第四話-10
「シャロン会長は、どこへ行かれてしまったのでしょうか……?」
冬雪がカードを手に取ると、受付の女性が恐る恐る覗き込む。
「このマーク、恐らく司法省公安外局ですね」
「公安外局!?」
公安外局は、情報革命以前に共和国の防諜を担っていた司法省情報公安委員会の後継組織だ。情報公安委員会自体は、外務省中央情報局と合併して特別情報庁になったが、公安外局はその一部の機能を残し、主に共和国内の過激派組織や犯罪組織の捜査を担う機関だ。特別情報庁より表立った活動を行うことが多いが、状況によっては影にも潜むと言われる。
特別情報庁の防諜工作員たちからは、その成り立ちや性質故に現場でバッティングすることもある面倒な相手という認識で、実は互いに疎んでいる面もある。さすがに特別情報庁の長官と公安外局の局長が議会で牙を剥きあう、などとあからさまな対立は見せないが、現場レベルでは今回のように、責任を押し付け合うこともままある。
「もしや旦那様、公安外局に目を付けられていたのでは……」
「そ、そんな!」
記憶を漁ったところ無実だった銃持ちの使用人を連れ、冬雪がシャロン邸に帰ると、フレデリカが顛末の報告を求めてきた。
「すみません、どうやら公安外局に連れて行かれたようでして、実情を確かめることは叶わず……まあ、連れて行かれたことが答えとも言えますが」
「どうもそのようね……」
「私たちは結局、情報のプロなどからしたら所詮一般市民です。私たちが気付くようなことは、彼等もとっくに気付いていたのでしょう」
アデラールの話が一段落すると、冬雪はフレデリカに、この後どうするのか、と尋ねられた。
「私はシャロン財閥を解体して、いくつかの独立した企業にするつもり。シャロン魔石鉱業は私がこれからしばらく見ていくけれど、それ以外の会社は誰かに任せるわ。シャロン魔石鉱業もいずれは誰かに引き継いで、私は財閥の会長令嬢だとか社長だとかの肩書を下ろそうと思っているの。あなたさえ良ければ、これらの仕事を手伝ってほしいのだけど……」
「ありがたいお話ですが、今回はお断りします。元々使用人は、以前いた工房に立て直しのために暇を出されたために、短期間のつもりで志願したのです。私には使用人などより、魔道具の方が天職ですから」
「それなら、いずれ私の会社とも取引があるかもしれないわね。そのときは顔を出しなさい」
「機会さえあれば、是非に」
冬雪の教育係だったセオドア・ヴェルニッケは、別れの挨拶もそこそこに、今後の身の振り方を相談してきた。
「グランテール君聞いたかい? お嬢様の手で、シャロン財閥が解体されるそうじゃないか。僕は旦那様のいるシャロン財閥のために、ここで働いてきたんだ。それが認められて銃を持てたと思ったらこの仕打ち、あんまりじゃないか?」
「そういう文句は是非公安外局に言ってもらいたいものです、私に泣きつかれましても」
公安外局にはとんだとばっちりである。
意外にも、シャロン邸で最も冬雪との別れを惜しんだのは、フレデリカ専属のメイド、ルナ・アルテミエフだった。彼女は冬雪が使用人として勤める最後の日、フレデリカを抜きにして彼をバルコニーへ誘ってきたのである。
「あなたがお嬢様の傍から片時でも離れる行動を取るとは、過労で熱でも出したのではありませんか?」
軽くからかってやると、アルテミエフはそれとなく無理やりに話を逸らした。
「その言葉遣い、いつまで続けてるんですか? 私の方が一つ年下なのに」
「年齢はともかく、ルナさんは私には職場の先輩ですから」
「明日には先輩ではなくなります」
「今日はまだ、明日ではありませんよ」
短い静寂が訪れ、ティーカップとソーサーが触れ合う音が夜風に流された。
「もっと長く、一緒にお仕事できると思っていました」
「お嬢様にもお伝えしましたが、この仕事は初めから、短期間のつもりでしたので」
「随分落ち着いているんですね」
「昼間のうちに、ほとんどの方には挨拶を済ませています。それに、たかだか一八年の人生で、私は多くの生別と死別を経験してきました。死別はともかく、生別であれば、今後また会うこともあるでしょう」
「私とも、また会えますか?」
「お嬢様が、魔石鉱業の事業を続けるそうです。私は魔道具工房に戻ります。あなたがお嬢様の傍にある限り、いずれそういった機会も訪れるでしょう」
「それなら、今はそれで納得します」
以上のようにして、冬雪の初の長期任務が終了した。特別情報庁からは、普段の細々とした任務とは比べ物にならないほどの成功報酬が出たし、長期間の休暇も与えられた。さらに言えば、アルレーヌの屋敷で動かしていた魔石の自動生産装置も大量の魔石を生産していたし、魔道具屋としても儲かったと言える。
だが、吉が出れば凶が出る。与えられた休暇ののち、冬雪に訪れた凶というのは、彼が三等工作員に昇進して以来初めての、大きな失敗だった。
何年先の未来でも、とても笑っては済ませないほどの。
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