第18話
昼飯を済ませると、
「ここからは自由時間にするから各自好きなようにしていいわよ」
とさくらが言った。
いつも思うが、部長でもないのになぜこいつが仕切っているのだろう。
「六時にお土産屋さんに集合しましょ。それまでは……はい、解散っ」
ぱしんと手を叩いた。
「高橋さん、もう一回くらげ見に行かない?」
「……行く」
高木さんに誘われ高橋はまたくらげを見に行くようだ。
二人の仲は少しは縮まったのかな。
「うちホッキョクグマ見てくるな~」
花畑を舞う蝶のようにふわふわ~っと水族館の方へ戻る土屋さん。
「では僕もマグロの回遊を見てきたいと思います」
「ああ、わかった」
流星は荷物を半分ほど持って歩いて行った。
レジャーシートの上に残ったのは俺とさくら。
「お前はどうするんだ?」
「あんたこそどうするのよ?」
「俺か? どうするかなぁ……昼飯食べたばかりだしちょっと休んでから考えるかな」
「そう。あたしもちょっと休憩するわ」
「そっか」
周りには子ども連れとカップル。実に穏やかな日曜日だ。
何を話すでもなく俺たちはただぼーっとしていると、ふいに子どもが蹴ったボールがこっちに向かって飛んで来た。
それがよりによってさくらの顔面に当たる。
「いたっ!」
さくらの顔面に当たって弾かれたボールは俺の手の中に。
顔を押さえるさくら。
「ご、ごめんなさい」
駆け寄ってきた子どもが不安そうにさくらとボールを交互に見やる。
おいおい大丈夫か?
子ども相手にキレないだろうな。
するとさくらは優しい顔をして、
「今度からは気を付けるのよ」
「あ、うん。ごめんなさいお姉ちゃん」
俺からボールを奪い取るとそれを子どもに渡すさくら。礼を言いながら駆けていく子ども。
あんな顔も出来るんだなこいつ。
「何よ? まさか子ども相手に怒るとでも思った?」
「まあ、うん」
「バッカじゃないの、そんなことするわけないじゃない。あたしをなんだと思ってるのよ」
自分勝手で傍若無人で周りの目を気にしない奴。少なくともついさっきまではそう思っていた。
そういえば前に流星が言っていたな。「姉さんは誤解されやすい」と。
……誤解か。
「お前ってなんで文芸部に入ったんだ?」
「何よいきなり」
「いや、なんとなく」
さくらは俺から目をそらす。
「別に大した理由はないわよ。みどりと美帆が入ってほしそうだったから入っただけよ」
「そうなのか」
「……そういうあんたはなんで文芸部に入ったの?」
「なんでってお前が俺を文芸部に引き入れようとしたんだろうが」
「でも断ることだって出来たはずよ」
そう言われるとそうなのだが……。
「さあな。俺にもよくわからん」
「何よそれ……?」
あきれた様子のさくら。
本心を言えば、学校の勉強も出来るし何より意外と楽しそうだと思ったからなのだが、これをこいつに言うと負けのような気がするので言わないでおく。
周りの家族を眺めながら三十分くらい休んでいただろうか、さくらが、
「あたしそろそろ行くわ。せっかく来たんだから全部見て回ってくる」
と立ち上がり水族館の方へ向かっていった。
「……じゃあ俺も水族館に戻るかな」
俺はレジャーシートを片付けると三人分のリュックを担いだ。
