第五話-9
河童を拘束した冬雪だったが、スチュワート兄妹をすぐに解放したわけではなかった。彼は河童を、二人に会わせたくなかったのだ。止血したのち意識を刈り取り、特別情報庁の回収チームが来るのを待つ。
冬雪が特別情報庁に加入した理由は無論イヴリーネを倒すためだが、首都に居を構えていながら他の任務がないわけではない。特別情報庁にとって、スチュワート家は保護対象だ。大手新聞社管理職の両親と二人の子供、プロパガンダやそれに類するものをばら撒きたい者がいれば、利用したいと目論むだろう。例えば、今回の河童のように。
冬雪には、スチュワート兄妹の安全を守り、そのような者の手に委ねるな、という任務が常に存在していた。長期間の潜入などはこの任務と相反するため疑問の余地はあったが、その間は特別情報庁が、別の手段で二人を保護することになっていたらしい。
今回の彼は、その任務に失敗した、と特別情報庁は判断するだろう。冬雪としても異を唱えるつもりはないが、そうなると、現在の住居を使い続けることができるか、という心配がある。転居にせよ成功報酬の減額にせよ、何らかの処分はあるとみるべきだろう。
冬雪が河童を特別情報庁に任せると、ほどなくして数台の警察車両が集合住宅の前に到着した。トパロウルを経由してスチュワート兄妹の居場所を掴んだ特別情報庁が、情報を警察内部にリークしたのだ。
スチュワート兄妹を保護した警察が集合住宅の傍を離れると、現場の様子を見ていた冬雪の隣に、一人だけ警察の捜査官が残った。
「なるほど、あなたでしたか」
というが、冬雪は彼を知らない。
「失礼ですが、どこかでお会いしましたか?」
「いや、私が勝手に知っているだけでして。しかしこう言えばあなたなら分かるのでは? ──スペシャリストの助手だと」
むしろ分からない方がもぐらだろう。スペシャリストは特別情報庁工作員を示す隠語、その助手といえば、協力者のことだ。
「いやあ、良かったですねえ、子どもたちが無事に救出できて。私の雇い主が、この事件の捜査の前に話してくれたんですよ。今回の捜査、現場に優秀な部下を配置する、とね。まさかこんなにあっさり犯人の潜伏先を突き止めるとは思いませんで」
「優秀な部下ね……」
そもそもこの誘拐は、冬雪の不手際で発生したものだ。その対応に配置した部下を優秀と評するとは、トパロウルなりの皮肉のつもりだろうか。
「それで、ボクに何か用件でも?」
「いや、特にそういうわけではないんですがね、雇い主の言う優秀な人を一目見ておこうかというだけでして」
「ただの無駄話ですか」
「そうなりますねえ。しかしあの男、一体いつの間にどこへ逃げたんですかねえ」
河童の身柄を特別情報庁が既に拘禁していることは、警察には伝わっていないらしい。冬雪としても、適当に回答をはぐらかすしかなかった。
「身代金を回収しに行ったら、その隙に人質を奪還されたのかもしれませんね。これ以上計画を続けるわけにはいきませんし、だとしたらもう、ここには帰ってこないでしょうね」
「惜しいなあ、それなら我々は、今度はあなた方より先に犯人を見つけ出してみせますよ。それでは」
そう言って去っていく協力者は、冬雪の横を過ぎる際、一言だけ残していった。
「先日も責任をこちらに押し付けてくれましたね。いずれお礼参りに伺いますのでそのつもりで」
臙脂色の紋章が入ったバッジが、一瞬だけ見えたような気がした。
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