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お姫様は、夢の中

作者: 林檎



「アラベラ! 我が名オリオン・ドルトレーンの名において、貴様との婚約を破棄することをここに宣言する!」

「殿下……?」


 アラベラ・シャイフ侯爵令嬢は、その言葉に目の前が真っ暗になる心地がした。

 せっかく髪結いメイド渾身の出来の複雑に結った亜麻色の髪も、緑の瞳が映えるようにと選んだ桃色の春らしいドレスも、なにもかもが滑稽に思えてくる。


「そして俺が真に愛する、このエノーラ・バレル男爵令嬢と新たに婚約する!!」

「まぁ、嬉しい! オリオンさまぁ!」


 この国の第一王子であるオリオンの宣言に、その場にいた者達は大きくざわめく。

 嬉しそうにエノーラなる令嬢がオリオンに抱き着き、二人は熱い抱擁を交わしていた。それを見るアラベラの頭の中では、婚約破棄をされてはせっかく自分を育ててくれた養父母に申し訳ない、という自分を責める気持ちばかりが押し寄せてくるのだった。


 春の宵。

 社交界シーズン真っ最中の王都は、連日豪華な舞踏会があちこちで催されていて、今アラベラとオリオンが出席しているのは洒落者で有名な公爵主催のそれだった。

 本来エスコートしてくれる筈の婚約者のオリオンがいつまで待っても来なかった為、アラベラは急遽、義弟にパートナー役を頼んで会場入りせざるをえなかった。

 大勢の令嬢から引く手あまたの義弟にエスコートしてもらうのは気が引けたが、公爵家の舞踏会を欠席するわけにはいかない。


 ところがその公爵邸に到着すると、驚いたことに既にオリオンはそこにいて、アラベラの見知らぬ女性・エノーラ・バレル男爵令嬢と共に楽しそうにダンスを踊っていたのだ。

 彼らがようやくダンスを切り上げ、輪から離れた頃合いを見計らってどういうことなのか訊ねに行った矢先、冒頭の宣言となった次第である。


「オリオン殿下……どうなさったのです、突然」


 アラベラは顔色を真っ青にし、か細い声でオリオンに聞く。

 しかし彼は聞く耳を持たないとばかりに首を振った。いかにも腹立たし気な仕草で、何故彼がそんなにも怒っているのかアラベラには到底想像もつかない。


「どうもこうもあるか! 最初から辛気臭いお前のことが、俺は大嫌いだったんだ。侯爵家の養女だから、今までは侯爵の顔をたてて仕方なく婚約していただけだ!」

「そんな……」


 込み上げる嗚咽に、アラベラは口元を手で覆う。

 これまで、完璧な侯爵令嬢として振る舞うべく必死に己を律してきた。同い年の少女達が楽しく華やかに過ごす時間を全て厳しい王子妃教育に費やしてきたのに、当のオリオンに最初から嫌われていたなんて。

 王子妃たるもの他者に付け込まれないように、と感情を抑えて過ごしてきたが、それが裏目に出て「辛気臭い」と捉えられていたのだ。あまりのショックに、アラベラの大きな緑の瞳に涙が盛り上がる。

 それでも尚長年教育された所為で、泣くことを我慢しようとしてしまう自分が皮肉だった。


「義姉上」

「……ラ、ライナス」


 小さく震えるアラベラを見かねたらしく、義弟のライナスがそっと背に手の平を当てて支えてくれる。しかしその義弟の端正な顔を見上げた瞬間、アラベラは絶望を感じて眩暈がした。

