第四話-8
アデラールがエンケラドス荘園と商談を行う前日の夜、冬雪はシャロン財閥本部の見える高層建築物に上っていた。時間がないため、金庫に侵入して取引の証拠を盗み出す強硬手段に出ることにしたのだ。日中にアデラールが本部に足を運んだ際、金庫に出入りしているのは呪容体で確認済みだ。そのときに、シャロン邸の金庫に保管されていた帳簿をシャロン財閥の金庫に移動させたことも。
(シャロン邸にあったならその間に入手しておくんだったかな)
侵入の難易度だけを考えるのであれば、無論そうするべきだったのだろう。だが冬雪は、この考えを即座に頭を振って追い払った。
任務の目的は、アデラールと連邦のスパイを生きたまま拘束することだ。帳簿が消えていることに気付けば、アデラールは商談を中止するだろう。それならそれでスパイがアデラールを切り、処分しようと出てくるかもしれないが、万が一にも口封じに成功されては困るのだ。手を下すのが取引を行っている本人ならまだ情報源を確保できる可能性はあるが、もし別の人間を送り込んでくるとなれば、捕えても大した情報を与えられていない可能性がある。
アデラールと連邦のスパイを同時に捕らえるにはどうすればいいのか──取引の現場に乗り込むのが最も簡単なのだ。現場を押さえてしまえば、捕縛は児戯も同然だ。そこに証拠品として帳簿を添えておけば、任務としては不足ない。
そしてその帳簿の確保だが、これは一筋縄ではいかない。前述の通り、金庫室には夜間でも警備が配置されており、侵入者があれば即座に拘束されてしまう。エネルギーを探って調べたところ、人力の警備と金庫扉以外のセキュリティは存在しないので、警備と金庫扉さえ無力化してしまえばいいのだ。
金庫の扉は、必ずしも解錠する必要はない。冬雪なら、転移魔術とエネルギー検知で回避できてしまう。出るときには、どこか適当な場所に転移してしまえばいいのだ。
「それじゃあ始めようか」
行動方針を決めると、冬雪は行動を開始した。
冬雪は銀魔力をロープのように使ってシャロン財閥本部の屋上に跳び移り、目的の階がある高さまで下りていく。金庫室前の壁は窓がないため、警備の人間に視認されることはない。エネルギーを検知して外壁から金庫内までの距離を測ると、転移魔術で壁と扉をすり抜け、金庫内部に侵入。棚を見ていくと、目的の帳簿はあっさりと見つかった。
今度は銀魔力を手袋のように手に薄くまとわせ、帳簿を慎重に手に取る。中を確認したところ、これが連邦スパイとの取引を記録した物であることは間違いないようだ。いつどんな情報を提供し、見返りに何を提供されたかが記されている。
これで証拠は手に入れた。そしてそれを持って金庫を脱出──当たり前だが、そんなことはしない。
商談の日、取引の情報が記された帳簿が消えていたらアデラールはどう思うか。何者かに取引がばれたと理解し、商談を中止してしまうかもしれない。取引を行っている証拠は手に入れたので、アデラールの方はいつでも逮捕できるのだが、スパイの方は雲隠れしてしまうだろう。やはり手っ取り早く、商談を現行犯で押さえるのが最善だ。
実は冬雪は、物質操作魔術の応用で、物体を複製する技術自体は持っている。時間さえあれば帳簿を複製して片方を戻し、片一方を持ち去って特別情報庁に提出することもできるのだ。だが今は、その時間はない。書き込まれた帳簿ほど複雑な物質構成をしていれば、複製するのに一日かかる可能性もある。さすがにそんな危険は冒せない。
冬雪は、コートの懐から小さなカメラを取り出した。第一世界空間で言うマイクロドットカメラとほぼ同様のものだ。それを使い、帳簿のページをちまちまと写真に収めていく。冬雪は役割上あまり行う機会のない地味な作業だが、工作員の仕事といえば、基本的にはこんなものだ。
充分な枚数の写真を撮ると、冬雪は帳簿を元の位置に正確に戻し、念のため数日で自己分解するように組んだ呪容体を付与すると、そのまま転移魔術で金庫室を脱出した。
次回、ついに逮捕です。よろしければ、作品のブックマークやいいね・レビューなど頂けますと幸いです。