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迷子と北極星

作者: 綾城郁

ChatGPTにお題出して、って言って出されたお題「迷子」「音楽」「星」に基づく三題噺。

 その朝は瑞々しくひんやりとした空気が山間部の小さな観光地を覆う、空の青々と晴れた朝だった。吹奏楽部の夏合宿のためにこの地を訪れていた僕は、こっそりと合宿施設を抜け出して、静かな街中を散策していた。冬場はスキー客を受け入れて大いに賑わうというこの街は、その季節を終えると、まるで世界が滅んでしまったかのように、人気がなくなる。


 世界で自分だけがこの空気の味を知っているような、ささやかな高揚感を持って、あてもなく道を進んでいく。気の向くままに、右に、左に。自分がどこにいるかも分からないようなところまで。……これを多分、道に迷っているという。


 見知らぬ土地で、ちょっとの散歩のつもり、とスマホも持たずに、迷子になってしまった。そんな折に、ピアノの音色が聞こえてきた。下手なわけではない。むしろ、多分上手。粒が揃っており、全体の流れがはっきりと聞き取れ、乱れもない。ただ、知らない言語で語りかけてくるような耳に馴染まないメロディと音の重なりが、落ち着かない。それでも、素敵な詩を語っているに違いないと思わせる文脈のようなものがある、そんな曲だった。


 ついでに道を聞けたら幸運。そう考えて、僕はその音楽の誘いについていくことにした。


 果たして、レースカーテンが揺れる向こう側に、アップライトピアノを弾く人の影が見えた。楽曲はクライマックスへ向かっているのだろうか、最初に聞こえてきたメロディが華美に装飾されながら、再び聞こえてきている。曲が終わってしまうのを惜しむように切なげに弱く緩くなっていく音を窓の外からじっと聴いている僕は、多分、相当な不審者だったと思う。最後の一音の余韻までじっくりと味わった後、ピアノ椅子の上の人がこちらに顔を向けた。


「目があったな、少年」


 その人は椅子から立ち上がり、カーテンを捲るなりそう言った。僕は、部屋を覗かれて気分がいいわけがない、と気づき、ごめんなさい、と口走った。しかし、その人は不快そうな表情をするどころか、ニコリと口角を上げていた。


「別に怒ってないよ。むしろ、聴いてくれてありがとう」


 なんとも、不思議な雰囲気の人だった。大学生くらいか、もう少し上、少なくとも20代前半に見えるが、老紳士のような余裕さえ感じる。声質も背格好も中性的で、目の前にいるのに幕が間に挟まっているような気さえした。この人が実は異世界から舞い降りたエルフだ、と言われても多分信じただろう。


「それで、もし君が良ければなんだけど、少しお話をしない?」


 知らない人の家にそんなほいほいと入っていいものか、逡巡。とはいえ、こんな物語の一幕のような瞬間に抗えるほど僕は強くない。


「はい、是非」


 導かれるままに、僕は玄関からその家に足を踏み入れた。まるで、光に誘われて集まる蛾のよう、と少し思った。


「ちょっと待ってね、飲み物を用意しよう」


 その人……イツキさん、と後で名前を聞いた、は、水道から電気ケトルに水を注ぎ、スイッチを入れた。部屋は、広めのワンルームといった印象で、仕切りがない。玄関から見て左側は、あまり使用感のないキッチン、カップ麺の器が置きっぱなされているテーブル。その奥の壁際には雑に蹴ってまとめたようにくしゃっとした掛け布団が乗ったベッド。


「紅茶は飲める? といっても、紅茶しかないんだけど」


 僕は、はい、と頷く。スーパーで売っているのとは違う、花柄の袋に入った高級そうなティーバッグがテーブルに置かれた。それから、カップ麺の亡骸に気付いたのだろう、おっと、と呟いてそれを取り、足元のゴミ箱に落とした。


「やっぱり、朝は紅茶が良くない? 君はコーヒー派?」


 家の朝食で飲むのはいつも牛乳です、といったら笑われるだろうか。ただ、適当に嘘をついても見透かされるような気がした。


「どちらかというと紅茶です」

「ふむ……ああ、朝はオレンジジュースとか飲む派ってこと?」

「牛乳ですね」


 なるほど、と言うと、イツキさんは戸棚からマグカップを二つ取り出してきた。一方は見覚えのないうさぎのキャラクターが描いてあり、もう一方は星座が描かれている。ティーカップじゃないんですね、と聞こうかと思ったがやめておいた。


