第1話
「真柴氏、昨日の走れ雷撃丸見たでござるか?」
隣に座る織田がメロンパンをかじりながら訊いてくる。
「いや、昨日はラノベの新刊の発売日だったから録っておいた。まだ見てないよ」
「だったらレコーダーごと処分すべきでござる。昨日の作画は崩壊なんてレベルではなかったでござるよ。神をも恐れぬ所業でござった」
「そうなのか。頭に入れとくよ」
アニヲタの織田がそう言うのならそうなのだろう。
さすがにレコーダーを捨てるのはもったいないから昨日の回は見ずに消すか。
俺はカレーパンを頬張る。
うん。ここの購買のカレーパンは実にうまい。
「真柴くん、学校にはもう慣れた?」
俺が目を閉じてカレーパンを堪能していると、凛とした声が降ってくる。
見上げると、俺の机の前にクラス委員の高木さんが立っていた。
「ん……ああ、おかげさまで」
「あ~よかった。ほっと一安心」
自分の胸に手を当て、可愛らしいポーズをとるこの女子生徒は高木みさと。
二年一組のクラス委員で容姿端麗、頭脳明晰、人望も厚くて家がお金持ちという四拍子揃った非の打ちどころのない完璧女子だ。
俺が転校してきた三日前から気を遣ってよく話しかけてきてくれている。
織田との仲を取り持ってくれたのも高木さんだ。
「アニメが好きって言ってたから織田くんと話が合うんじゃないかなぁと思ったんだぁ」
「さすが高木氏、お目が高いでござる」
織田が高木さんを両手の人差し指で指差す。
言われた高木さんは、
「えへへ、ありがと」
と髪を触りながら返した。
う~ん。実生活で可愛い女子の生えへへを聞ける瞬間が来るとは……。
いい仕事するじゃないか、織田。
「ところで真柴くんは部活何にするか決めたの?」
「いや、まだなんだ」
「うちの高校必ずどこかの部活に入らないといけないから大変よね」
「そうだな。高木さんは茶道部だっけ?」
「うん、そうだよ。茶道部はお茶菓子が食べられるから決めたの、なぁ~んてね」
生なぁ~んてねもゲット。
アニメなら間違いなくヒロインだな、高木さんは。
「お~い。どうかした? 真柴くん」
俺の顔の前で小さく手を振る高木さん。
危ない危ない、別の世界にトリップしていた。
「あーいや、なんでもない。それより織田はアニメ研究会入ってないんだよな?」
「この学校のアニ研は最悪でござる。有名どころのアニメしか見ていない輩ばかりでござる」
「それって駄目なの?」
首をかしげる高木さん。
「駄目に決まっているでござろう、高木氏! 有名どころのアニメが好きという輩は真のアニメ好きではござらん! だから拙者は泣く泣く映像研に入ったのでござるよ」
「そ、そうなんだ。残念だったね」
こら織田、一気にフルテンションまで持っていくな。
高木さんがちょっと引いてるだろ。
鼻息荒く「まったくでござる」と憤慨している織田は放っておいて、俺は高木さんに話しかける。
「高木さんのおすすめの部活はあるかな?」
「おすすめ? え~っとねぇ……」
口元に手を持っていき考えている姿もまた様になっている。
青春映画のワンシーンのようだ。
「え~っと……逆にここは入らない方がいいよっていうところならあるんだけど」
「それは文芸部でござろう」
織田が割って入ってくる。
「あ、うん。織田くんの言う通り」
「そうなのか? なんで文芸部は入らない方がいいんだ? つまらないのか?」
「う~ん、そういうことじゃないんだけど……なんて言えばいいのかなぁ……う~ん」
口ごもる高木さん。
高木さんにしては珍しい反応だな。
「真柴氏、悪いことは言わないでござるから文芸部には近づくな、でござるよ」
顔をぐっと近づけてくる織田。
ふんふんと鼻息が顔にかかるから離れてくれ。
「わかったわかった。じゃあ文芸部以外の部活を選ぶようにするよ」
「それでいいでござる」
「うん。その方がいいと思う」
織田と高木さんがそこまで敬遠する文芸部。
ちょっと気にはなるがそこは触らぬ神になんとやら、二人のことを信じて文芸部はよしておこう。
まあ、もともと候補には入っていなかったしな。
放課後。
転校生の俺は特別に部活見学が許されているので第一体育館へと足を運ぶ。
そこではバスケ部とバレー部が部活に励んでいた。
「う~ん、どっちも背が高くないとなぁ……」
俺の身長は一メートル七十四センチ。決して低くはないが、部活で活躍できるほど高くもない。
ましてや高校から始めるほどの意欲もない。
「やっぱり中学の時と同じ天文部にするか……」
俺は天文部が活動している地学室へと向かった。
地学室の前に着くと中が騒がしい。なんだろう?
