第19話
ソフトクリームを食べ終えた俺は水族館へと戻った。
いろいろなところを一人でゆっくり見て回っていると、高橋の姿が目に入ってきた。
……あいつ、まだくらげのところにいるぞ。
高橋はくらげと交信でもしているかのように、直立不動でじっとくらげをみつめていた。
「おい、高橋。お前ずっとここにいたのか?」
「……うん」
俺の声に振り向きもしない。
「飽きないのか?」
「……飽きない」
「疲れないか?」
「……疲れない」
「そうか。お前がいいならいいんだけどさ」
もはや水族館のオブジェと化している高橋をよそに、俺は近くにあった椅子に腰を下ろす。
「ふぅ」
三人分の荷物を持ってだいぶ歩いたからさすがに疲れた。
日頃の運動不足を身をもって感じる。
もし運動部に入っていたら俺は一日で悲鳴を上げていたかもしれないな。
などと考えながら、くらげの水槽の前で微動だにしない高橋をぼんやり眺めていると、
ピピピピ……。
スマホにセットしておいたアラームが鳴った。
俺はアラームを止めると時間を確認した。
時刻は午後六時。土産物売り場に集合する時間だ。
俺は再度荷物を持って、
「おい、高橋。もう六時だから土産物売り場に行くぞ」
高橋に声をかける。
「……あと少し」
「もう充分見ただろ」
「……あと少し」
「遅れるとさくらの奴がきっとうるさいぞ」
「……あと少しだけ」
そう言って高橋が振り向き俺を見上げた。眼鏡の奥のまっすぐな瞳が俺をみつめる。
……まったく。
「あと少しだけだぞ」
「……うん」
こんなに自己主張する高橋も珍しい。
俺はもう少しだけ高橋に付き合うことにした。
そして、結局土産物売り場に俺と高橋が着いたのは約束の時間より二十分遅れてからだった。
「おっそいわよっ!」
案の定、大声を張り上げるさくら。周りの目などお構いなしだ。
「悪い。遅れた」
「あんたたち時間の概念失くしたわけっ。それとも二人して時計の見方がわからなくなったのかしらっ」
店先で説教される。
「……ごめん、さくら」
「あんたたちが来ないからみどりたちはとっくにお土産屋さんに入ってるわよっ」
「そういうお前は、もしかして待っててくれたのか?」
「当たり前でしょ!」
と腰に手を置き怒鳴る。
当たり前なのか……?
こいつの考えていることはよくわからない。
「さっさと店に入るわよっ」
「お、おう」
「……うん」
RPGのパーティーのごとく、さくらの後ろに俺と高橋が歩いて続く。
「結構人がいるな~」
店の中は客で混雑していた。
「あんたたちがのろのろしてるからよっ」
「すまん」
「……ごめん」
それを言われてしまうと返す言葉がない。
今回ばかりは悪いのは俺たちの方だからな。
その時、
「真柴くんも美帆ちゃんも来たんやね~」
賑やかな店内のどこかから土屋さんの声が聞こえた気がした。
俺は首を動かし声の出どころを探す。
「こっちやこっち~」
人混みの中から小さな手が見え隠れする。
そしてその横には高木さんと流星の姿があった。こっちを見て手を振っている。
さくらは先頭切って人混みをかきわけながら近付いていく。
俺たちもあとを追った。
そばまで来てわかったのだが、三人はレジに連なる行列に並んでいるところだった。
「真柴先輩、遅かったですね」
額に汗をかきながら流星が声をかけてくる。
「ああ、悪かったな」
「もしかして、くらげを見ていたの?」
と高木さんが高橋に訊いている。
「……うん」
「あんな~、うちな~これ買うことにしたんや~」
土屋さんは後ろに隠し持っていた物を「じゃ~ん」と前に出した。
「うわ、でっかいですね」
「そやろ」
土屋さんが持っていたのは、かなりデフォルメされた丸々と大きなペンギンのぬいぐるみだった。
「これふかふかしてて、ええ気持ちやねん」
そう言って自分より大きいサイズのペンギンのぬいぐるみをむぎゅっと抱きしめる。
持って帰るのが大変そうだ。
「ほら、あたしたちもお土産選ぶわよっ。早くしないと全部なくなっちゃうわっ」
全部なくなることはないと思うが、早く選ぶのには賛成だ。