「このマグカップはねえ、百均で買ったやつ」

「器とか拘らないんですか?」

「いやあ、前に有名なイギリスのメーカーの茶器を買ったんだよ。引っ越し記念に」


 戸棚もベッドも、ちょっと高級感のある装飾付きのものだったので、食器も良いものを使いそうなのに、と思ったが、その予想は違っていなかったようだ。僕のその反応をじっくり楽しむように待った後、イツキさんは言葉を続けた。


「1週間経たずに割っちゃった、2脚とも。だからね、もう、割れてもいい(やっす)いのと、落としても割れないプラ製ので食器は統一することにした」


 それから、まあ、そもそも自炊しないから食器使ってないんだけど。と、自嘲するように付け加えた。ちょうどそのタイミングで、カチッと音が鳴り、湯沸かしが終わったことが伝えられた。お湯をマグカップの中ほどまで注いで、流しに持って行って捨てる。


「あ、牛乳とか注ぐ?」

「せっかくなのでそのままで飲んでみます」


 イツキさんは、オーケー、と言いながら、マグカップに今度はしっかりとお湯を注ぎ、ティーバッグを沈めた。小皿をその上から被せ、テーブルの中央に置いてあった二つの砂時計の小さい方をひっくり返した。5minと書いてある。なんとなく、テーブルの端に置いてあって、落として割れたもう一つの砂時計があったんじゃないかと思った。


「砂時計のある生活、ちょっと良くない? 紅茶を蒸らしながら、砂時計と睨めっこするこの時間、好きなんだ」

「確かに、時間がゆったり流れるような感じがします」


 何もしないをしている時間、とでも言うのが相応しいか。普段の生活では、トースターに食パンをセットして、その間に別の作業をして……と少しでも朝の時間を効率よく使おうとしてしまうから、この余裕のある感じは得難い。


「紅茶って苦いイメージがあるかもだけどね、それはお湯の温度が低いかららしいよ」


 曰く、沸騰してすぐじゃない、温度の下がったお湯を使うと、渋み成分が出てしまうらしい。日本茶は逆に、ちょっと温度を下げてから淹れるイメージなので、意外に感じた。


「だから、さっきやったみたいにカップを温めてから淹れて、温度が下がらないように蓋しておくといいんだって」


 さらさら、キラキラ、と砂が落ちていく。紅茶を淹れるのにも一手間加えて、砂時計を眺めて待つ、そんな生活をしていたらこの人みたいに悠然とした雰囲気になるのも少し納得できる。


「君はこの街になんの縁があって来たの? 夏に観光に来るような場所でもないと思うけど」

「吹奏楽部の夏合宿で」

「おお、音楽人。君はなんの楽器をやるの?」


 音楽の話ができると思ったのだろう、声に嬉しそうな感情が乗ったのがわかった。


「クラリネットです」

「花形じゃん、いいねー。コンクールに向けて猛練習中! って感じかな」


 そんな感じですね、と答える。うちはそこまでコンクールに熱心な学校ではないので、この人が経験したのかもしれない吹奏楽部ほどの猛練習はしていない気がするけれど。砂時計を見ると、ちょうど砂の落ちる線が途絶えるところだった。途切れていく様に、少しの寂しさを感じた。蓋を外すと、砂糖も入れていないはずなのに甘いような香りが立ち上がった。


 確かクッキーがあったはず、と言いながら、イツキさんは冷蔵庫を開けた。それなりのサイズの冷蔵庫なのに、中身はスカスカなのが見える。しかも、入っているのもカップ麺やら袋麺、それに、今取り出してきた、コンビニでも見かけるようなクッキーなどのお菓子類だ。冷蔵庫に入れなくても良さそうなものしかないが、多分食べ物は全部冷蔵庫に入れておく、みたいな感じで決めているんだろう。なんなら、買ってきた肉を常温で置いてて腐らせた程度のエピソードが出てきても驚かない。


「今日の朝食はこれかなー」


 紅茶を丁寧に淹れるのに、食事は雑なようだ。イツキさんは、箱を開けて中身を取り出し、包装を雑に開く。そして、一つ摘んだ。


「合宿中なら、そんなにのんびりはできないね」

「まあ、まだ大丈夫だと思いますけど……今何時ですか?」


 えーと、と呟いた後、イツキさんは辺りをキョロキョロと見回した。掛け時計はない。置き時計もなさそうだ。それからベッドの方に行き、枕元をまさぐった。懐中時計でも探しているんじゃないだろうか。この人なら持っていても納得してしまう。