弁当がなくなった分かなり軽い。
ここの水族館にはジュゴンもいるらしいからそいつを見に行ってみるか。
俺は足取り軽く広場をあとにした。
一人で自由時間を満喫していると、沢山の亀がいる広場の前で高木さんと出くわした。
「あっ真柴くん」
胸の前で小さく手を振りながら駆け寄ってくる高木さん。
「真柴くん、一人?」
「ああ。そっちも一人なのか? 高橋はどうした?」
「高橋さんはまだくらげに夢中なの。もう一時間もくらげの水槽の前にいるのよ、本当にくらげが好きなんだね高橋さん」
あいつ、そんなにくらげが好きだったのか……知らなかった。
表情からはなかなか読み取れないが、今日の水族館楽しみにしていたんだなきっと。
「真柴くんのおかげで高橋さんともだいぶお話できたし、今日は本当にありがとうね」
「別に俺は何もしてないけど……」
「ううん、そんなことないよ。文芸部の人たちもみんな私によくしてくれるし、全部真柴くんのおかげだよ」
真剣な顔でそう言ってくる。
ちょっと気恥ずかしい。
「ねぇ、これから私アシカショーを見に行こうと思っていたんだけど、一緒に行かない?」
「アシカショーか……いいね。行こうか」
「うん」
俺たちは水族館のパンフレットを広げながら、アシカショーの行われている会場へと足を向けた。
「さあ続いてはヒーポくんによるフラフープです!」
ヒーポくんと呼ばれたオスのアシカに向かって、飼育員さんがフラフープを輪投げの要領で投げた。
するとヒーポくんがそれを首に上手くひっかけ、その勢いのままフラフープを回し始める。
「「「おおーっ!!」」」
会場からは拍手と歓声が上がった。
横に座る高木さんも控えめに手を叩く。
「すごいね、真柴くん」
「ああ、そうだな」
俺は高木さんが楽しそうならそれで十分だ。
「では最後はこのボールを使ってバレーボールをしたいと思います!」
「バレーボールだって、どうやるのかな?」
「さあ」
高木さんと二人、アシカショーを観覧していると、
「随分と楽しそうじゃない、良太」
背後から、さくらの声がした。
振り返ると、さくらが腕組みしながら後ろの席に腰を下ろしていた。
「おう、なんださくらじゃないか。お前もいたのか」
「ええいたわよ。あんたたちが来る前からね」
「だったら声かけろよ」
「二人の邪魔したら悪いと思ってね」
なんだそりゃ。っていうかアシカショーをそんな険しい顔して見るなよ。
「あ、ねぇさくらちゃん、ここに座る? 私ずれるから」
高木さんは自分の席を指差した。
「いいわ、あたしはここで。ここの方が見やすいし」
「そ、そう」
……なんだろう、空気がちょっとだけ重い気がする。
「みなさんありがとうございましたー!」
気付くとアシカショーは終わっていた。
アシカのバレーボール見てみたかったのに見逃してしまった。
「あ、じゃあ私はソフトクリームでも食べてくるから今度は二人で見て回ったらどう?」
と高木さんがいそいそと席から立ち上がる。
「ソフトクリームがあるのか、だったら俺も一緒に行くよ」
「えっ……?」
高木さんは戸惑った顔をしてみせた。
「ん、何どうかした?」
「う、ううん、別になんでもない」
首を振るがなんでもないって顔ではない。俺が一緒だと嫌なのかな?