俺たちはレジの行列に並ぶ三人と別れ、それぞれ欲しいものを探すことにした。
俺は適当にヒトデのキーホルダーを手に取ると列に並んだ。
「あんたそんなんでいいの?」
さくらも俺のすぐ後ろに並んでくる。
「それじゃあただの星型のキーホルダーじゃない」
「お前こそ星のぬいぐるみだろうが」
さくらは大きなヒトデのぬいぐるみを持っていた。
「仕方ないじゃない、ぬいぐるみはもうこれしかなかったのよ。もとはと言えばあんたのせいなんだからねっ」
「わかってるよ」
ヒトデの商品は人気がないのだろうか、かなり売れ残っていた。
会計を済ませ店を出ると、店の前で土屋さんたちが待っていてくれていた。
「みんな欲しいもん買うた~?」
丸々太ったペンギンのぬいぐるみを抱きかかえながら土屋さんが飛び跳ねる。
「まあ、そうですね」
「あたしはそうでもないけどね」
ヒトデのぬいぐるみを片手で持ちながら憮然としているさくら。
多少後ろめたい。
そして高橋はというと、
「あれ? 美帆ちゃん何も買うへんかったん?」
「……」
こくんと首を縦に振る。
「くらげの何か買わなかったの?」
「……くらげ売り切れてた」
高木さんの問いにぼそっと答える高橋。
「そうか~、こんなに混んでる思えへんかったもんな~」
「一番にお土産屋さんに来るべきでしたね」
「何よ、流星。あたしのプランに問題があったみたいな言い方じゃない」
「あ、そんなことはないよ姉さん。姉さんのプランは最高だったよ、うん」
流星も姉のご機嫌取り、大変だな。
「寒くなってきたしそろそろ帰りましょ」
さくらの言葉でみんなが駅に向かって歩き出した。
一番後ろから俺もついていく。
……ん?
俺はなんとはなしにポケットに手を突っ込んで何やら柔らかい感触の物に触れた。
そこではたと思い出した。
「なあ、高橋」
俺はさくらには聞こえないように小声で呼びかける。
「……何?」
「これお前にやるよ」
俺はポケットにそっと忍ばせていたくらげのぬいぐるみを手に取ると、高橋に差し出した。
「……これ、どうしたの?」
「えーっと……」
母さんにプレゼントするために買っておいたってのは言いづらいな。
「お前がくらげが好きそうだから事前に買っておいたんだよ」
「……っ」
「ほら、とっとけ」
高橋の手に握らせた。
「……いいの?」
「ああ」
すると高橋は大事そうに両手でくらげのぬいぐるみを包み込むと、
「……ありがとう」
と俺を見て破顔した。
「おっ。おう」
……高橋の笑顔を見たのはそれが初めてだった。
母さんには代わりにヒトデのキーホルダーをやればいいよな。うん。
「次はあなたの番よ」
誰かが言った。
黒い影が僕の手を取ってゆっくりと歩き出す。大きな手だ。
明かりが差し込む扉の前に立つと
「ここでまってて」
と一人取り残された。
僕は不安になる。
「あなたもこっちよ」
と言って黒い影が女の子を連れてきた。
「仲良くするのよ」
と女の子の手を僕に握らせる。
すると女の子が言った。
「手を離さないでね、お兄ちゃん」
――次の瞬間、太陽のように優しい笑顔が僕たちをむかえてくれた。
「産まれてきてくれてありがとう。わたしのかわいい天使たち」
「何よこれ?」
さくらが校内新聞を持って小説のコーナーを指差す。
「何って俺が書いた小説だよ」
「そんなことはわかってるわよ。だからこのくそしょうもない小説はなんだって言ってるのよっ」
「お前口悪いな」
いろいろあって俺の書いた小説を新聞部が発刊している校内新聞に載せることになったため、俺はアニメを見る時間を削ってまで執筆に励んだのだが……。
「っていうかこれって小説なの? だっさいポエムみたい。あたしポエムって意味わからないから嫌いなのよね」
ひどい言われようだ。
「新聞部の部長さんは快く受け取ってくれたぞ」
「そんなの建前に決まってるじゃない。裏ではきっと部員同士であんたの小説を笑ってるわよ」
すると、
「え~、うちはええと思うけどな~。この小説、なんかあったかい感じがするやんか」
土屋さんが助け舟を出してくれる。
