりたくないんだよな」
「んー、まあいいわ。とにかくここは危険も多いし、早く移動したほうがいいわよ」
リリアは森の奥を見つめ、わずかに眉をしかめる。
「魔物が出るとか、一応そういう設定になってるみたいだし」
「魔物? 本当にいるのか……?」
春人は背筋がぞくりとした。
ゲームや映画の話ならともかく、現実にそんなものが出てくるかもしれないのだと考えるだけで冷や汗が浮かぶ。
「作者がその気なら出すんじゃない? でも全然ワクワクしないのよね、この世界」
リリアが不満そうに両手を広げる。
「面倒ごとはヴォイドがやってくれるでしょ。悪役ポジションなんだし」
「俺が戦闘担当ってのもどうかと思うが」
ヴォイドは苦い顔で剣の柄に手をかけた。
風が木の葉を揺らし、さらさらと微かな音が森を包む。
春人は自分が本当に異世界に来たのだと実感し、息をのんだ。
しかしリリアとヴォイドはずいぶん冷めた様子で、この状況をどこか客観的に捉えているように見える。
「じゃ、立てるんなら早く歩いて」
「え、歩くって……どこへ?」
「さあね。とりあえず王都とやらがあるから、そっちへ行ってみるしかないでしょ?」
「物語なら王都からスタートってのが定番、だとか言う作者の都合じゃないか?」
「作者の都合……?」
春人が聞き返そうとした瞬間、茂みの向こうからか細い声が聞こえた。
「えっと……だ、大丈夫ですか?」
それは、この世界らしい粗末な服を着た少女の声だった。