 お目当てのものは見つからないようで、今度は玄関より右側、アップライトピアノがある窓際を軽く見渡し、その反対側の壁のデスクへ。音楽関連で使うのだろう、いかにも高性能そうなPCが中央に鎮座しており、それ以外のすべての隙間を埋めるように、大量の本や紙が積み上がっている。その中にお目当てのものを見つけたようだ。あった、と小さな声が聞こえた。それから、小さな板……いうまでもなくスマホ、を手に取った。


「今はね、6時10分くらい」


 宿を出たのが5時半とかだった気がするから、思ったよりは時間が経っている。朝食が7時からで、それまでには戻っておきたいので、それほど余裕はないようだ。


「宿までどれくらい?」

「あー……実は、スマホを置いてきちゃってて、道がわからなくて」

「あはは、迷子? 調べてあげる」


 イツキさんは席に戻ってきて、慣れた手つきで地図アプリを開き……地図アプリを開くのに慣れも何もないが……なんて名前の建物? と聞いてきた。それに答えると、ルートを検索し、その徒歩のルートを表示した。


「20分くらいの距離らしいね」


 じゃあ、とイツキさんは先ほどとは違う方の砂時計を逆さにした。10minと書いてある。すーっと、砂が糸を紡ぎ始めた。


「夜の延長戦は、この星々が沈み切るまで、ね」


 随分とロマンチストな表現だ。ふふっと笑みが溢れた。


「私がさ、この街に住み始めたのは、夏の朝の空気が気に入ったからなんだ。若草を踏みしめたような香りと、霧雨を浴びたような瑞々しさがとても心地よくて」

「僕も、同じことを感じて、散歩に出たんです」

「へえ、なんか、運命みたいだね、なんて。……あとは、街の外れの方になると、本当に全然人がいないからって言うのもあるね。こんな時間からピアノを弾いてても誰にも怒られない。周囲はほとんど休業中の宿だし」


 そういう目的だから、冬になって人が増えると、海の近くに住む友人宅に転がり込むんだ。と付け加え、紅茶を口に含んだ。つられるように僕も紅茶に手を伸ばす。なるほど、苦味をそんなに感じない。こっくりとした喉越しで、ほんのり甘い香りが広がる。少しだけチョコレートみたいにも感じた。


「それで、今日みたいに、窓際でピアノを演奏する。あの時間が一番好き」

「今日演奏していた曲は、何ですか? 不思議な感じの曲でした」

「あれはねえ、私のオリジナル。発表もしてないから君が最初のリスナーかもね」


 現代でもたくさんの器楽曲が作られているのは知っているのだけれど、目の前の人からあの曲が生み出された、と知るのは、とても不思議な感覚だった。肖像画の中の人と対面しているような、歴史の教科書で見た人物がそこにいるような。


 さらに聞くと、曲のジャンルとしては現代音楽、古典的な音楽のルールから解放されるための別なルールに従って作られたもの。それが、あの曲の独特な印象を形作っていたらしい。詳しい知識のない僕に分かる範囲で平易に噛み砕いて説明してくれた。しかし、内心ではもっとたくさん語りたいのだろう、目がキラキラとしていて、それが溢れるのを我慢しているように見えた。


「なんで発表しないんですか? 僕はすごく魅了されました」

「ありがとう。すごく嬉しい。……けど、私に期待されている曲のスタイルではないからね。私って実はちょっと売れっ子な音楽家……音楽家ってのもなんか違うな、シンガー向けに作曲するのを仕事にしてるんだけど」


 イツキさんは寂しそうな顔をしていた。音楽が好きで、それを生業にしているのに、満たされないでいるような。チラリと砂時計を確認する、半分くらい、まだ夜は終わっていない。


「私は最初、自分の好きな曲を作って発表したけど全然伸びなくて。一旦、アカウントを変えて、ポップでシンプルな曲を作って人気になってからやりたい曲にシフトしていこう、って考えた。……結果、人気にはなれたけど、期待されてないスタイルの曲を発表してファンが離れたら、って思うと怖気づいちゃって」


