第一話-4
『氷山』と『影法師』は、それぞれのチームに分かれて行動を開始した。チームメンバーを混ぜる案も『氷河』は考えたが、面識のないメンバーを組み合わせて連携が取れるとも思えず、何より本来は他国のスパイチーム同士である。情報漏洩のリスクを考えても、ここはそれぞれのチームで動くべきだ、と合意したのだ。
『影法師』は、『アヌビス』を筆頭にして、先進国家連邦首都バーティアで活動を開始した。国防情報庁の張り巡らしている諜報網を使用し、『黒羽』もとい『黒死蝶』の行動形跡を調べ上げる。現状、三大国で最も諜報に優れた情報機関は帝国の国防情報庁だ。対して防諜面に軍配が上がるのは共和国の特別情報庁である。
『黒死蝶』もスパイである前に一人の人間である以上、食事や休息をする場所は必要だし、共和国の防諜員に負わされた怪我の治療を、どこかで行っている可能性も高い。
連邦に潜ませた協力者が入手した情報を、連絡係が『影法師』の拠点に運び、メンバーが精査。稀に対外情報局に寝返っている協力者がいるので、この情報は廃棄する。外国諜報ではありがちな話だ。
そんな中、『アヌビス』は現在、一人の若い男と二人きりでホテルにいた。
これは決して、仕事をさぼって男をついばんでいるのではない。情報収集の一環で、『アヌビス』を含む数名は、直接対象と接触して情報を提供させる手段を用いることがある。
派手な格好をしたこの若い男は、こう見えて、医療機関の理事の息子だという。『黒死蝶』の目撃情報を探していたところで発見し、「あんたがオレの相手をしてくれるなら喋ってもいい」と言ったのだ。
「緊縛が好みでさ」
男は裸の『アヌビス』を縄で縛りながら舌なめずりした。
「遊んでそうな女がオレに縛られてよがってるのがそそるんだよ。今からあんたの敏感な部分を可愛がってやるが、簡単にイクなよ?」
男がナルシシズムにまみれた台詞を吐いた直後、『アヌビス』はぞっと全身が粟立つような怖気を感じ、ベッドの上で後ずさった。だが、縄のせいで動けない。若い男の持て余すような性欲に犯される怖気ではない。もっと生物として根源的な、生命の危機を知らせるスパイの本能。
現在の『アヌビス』は、服の代わりに縄が全身を縛っている状態。丸腰どころではない。相手は医療機関の理事の息子のはずが、今は一般人には見えない。
『アヌビス』は情報を諦め、魔術魔法の内でも特に初歩的な魔術──魔力による発火を使って全ての縄を焼き切ると、嗜虐的に笑う男から距離を取った。
「はん、なんだもう気付いたのか。やっぱ魔法の国のスパイってヤりづれえわ。味見すらできねえのかよ」
この期に及んでまだ肉欲から離れようとしない男に呆れるが、今この状況で『アヌビス』が次にとるべき行動は何か。この男の制圧だ。だが『アヌビス』は、同時にこの男が只者でないこともうっすらと感じていた。並みの工作員では、『アヌビス』の目を誤魔化して、ここまで正体を隠し通すことはできないはずだ。
「……何者なの?」
自然と零れていた疑問。しかしここまで正体を隠し通していたことで、逆に見当が付いていた。できれば外れてほしかったが、どうもそういうわけにもいかないようだ。
「『土蜘蛛』。こいつがオレのコードネームだ」
即座に『アヌビス』は方針を転換した。ホテルのベッドに炎を放ち、『土蜘蛛』の視界を遮った三秒の間に素早く服を身に纏い、装着した通信機で仲間に救難信号を送る。『アヌビス』は情報収集が専門であり、交戦は得意ではないのだ。
対して『土蜘蛛』といえば、連邦の最精鋭のチームの一人、『閻魔』は名が知られている全員が化け物じみた戦闘力を持つ。『アヌビス』にしてみれば、分が悪いどころの話ではない。制圧の方針を再度転換し、彼女は逃走を選んだ。
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