第22話
大型トラックにひかれて大量出血した人間が、入院もせずに帰るなんてことはまずないだろうが、何を隠そうこの俺がそうだ。
マラソン大会中に大事故に遭い、病院に救急搬送されたにもかかわらず、俺はその日の夜には帰宅していた。
「良太、あんた本当に大丈夫なの? やっぱり今日くらい入院した方がよかったんじゃない?」
これで何度目だろうか、母さんが心配そうな顔で俺に確認してくる。
「だから平気だってば。こうやって普通に晩飯も食べられてるんだし」
俺はピザを丸めて口に放り込んだ。
「無理してないでしょうね? あんた昔から病院が嫌いだったから」
「無理してないよ。いい加減俺の言葉を信じろよな」
「う~んもう、わかったわよ」
親だから心配するのはわかるが、さすがにうんざりしてきた。
「そういえば病室に来てた眼鏡の女の子、あの子は友達なの? それとも彼女?」
さっきまでの表情とはうってかわり白い歯を見せ、にやりと笑う母さん。
「ただの部活仲間だよ」
「へーそう。可愛い子だったわね。あの子なんて名前?」
「いいだろ別に」
「教えなさいよ、減るもんじゃないし。どこの子なの?」
異性がらみの話を母さんとはしたくない。思春期なんだからわかってくれよ。
母さんの質問攻勢をどうやり過ごそうかと考えていると、
ピンポーン!
ちょうどいいタイミングで玄関のチャイムが鳴った。
「俺が出るよっ」
「あ、ちょっと」
逃げるように席を立つ。
「こんばんはー。美沙ですー」
すでにドアを開け玄関に入ってきていたその人は、隣に住む一個上の幼馴染の美沙さんだった。
昔はよく遊んでもらっていたが、高校に上がってからは別々の学校ということもあってか、顔を合わす機会はほとんどなくなっていた。
「あっ、良太くん大丈夫なの? 事故に遭ったって聞いたけど」
「あ、はい。大丈夫ですけど……えっと誰に聞いたんですか?」
「さっきおばさんから連絡があって」
とその時、
「あら~、美沙ちゃん。少し会わない間に大人っぽくなって」
母さんがリビングからやってきた。
「おばさん、お久しぶりです。おばさんも相変わらずおきれいで」
頭のつむじが見えるくらいに深く頭を下げる美沙さん。
「あらあら、お世辞まで覚えちゃってまぁ」
「そんな、お世辞じゃないですって」
美沙さんは高校のブレザーを着ていた。学校帰りだろうか。
「推薦受かったんだってね、おめでとう」
「ありがとうございます」
「もしかして良太のお見舞いに来てくれたの?」
しらじらしい。母さんが催促したようなもんだろ。
「あ、はい。それで良太くん大丈夫なんですか?」
「もちろんよ。この子は丈夫さだけが取り柄みたいなもんだから」
と俺の頭をくしゃっと撫でる。
「よかった~。おばさんから連絡もらってから心配で心配で……」
「あらそうだったの、ありがとうね~、こんなバカ息子のこと心配してくれて」
「いいえ、そんな――」
「もしよかったらこの子のこともらってくれないかしら? 彼女なんて出来たことないのよ」
「おい、何言ってんだっ」
頭おかしいのか。
「私も彼氏なんていたことないですから大丈夫ですよ」
と美沙さんは顔の前で手を振る。確か美沙さんは女子高だったよな。
「あら、今ってそんなものなのかしら。私が若い頃なんて……」
あーやめてくれ、親の恋愛話なんぞ聞きたくもない。
俺はその場を離れ、リビングでピザを一切れ掴むと、早々に自分の部屋へ避難した。
次の日、俺は学校でちょっとした有名人になっていた。
トラックにはねられて大量出血したのに、翌日けろっとした顔で登校してきた奴がいると。
しかもそいつは文芸部に所属していると。
そんな奴の顔を一目見ようと、学年性別問わず暇を持て余した生徒たちが俺のクラスの廊下に押し寄せてきていた。
「真柴くん、なんかすごいね」
廊下をちらちら見ながら高木さんが言ってくる。
「ごめん。クラスのみんなに迷惑かけてるよな」
「あ、別に私は平気だけど……」
「こんなものは一過性のものゆえ、明日になればいなくなるでござるよ」
と織田が俺の肩を叩いた。
「ああ、そう願うよ」
ずっとこれでは神経がすり減ってしまう。
「そういえば高木さん、マラソン大会二位だったんだって、おめでとう」
「うん、ありがとう。でも一位のさくらちゃんとはだいぶ差が開いていたんだけどね」
「あいつ気合入ってたからなぁ」
部費を全部使ってまでプロテイン買い込んだくらいだからな。
「真柴くん、さくらちゃんのこと褒めてあげた?」
高木さんが藪から棒に訊いてくる。
「褒める? いいや」
「褒めてあげなよ、喜ぶよきっと」