さらに流星も「僕も好きですよ、この小説」と続ける。
「ほら見ろ、評判いいじゃないか」
自分でも驚きだが。
「この二人は何もわかってないのよ。美帆に訊くのが一番だわ。なんたっていつも小説読んでるくらいだもの」
そう言ってさくらは高橋に目を向けた。
「どうなの美帆、これを読んだ正直な感想を言ってちょうだい」
文庫本のページをめくっていた手を止め高橋が顔を上げる。
「……嫌いじゃない」
一言つぶやいた。
「高橋も嫌いじゃないってさ、俺の小説」
「美帆は優しいからあんたに気を遣ってるだけよ」
「ならお前も気を遣え」
こっちは先輩だぞ。
「あっ、美帆ちゃんのこれくらげやん。可愛ええな~」
高橋のカバンについていた小さいくらげのぬいぐるみを触りながら、土屋さんが口を開いた。
「どうしたんこれ? 前はつけてなかったやろ」
「……」
高橋は無言で俺を見る。
高橋の奴、俺があげたくらげのぬいぐるみを学校に持ってきていたのか。
「ん? なんやの? 真柴くんがどうかした?」
「……」
なおも無言の高橋。
「そんなことはどうでもいいのよっ。今は良太のぼんくら小説について話してるのっ」
さくらは声を上げる。
「いい? みんな。こんな駄作が文芸部の代表作品だと思われたら文芸部の恥なのよっ」
すげー言うな。というかこいつにも恥という感情はあったんだな。
「これならあたしの書いた小説を載せるべきだったわ」
「そういやお前が書いた小説、なんかの賞に応募してみたのか?」
「ジュブナイルなんとかってやつに送ってみたわ。来年にはあたしの小説が世に出回ることになるかもね」
どこからくるのか自信ありげに俺を見下ろす。
よくわからないがスプラッター小説とジュブナイル小説は正反対に位置するものなんじゃないだろうか。
「でも姉さん、今さら言っても仕方がないんじゃないの」
「だからあたしは授業中に考えてたのよ。良太のせいで地に落ちた文芸部の評判をうなぎのぼりに回復する方法をねっ」
今の文芸部の評判が悪いのは十中八九お前のせいだがな。
「みんな、来週マラソン大会があるのはもちろん知ってるわよね」
「ああ。ここんとこ体育の授業はずっとマラソンの練習だからな」
「僕たちのクラスもそうですよ」
「うちマラソン苦手やから体育の授業が憂鬱やねん」
テーブルにつんのめるようにうなだれる土屋さん。
うちの高校では毎年一回秋にマラソン大会が開かれる。
そこでは学年も男女も関係なくみんな一斉に八キロのコースを走る。
そのため、この時期の体育は常にマラソンの練習にあてられるのだ。
「そこであたしたちが運動部より早く一番にゴールしたらすごいと思わない?」
また無茶なことを……。
「あのなぁ、陸上部だって出るんだぞ。一番になんてなれるわけないだろ」
「陸上部が何よ。あたし体育の授業では陸上部なんかより速いわよ」
「んなバカな……」
「いえ。姉さんは確かに陸上部の人たちより速いですよ」
と流星が言う。
「マジで?」
「あたし勉強も運動もなぜか出来ちゃうのよねぇ。超能力も使えるし、きっと神様に選ばれた存在なんだわ」
俺は流星を見た。
まさかお前が超能力でインチキしてるんじゃないだろうな、と。
だが流星はさくらに気付かれないように首を横にぶるぶる振る。顔の肉が揺れている。
流星を信じるならインチキはしていないってことか。
「だったらお前ひとりで頑張れよ。自慢じゃないが俺は勉強も運動もからきしなんだ」
土屋さんも高橋も流星もマラソンが得意そうには見えないしな。
「大丈夫よ。そんなこともあろうかと秘策は用意しているわっ」
ホワイトボードの前で仁王立ちするさくら。
「秘策ってなんだよ?」
超能力なんて言い出すなよ。
「それは明日教えるわ。ってことであたしは今日はもう帰るから。お先にー」
俺たちの頭の上にクエスチョンマークだけ残して、さくらは部室を出ていってしまった。
「おい、流星。どうなってるんだ?」
「すみません、僕にもわかりません」
苦笑いの流星。
まったく……こういう時こそ超能力でさくらの心を読めよな。