第三話-1 アルマニア
下船時に一度別れ、アルマニア国際港の入国審査を通過し、冬雪と岩倉は再度合流した。
「ここから襲撃が激化するとかあったら、今度こそ任務投げ出して帰りたくなりますね」
「対外情報局にとっては本国だからね、ありえない話じゃない。まあでも、入国はできたことだし、ひとまずは安心だね」
「伝説があると楽ですね」
ここで言う伝説とは、語り継がれる壮大な物語などのことではない。諜報機関における伝説とは、身分を偽装するために、実際にその身分で生活した事実のことだ。冬雪は魔道具屋、岩倉は私立探偵の職がこれに当たる。
特別情報庁の工作員の中には伝説を更新し続けるため、常時その仕事に就いている者も多い。冬雪は魔道具屋、岩倉は私立探偵、『幻影』のメンバーである『冷鳴』ヴェルナー・アイスナーは大学の事務員だし、その妻である『烈苛』アーニャ・イルムガードは通訳者だ。
「分かっていましたが、暑いですね」
「赤道超えて南半球だからねーぇ、共和国と違ってこっちは真夏だ。さて、これからこっちでの行動を開始するわけだけど」
「その前に、協力者に会いに行くことになってましたね」
そのためには足が必要だ。これは特別情報庁が既に手配を行っており、港の駐車場には自動車が一台用意されていた。その車種には少々思うところがあったが。
「マーキュリー、か……」
昨年五月、防諜任務で捕まえたスパイの車が、先進国家連邦製ジュピテル社のスポーツ車、『マーキュリー』だったのだ。まあそれは正直どうでも良くて、冬雪が微妙な顔をしたのは、マーキュリーが二人乗りの自動車だからである。
「今からでももう一台用意できないかな?」
「キミ、日本では私の車の助手席に乗ってなかったかい?」
「当時と今では事情が違いますからね。あとで自腹でいいから一台借りておこうかな、連邦で共和国の車は目立つから、エルステラかジュピテル……ジュピテルのネプチューンとか乗ってみたいな」
共和国で岩倉の乗る車は、ウォンデル社のフューレ273、同等の車両を連邦製で探すのであれば、ちょうど今目の前にいるマーキュリーが該当するだろう。では連邦のフレイルは何か。多分ネプチューンだ。小柄なセダンで体格も近い。
「冬雪君、そろそろ行かないかい?」
色々と車のことを考えながら、仕方なし、と冬雪は助手席に乗り込んだ。連邦は右側通行であり、共和国とは運転席の左右が逆になる。どうも慣れないが、安全運転で、と岩倉に念を押し、渋々シートベルトを締めた。
「……いや、絶対車選び間違えてるだろう、これは」
幹線道路を走行中、周囲を見渡した冬雪はぽつりと呟いた。よくよく考えれば、マーキュリーはスポーツ車、一方連邦で最も多い車両タイプはステーションワゴンなのだ。セダンですらがそこにいるだけで物珍しそうに見られる昨今、スポーツ車の目立ち具合といったら。
そうなるとセダンのネプチューンも封じられる。潜入活動中のスパイが目立ってはいけないのは常識だ。可能な限り目立たない車を選び直さなければならないが、さてどうしたものか。
「でもこの車、小回り効きそうだよ」
「試さなくていいですからね。何もないのに公道でドリフトとか絶対やめてくださいよ」
「そう言われると、なおさらやりたくなってくるねーぇ。この車は《オートマ》だけど、多分やろうと思えばできるよ」
「運転代わりましょうか」
やはり自分用にも一台車を用意してもらおう。ジュピテルのステーションワゴンなら、ルナが良いかもしれない。過去の任務で面識を持った使用人の少女を彷彿とさせる自動車を思い浮かべながら、冬雪は目的地に到着した。
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