 ライナスは銀髪に青い瞳の美丈夫で、アラベラとは似ても似つかない。

 それもその筈、アラベラは生家が断絶してしまった伯爵家の娘であり、母親同士が親友だったおかげでシャイフ侯爵家に引き取られた養女なのだ。


 引き取ってくれた侯爵家の役に立ちたい一心であらゆることに励み、第一王子の婚約者に抜擢されてからもその役目を全うしようと邁進してきた。

 だが、その第一王子本人にこんな大勢の前で婚約破棄を言い渡されるなど、取り返しのつかない醜聞を抱えてしまったことになる。

 アラベラ自身の評判や将来など、どうでもいい。シャイフ侯爵夫妻や優しい義弟に迷惑を掛けてしまうことが、申し訳なかった。


「フン、泣いて縋ればまだ可愛げがあるものを。お前のような暗い女は将来の王妃に相応しくない」


 オリオンの声を聞きながら、アラベラは唇をきつく噛む。

 舞踏会に出席している貴族達が、アラベラとオリオンに注目しているのが分かる。皆小さな声で何事かを囁き合いながら、痛いほどの好奇の視線を寄越してきた。


「で、でも……私との婚約は、王家と侯爵家との取り決めで……」

「黙れ! 侯爵家とはいえ養女ごときが偉そうな口を叩くな。俺は正統な血を引く、この国の次期王だぞ! そもそも本来、侯爵家の後ろ盾など必要ない!」

「そ、そんなことは……」


 第一王子であるオリオンは、王妃唯一の子。

 しかし第二妃の生んだ同い年の弟、第二王子がいることから、継承権を盤石にする為に宰相であるシャイフ侯爵の養女・アラベラと婚約した筈だ。


「殿下。そのいい様は、あまりにも我が義姉を侮辱しています」


 そこで、ライナスの怒りを抑えた低い声がダンスホールに響く。


「ライナス・シャイフ! 誰に向かってそんな口を聞いているのか、分かってるんだろうな?」


 オリオンが怒鳴るが、ライナスはちっとも怯まなかった。むしろアラベラを庇うようにして一歩前に出る。


「アラベラ・シャイフは俺の愛する義姉です。その義姉への侮辱は、我がシャイフ侯爵家への侮辱。聞き流すわけには参りません」

「ラ、ライナス……」


 もうやめて、と言うつもりで、アラベラはライナスの腕を引いた。

 この醜聞が広がる前に急いで侯爵家へと帰り、義父のシャイフ侯爵に頼んですぐさまアラベラの養子を解除してもらうべきだ。

「シャイフ侯爵令嬢」が王子から婚約破棄されるという醜聞よりも、役立たずの養女を勘当する方が、侯爵家に与えるダメージは少ない筈。

 恩を返すことが出来なかった役立たずのアラベラなんかの為に、次期侯爵であり次期宰相と噂される嫡男のライナスが、オリオンに盾突いてはいけない。


「王家に仕える臣下の分際で俺に意見するとは! 身の程を知れ!」


 アラベラが危惧した通り、オリオンは激昂するとライナスに殴りかかった。しかしサッとライナスが除けた所為で、勢い余ったオリオンが床にべしゃん、と倒れ込む。


「ぎゃっ!」

「あぁ! オリオン様ぁ!」


 エノーラが慌ててオリオンに駆け寄るが、彼女は助けおこすこともせずにウロウロとしている。アラベラは迷わず、義弟の頬に手の平で触れた。


「ライナス! 大丈夫?」

「ええ、義姉上」


 幼い頃に引き取られたアラベラは、ライナスという男兄弟と共に育ったが当の彼が穏やかな気性だった為に荒っぽい喧嘩などとは無縁だった。

 だから突然の暴力的な光景に、大切な義弟が傷ついていないか確かめずにはいられない。


「も、もう、帰りましょう……!」


 義弟を連れてここを出ようと、ぎゅう、と彼の腕を抱きしめる。するとライナスはこちらを見て、優しく微笑んだ。


「大丈夫ですよ、義姉上」


 幼い頃から変わらない義弟の優しい笑顔に、そんな場合ではないのにアラベラは思わずホッとして瞳からぽろりと涙を溢してしまう。その雫を、ライナスの長い指がそっと拭ってくれた。


「泣かないでください。義姉上が悲しいと、俺も悲しい」

「だ、だって私の所為で、こんなことになってしまって……」

「義姉上が悪いことなど、なに一つありませんよ」


 そうライナスが言った瞬間、バンッ! と大きな音をたてて扉が開き、公爵家のダンスホールへと大勢の騎士がどやどやと駆け込んできた。


「公爵閣下に非礼をお詫びします!」


 先頭にいた騎士が朗々とした声で言い、武装した騎士達が更に続く。


「ひゃっ!」

「義姉上、こちらへ」


 途端ダンスホールは騒然となり、もみくちゃになって突き飛ばされそうになったアラベラはライナスに抱き寄せられる。

 自分が侯爵家に養女になった頃は二つ年下のライナスの方が背が低かったのに、いつの間にかこんなにもしっかりとした体躯の頼りがいのある男性に成長したのだと感じて、場違いながらアラベラは感激してしまった。

 強張っていた体から力が抜けると、それを腕越しに感じたらしいライナスの表情も和らぐ。


「何事だ!」


 その間にオリオンとエノーラはずらりと並ぶ騎士達に囲まれていた。まだオリオンは床に転がったままだったので、恰好がつかない。

 先程までのダンスホールは着飾った舞踏会出席者達で溢れ華やかな様子だったのに、今や武装した騎士達が立ち緊迫し物々しい雰囲気に満ちている。

 もしもこの場で騎士に罪人として連行される者がいるのならば、王子に婚約破棄された自分だろうとアラベラは考えたが、実際はライナスに抱き寄せられたまま騎士達の包囲網の外にいる。