と高木さんは言うが果たしてそうだろうか。褒めたところで「当たり前でしょ」と突っ返されそうな気がするが。
まあ高木さんが言うなら気が向いたら褒めてやるか。
昼休みになっても放課後になっても俺の姿を見に来る生徒はいたが、段々と確実に減ってきていた。
この分なら織田の言う通り、明日には野次馬はいなくなりそうだな……。
俺は好奇の目を向けられながらも文芸部の部室へと急いだ。
部室のドアを開けると、すでに土屋さんと高橋とさくらは部屋にいて、それぞれ勉強に読書に睡眠と好き勝手なことをしていた。
そこに流星の姿はなかった。
そういえば流星は週番で遅くなるんだったっけ。
俺は数学の宿題が出ていたのでそれを片付けることにした。
席に着くとテーブルの上に数学の教科書とノートを開く。そして俺はシャーペンを手に取った。
さくらが居眠りをしていて静かなおかげで宿題は面白いようにはかどった。
なるほど……ここはこの公式を当てはめれば簡単に解けるのか。そうかそうか。
苦手意識のあった数学の勉強が少し楽しくなり始めてきた頃、
「ぶひゃっ!?」
と奇声を発してさくらが目を覚ました。
「……んん、あーよく寝たわ~」
さくらが席を立ち、伸びをする。
ちっ、もう少し寝ていればいいものを……。
また文芸部とは関係のない活動で宿題の邪魔をされる前に先手を打つか。
「お前、宿題とかないのか? あるんならここでやったらどうだ、はかどるぞ」
「はん、あったけどそんなのは授業中に終わらせたわよ」
と当然のようにさくらは言う。
「宿題を家に持ち帰ってやるなんてバカのすることだわ」
「……へー、そうかい」
お前の基準じゃこの世界はバカばっかりなんだろうな。
「それよりあたし今日はもう帰るわ。昨日のマラソンのせいか眠いのよね~」
首を左右に傾けストレッチをするさくら。
おう、帰れ帰れ。
「流星には俺から言っておいてやるよ」
「は? 今なんて言ったの?」
怪訝な顔で俺を見下ろす。
「なんだよ、お前がいなかったら心配するだろあいつは」
姉のことを第一に考える奴だからな。
「何? どういうこと?」
「どういうことって、流星のことだからお前がいないと何かあったのかって心配するだろうが」
「良太、あんたさっきから何わけのわかんないこと言ってるの?」
妙にさくらがつっかかってくるな。
「お前疲れてるんだろ、もう帰っていいぞ。流星には俺からちゃんと言っておくから」
「は? だから流星って誰よ?」
……え?
「あんたあたしをからかってるつもりなの? むかつくからやめてちょうだいっ」
……なんだ?
「流星だよ。お前の弟の。何知らない振りしてるんだよ」
「だから誰よそれっ。 あたしに弟なんていないでしょうが!」
さくらがどんっとテーブルを叩いた。
……なんだって!?
弟なんていない……?
悪い冗談だろ。
さくらは鋭い目つきで俺を見据えている。
俺は助けを求めるように土屋さんに目を向けた。
土屋さんは目をぱちくりしている。
「土屋さん、流星はまだ来ていないだけですよね?」
「あんな~、うち真柴くんの言うてることがようわからへんねんけど、さっきから言うてるりゅうせいって誰なん?」
嘘が苦手な土屋さんが本当に不思議そうな顔で訊き返してくる。
俺をかついでいる様子はない。
視線を高橋に移す。
「なぁ高橋、流星のこともちろん知ってるよな?」
「……流れ星のことじゃなくて?」
「人だよっ。さくらの双子の弟のっ」
「……ごめん。知らない」
俺の目をまっすぐみつめながら高橋は答えた。
誰も流星のことを憶えていない。
まるで最初から存在していなかったかのように……。
「良太、あんたいい加減にしなさいよねっ」
さくらが俺の胸ぐらを掴んだ。
「お前のクラスの今週の週番は、流星のはずだろ……?」
「そんな奴いないって言ってるでしょっ! あたしもう帰るからっ!」
さくらは声を荒らげるとドアをばたんと強く閉めて部室を出ていってしまった。
……。
うなだれている俺に「真柴くん、大丈夫~?」と土屋さんが優しく声をかけてくれるが、何も答えられないでいると、
「……世界にひずみが生まれたせいで、その人は存在ごとわたしたちの記憶から消えてしまったのかもしれない」
高橋が突然口を開いた。
「高橋、それどういうことだ?」
「……死ぬはずだった運命のあなたを超能力で救った結果、世界にひずみが起きると思っていた。多分それが現実になった」
「ひずみ……」
「……つまりあなたが話しているりゅうせいという人間は、そのひずみのせいでこの世界から完全に抹消されてしまった」