 現代音楽を取り入れたような曲調、恋愛でも仕事でもない、日常のささやかな感動一つのために筆舌を尽くした歌詞、イツキさんが本当に作りたかった曲の片鱗をぽつりぽつりと聞く。この人が仕事で作っている曲は知らない……仕事での名義を聞けば知ってるかもしれないが教えてくれない……けど、真逆と言ってもいいほど違った方向性になるのだろうな、というのは感じた。


 イツキさんは、作るだけ作ってお蔵入りした曲がアルバム一冊分くらいある、と嘲るように笑った。それから、仕事で作った曲を歌ってもらえることは、それはそれとして嬉しいし達成感もあるんだけどね、と補足した。仕事が嫌だ、と思われるのは避けたかったのだろう。別に僕が聞いたからって問題があるわけでもないのに、仕事に対しては真面目な人だ。


「別名義で発表したらどうですか?」

「それだと聞いてもらえないから。大衆ウケしない曲作っておいて聞いてくれないと嫌とか、我儘だよね」


 たくさん聞いてもらえるのを経験した後で、全く再生数が伸びないのを見るのは、やり込んだゲームを最初からやり直すようなものだろう。とてももどかしいに違いない。紅茶に口をつける。イツキさんも紅茶を口に含んだ。それから、嚥下し、クッキーを一つ食べた。君も食べなよ、と促されたので、一枚いただいた。


「だからね、今日、君が聞いてくれて、聞き入ってくれてるのを見て、すごく嬉しかったんだ。私の曲が認められた気がして」


 ありがとね、と少し恥ずかしそうに呟いた。砂時計がもうすぐ終わりを指し示そうとしている。イツキさんが演奏して、僕が聞き入っていた曲の終わりの印象が、まさに今のこの感情と重なる。名残惜しい、まだ終わらないでほしい。


「僕でよければ、また聞かせてください。今日の曲も、未発表の他の曲も、聞いてみたいです」

「いいの? 君の好みには合わないかもしれない」


 期待と、不安、この人の目は本当によくものを言う。1時間にも満たない交流だけでもわかってしまうほど。


「多分、感性は似てますから。ほら、この朝の空気が好きなのが証拠です」

「そう……じゃあ、お願いしちゃおうかな。どうやって送ろう?」


 イツキさんは、動画投稿サイトに鍵付きで上げてもいいけど、再生数が見えるのはお互いちょっと嫌でしょ? と冗談めかして言った。明日も来ます、と言えればよかったのだが、今日が合宿の最終日なのだ。この後に会いに来れるタイミングはない。


「仕方ない……いや、ある意味趣深いかも。この時代にメールアドレスを紙に書いて渡すなんて」


 そう言って、イツキさんはピアノの譜面台においてあった楽譜を取り、その作曲者欄の下にサラサラっとメールアドレスを書いた。それから、それ以外のページも含めて楽譜を透明なクリアファイルに入れ、僕に渡した。


「朝雛イツキさん……お仕事での名前ですか?」

「さあ、どうでしょう。私、名前が無駄にたくさんあるから。本名と、仕事のと、旧アカウントのと、って。少なくとも、君の前ではイツキだよ」


 秘密の関係みたいでなんかいいね、と笑い、ほら、時間そろそろギリギリでしょ、と僕を追い立てる。確かに、砂時計が終わってからもしばらくお話ししてしまったから、余裕はもうないだろう。案内するから、スタスタ行くよ、というイツキさんに連れられて、宿へ向かう。この人、完全に部屋着のまま出た気がするがいいんだろうか。まあ、全然人いないし大丈夫か。


「今日は、久しぶりにいい感情を得られた気がするから、いい曲が書けそう。楽しみにしててね」

「僕が題材になるんですか? ちょっと恥ずかしいですね」

「大丈夫大丈夫、そんな露骨に書いたりしないし」


 まもなく、見覚えるのある道に出て、すぐに宿の場所がわかった。イツキさんは、宿まで着いて行くと先生に見つかって怒られそう、と言って少し宿から離れたこの場所で別れることとなった。別れ際に、というより一旦別れて距離ができた頃に、あ、そうだ! と後ろから声が聞こえた。振り返ると、イツキさんがこっちを見ていた。


「曲送ったら感想返してね! 一方通行だと悲しくなっちゃうからね!」

ちなみにイツキという名前は中性的であるという理由で命名。なぜか生活力皆無になった。なんで。

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