第四話-2
使用人生活三日目の夜、冬雪が食堂の清掃を手伝っていると、彼は夕食後のフレデリカに呼び出された。呼ばれた先は、屋敷の二階に設置されたバルコニーだった。椅子とテーブルが置かれており、四人まで着席できるようになっている。テーブルには、三人分のティーセットが用意されていた。
シャロン邸で会合が行われる際、招待者はほとんどの場合、アデラールだ。普通は応接室や客室を使い、食事を挟む場合なら食堂を使うこともあるが、バルコニーは会話の内容が盗聴されやすかったり、防御が難しいなどの理由があって、あまり使用されることはない。バルコニーを使うのは、主にフレデリカで、彼女は時折、ここでアルテミエフを伴って紅茶を飲むことがあるという。
「しかし、なぜ私をここに?」
「あら、昨日言わなかった?」
昨日言った、ということは、「あなたさえ良ければ、ルナと仲良くしてやって」という一言のことだろう。あれ本気だったのか、と呟きかけて自制すると、冬雪はその意図を考え──やめた。彼が得意なことではないし、任務にはさして重要ではないことだ。むしろここはフレデリカの意に従うことで適当に信用度を上げ、情報収集をしやすくするのがいいだろう。
「楽にしてくれていいわ。今日はあなたの話を聴きたいだけだから」
「そんなに面白い話もないと思いますが……」
特に裏はなく、ただ新入りに興味を示されただけのようだ。座るように言われたので、手近にあった椅子を引いて腰を下ろす。冬雪がバルコニーへ着いた際に一度立ち上がったが、アルテミエフも自然に席に着いていた。いつもの光景であるらしい。
冬雪が座ったのは、アルテミエフの正面だ。さりげなくフレデリカの正面を避けているあたり、スペシャリストだろうとなんだろうと、結局彼も一端の庶民なのである。
「ホルト・グランテール……お父様に何か、失礼なことを言われなかった?」
というフレデリカの問いで、夜のティータイムは始まった。やはりそれは気になるだろうな、という感想が前に来る。冬雪自身、悪趣味な名前を第二の偽名に選んだものだと、呆れるほどだ。思わずといった風に、アルテミエフがフレデリカを諫めにかかる。
「フレデリカさま、いきなりご質問が……」
「構いませんよ、よく言われることですので。実際、不吉な名前ですからね、呪いに似た響きは」
「ホルトとホルテク、どちらかが語源とも言われているくらいだものね」
「流石です、お嬢様」
卵が先か鶏が先か、という問題に似た話だが、考えても仕方ない。ちなみに、グランテールという姓は風に由来する。コードネームの『呪風』をそのまま偽名に使ったことで、『断狭』にはかなり渋い顔をされた。本気か、とまで言われる始末だ。だったらボスが考えてくださいよ、と要求したところ、提案されたのはなかり地味で掴みどころのない名前だった。こうして会話のネタになるのだったら、却下して正解だった、とほくそ笑む冬雪である。
ティータイムは進む。フレデリカが質問し、冬雪がそれに答え、所々アルテミエフが相槌を打つ形式だ。ホルト・グランテールは冬雪夏生とも別の人間である以上、ほとんどの質問は設定で答えるしかなかったが。嘘を見抜く微精霊を連れる岩倉が同席していたら、全力で笑いを堪えていたことだろう。
「するとアルテミエフさんは、今年で一七歳だったのですか」
「はい、ですので私のことは、目下だと思っていただいて構いません」
「いや、さすがにそういうわけには」
「あと、呼び方もルナで大丈夫です。お屋敷の皆さんもそうしています」
「ぐいぐい詰めてくるなあ……」
前日会ったばかりの同僚の少女にやや気圧され気味の冬雪。これはアルテミエフの勢いが強いというより、彼が普通の同年代の少女の対応の仕方を心得ていないのが原因だ。あしらい方は多少心得ているのだが。妻のアーニャと二〇代前半で結婚したヴェルナーなどが同席していたら、にやにやと笑いながら小突いてきたことだろう。
(この任務、潜入を一人で任されて良かったかもしれないな)
想像できる『幻影』の同僚に、助けてくれそうなメンバーが見当たらなかったことに、冬雪は内心でがっくりと肩を落とす。少女を名前で呼ぶことは慣れているので抵抗があるわけではないが、ヴェルナーが小突かなくても、フレデリカが二人のやり取りを微笑ましそうに傍観しているのだ。これ以上野次馬が増えては敵わない。
何度でも主張するが、冬雪は道具開発と戦闘が主な役割なのだ。こうなったら、ヴェルニッケに銃を突きつけられてもいい。敵を瀕死にする瞬間より精神を削られるこのティータイムから、もう誰でもいいから一刻も早く助けてほしかった。
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