俺はちょっとだけドアを開けて部屋の中を覗いた。
すると中にいたのはミニスカートをはいた化粧濃い目の女子生徒たち。
お菓子片手に、
「超最悪なんですけど~」
「ねぇねぇ、これからタピっちゃわね~?」
「……マジそれさいこー。いぇーい!」
「イェーイ!」
バカ騒ぎしていた。
……。
俺はそっとドアを閉める。
駄目だここは。まるで動物園の猿檻みたいだ。
もっと落ち着いた部活がいいな。
そう思い俺は歩を進めた。
放課後の学校の廊下を一人歩く俺。
野球部の威勢のいい掛け声が聞こえてくる。
俺は静かな方静かな方へと無意識に足が動いていたのだろう、気が付くと人気のない部室棟に足を踏み入れていた。
「こんなところにも部室があるのか……?」
とりあえず突き当たりまで歩いてみると部室が一つだけあった。
ドアには【文芸部】の文字。
「なんだ、よりによって文芸部かよ」
高木さんと織田に入らない方がいいと言われた文芸部の部室に思わず声をもらす。
すると、独り言のつもりだったのだが、静かな部室棟では中の人に聞こえるのに十分な声の大きさだったらしい。
文芸部のドアが開いた。
「……何?」
文芸部の部室から出てきた女子生徒が俺を見上げる。
左手には文庫本を持ち、黒縁眼鏡をかけていていかにも文学少女という感じ。
胸につけた校章が二本線ってことは俺と同じ二年生か。
「あ……いや、えーと……」
「……見学?」
「まあ、そんなとこ……です」
動揺していたせいでタメなのについ敬語を使ってしまった。恥ずかしい。
「……入って」
「あ、ああ……」
女子生徒に促されるまま俺は文芸部の部室へと入った。
普通の教室の三分の二くらいの広さだろうか、中には長テーブルが四つあり正方形になるように並べられていた。
女子生徒はその端っこにあるパイプ椅子を引いてすっと腰掛けた。
持っていた文庫本を開く。
「……」
「……」
沈黙の時間が流れる。
さすがに耐えきれなくなった俺は、
「あのさ……俺、真柴良太っていうんだけど、名前は?」
「……高橋美帆」
文庫本から目を離さず答える女子生徒。
「文芸部って一人なのか?」
「……違う」
「じゃあ何人いるんだ?」
「……違う」
「え……何が違うんだ?」
「……違う」
なんだこいつ。
RPGのキャラみたいに同じことしか言わなくなったぞ。
ゲームでは普通だが、実際に目の当たりにすると怖いからやめてくれ。
堪らずに俺は文芸部のドアに手をかけようとした。悪いな高橋、文芸部はパスだ。
その時、
「……文芸部じゃない」
高橋が「違う」以外の言葉を喋った。
振り返ると高橋がじっと俺をみつめている。
「え?」
「……校則では四人以下は同好会。ここは部員が四人だから正しくは文芸同好会。文芸部じゃない」
長々と喋ったと思ったらどうでもいいことだった。
「ふ、ふーん、そうなのか」
「……あと一人入れば部に昇格できる」
「まあ、そうなるな」
「……あと一人入れば部に昇格できる」
「それはわかったよ」
「……あと一人入れば――」
「部に昇格できるんだろ。わかったからもういいよっ」
高橋は前に向き直りまた文庫本に視線を落とした。
なんだろう。
すごく疲れる。
「……これ」
高橋は一枚の紙をそっと長テーブルに置いて差し出してきた。
見るとそれは入部届けの用紙だった。
「……気が向いたら来て」
「あ、ああ」
俺を文芸部に勧誘しているのか?
断るのも大人げないので、
「じゃあとりあえずこれはもらっとくよ」
と俺は入部届けの用紙を受け取った。
制服のポケットにしまい込むと、
「じゃあな。俺帰るから」
「……」
一人文庫本を読みふける高橋に別れを告げて、俺は文芸部……もとい文芸同好会の部室をあとにした。