するとさくらも立ち上がり、
「あたしもソフトクリームが食べたいと思ってたのよね。ちょうどいいからみんなで行きましょ」
さくらが先頭切って歩き出した。
俺と高木さんは後をついていく。だからなんでお前が仕切るんだ。
その道中、高木さんが俺の耳元で、
「ねぇ、もしかしてだけどさくらちゃんて真柴くんのこと……」
言いかけてやめる。
「えっ何?」
「……ううん。さくらちゃんてきれいだよね」
「あー、うん、まあそうだな」
見た目はな。
「二人して何こそこそ話してるのよ? あたしの悪口だったら殺すわよ」
先を歩くさくらが振り向きざま言ってくる。
先輩に向かって怖いこと言うな。
「さくらちゃんがきれいだなぁって話してただけだよ」
と高木さんが笑顔で答える。
「ふーん……そう」
さくらは関心なさげに相槌を打つ。
こいつは自分の容姿が周りの目を引くということに気付いているのかいないのかわからないところがある。
さっきだって通り過ぎていった男連中がさくらを見ながら何度も振り返っていた。
まあ、さくらじゃなくて高木さんを見ていた可能性も十二分にあるのだが。
「そんなことよりソフトクリーム屋に着いたわよ」
さくらが振り返る。
「良太、もちろんおごってくれるのよね」
「なんでだよっ」
「こういう時は普通男が女におごるもんでしょ、おごりなさいよっ」
不遜な態度を崩さない。
「あ、私は自分で払うからいいよ」
高木さんはおそるおそる手をあげるが、
「いいのよ、ここは良太に払ってもらいましょ」
頑としてきかないさくら。
「……わかったよ。払えばいいんだろ」
ソフトクリーム屋の前で押し問答するのも迷惑になるし、それにどうせソフトクリームなんて百円ちょっとだろ。
喜んで払ってやるさ。
「お姉さん、ソフトクリーム三つください。トッピングは全部乗せで」
俺が財布を出そうとしているとぱっぱと注文を済ますさくら。
「おい、勝手に注文すんなよ。まだメニューも見てないのに」
「これがおすすめって書いてあるんだから間違いないわよっ」
店頭のポップを指差す。
注文を受け、店の中ではお姉さんがもうソフトクリームを作り始めていた。
「悪い、高木さん。こいつこういう奴だから勘弁してやって」
「あ、私は全然いいよそれで。それより本当におごってもらっていいの?」
「ああ、それは気にしないでいいから」
「二千百円になります」
ソフトクリーム屋のお姉さんが言う。
高っ! ソフトクリーム一個七百円かよ! と頭の中では思ったがさすがに口には出さない。
だがさくらは、
「高いわねー、良太が払うんじゃなかったら買ってなかったわ」
こういうことを平気で店員さんの前で言う。
やめろよ、店員のお姉さんが苦笑いしているじゃないか。
俺はさっさと会計を済ますと、逃げるようにソフトクリーム屋から離れた。
さくらは適当なベンチをみつけて腰を下ろし「ここ座りなさいよ」と言ってくる。
女のくせに足を広げて座るさくら。
パンツスタイルだから別にどうということはないのだが、長い足が邪魔だ。
「さくら、もうちょい足閉じてくれ。座りにくいだろ」
「はいはい」
「ありがとうね、さくらちゃん」
俺と高木さんはさくらを挟む形でベンチに腰掛けた。
「わぁ、おいしい~」
高木さんの言う通りソフトクリームはおいしかった。二千円以上払ったんだ、おいしくなかったら困る。
……。
……。
……。
無言でソフトクリームを食べ進める俺たち。
いつもはうるさいさくらが何も話さないからなんか変な感じだ。
その状況に耐えかねたのか高木さんが口を開く。
「おいしいね、このソフトクリーム」
「ああ、本当だな」
「……」
さくらは黙々とソフトクリームにかじりついている。
「ね、ねぇさくらちゃん。今日はありがとうね。文芸部でもないのに私も参加させてくれて」
「別にいいわよ」
高木さん相手にもタメ口で返すさくら。
コーン部分を口に放り込んで、
「じゃああたし、その辺ぶらついてくるから二人はゆっくりしてれば」
さくらは立ち上がった。
「あ、待ってさくらちゃん」
「何よ?」
「私と真柴くんは友達だからね」
と高木さん。
? 高木さんはなんで今さらそんなことを言うんだ……?
だが、さくらは得心したような顔で、
「ふーん。そうなの……じゃああたし行くわね」
足取り軽やかに去っていった。
さくらの後ろ姿を見送る高木さんに俺は声をかける。
「あいつ変わってるからいちいち気にしなくていいからな」
すると、
「ううん。さくらちゃんは普通の女の子だよ」
高木さんは顔をほころばせた。
いやいや、断じて普通ではないと思うが。
「これ以上誤解させちゃってもあれだから……私も行くね」
前半部分がよく聞き取れなかったが、高木さんはソフトクリームを持ったままベンチから立ち上がると、さくらのあとを追うようにして俺から離れていった。
ベンチに一人残された俺は、今にも溶けて垂れそうになっているソフトクリームをべろんとひとなめするのだった。