 そして、囲まれているのは何故かオリオンとエノーラだ。


「ライナス……?」

「大丈夫です、義姉上」


 もう一度そう言われて、この先の展開が読めないものの彼がそういうのなら、と少しだけ落ち着く。

 すると、騎士の包囲網がざっ、と左右に開き、その中を堂々を歩いて一人の青年がやってきた。


「……シリウス? おい、これはお前の差し金か! どういうつもりだ!」


 ようやく立ち上がったオリオンが、その青年を見て大声で怒鳴った。カツ、と踵を鳴らしてその場にやって来たのは、第二王子のシリウス殿下。

 オリオン殿下とは顔立ちから何から全く似ていないが、金髪碧眼の美丈夫、という点は共通している。同い年の兄弟であり、王太子の座を争う政敵でもあった。


「兄上、あなたの国家反逆罪が判明しました。そちらのエノーラ・バレルともども、罪人として連行します」

「はぁ!?」


 シリウスがハッキリと宣言すると、先程のオリオンの婚約破棄の時以上の動揺がダンスホールに轟く。

 それに恐ろしくなって、アラベラは自分からライナスに抱き着いた。応えるように、彼の腕の力も強くなる。


「国家反逆罪? ふざけるな! 俺は次期国王だぞ、そんなことするわけがあるまい!」

「……立太子してもいないのに、そう吹聴するのもどうかと思うが」


 オリオンが吼えると、シリウスの眦が厳しく吊り上がった。


「信頼出来るある筋からの情報で、お前が国庫から資金を盗み出しエノーラ・バレルに金品を貢いでいた証拠を摑んだ。そしてバレル男爵が、隣国の武装資金としてその金品を横流ししていたことが発覚した」


 つまり、オリオンは国庫から隣国に戦争資金を渡していたことになってしまうのだ。事は重大であり、本人に自覚があったかの有無にかかわらず国家反逆罪に相当する。


「幸い情報提供者のおかげで、隣国に資金が渡る直前で防ぐことが出来たが、お前の罪は明白だオリオン!」

「な……!?」


 オリオンは驚いて傍らのエノーラを見たが、彼女は青褪めてブルブルと震えている。


「エノーラ、まさかお前……!」

「わ、私は武器商人のことなど、何も知りません、オリオン様!」


 語るに落ちる、とはまさにこのこと。エノーラから突然出てきた「武器商人」という言葉に、オリオンもようやく事態を悟った。


「貴様……!」

「二人を捕らえて、牢に連行しろ!」


 オリオンがエノーラに向かって拳を振り上げたところで、シリウスの号令が下る。

 途端、騎士達が一斉に動き、素早く二人を拘束した。


「おい、離せ!」

「私は関係ないわよぉ!」


 オリオンの怒鳴り声とエノーラの悲鳴が重なり、ダンスホールは大混乱、あまりのことに年嵩の貴婦人などは気絶してしまう人もいたぐらいだ。

 アラベラも事態に付いて行けず、ライナスにしっかりと抱き寄せられたままにフッ、と気が遠くなってしまう。


「義姉上……!」


 ライナスの力強いが危なげなく自分を支えてくれたことを察して、安心してしまったアラベラの意識はゆっくりと落ちて行く。

 誰かが近付いてくる気配がしたが、より一層深く抱きかかえられて無意識にアラベラは丸くなった。


「まったく……よく今までこんな重大な情報を隠してたな、ライナス!」

「義姉上の夫になる男に、瑕疵を付けるわけにはいきませんから。ちゃんと秘密裏に阻止していたので問題ないでしょう?」

「大問題だ、馬鹿者! で、肝心の姉君は気絶か? 大丈夫なのか。少し、か弱過ぎないか彼女」

「問題ありません。俺が必ず守るので」


 そんな風にシリウスとライナスの声が聞こえるが、意識が半分以上ないアラベラには何のことを言っているのか理解出来ない。

 しかし額に優しく、そして冷たい唇が触れる感触だけは、分かった。


 *


 それから。

 その後シャイフ侯爵邸でアラベラが目を覚ましたのは、翌日の昼のことだった。

 既にその頃にはオリオンとエノーラ、バレル男爵の罪は国中の人の知ることとなっていて、その直前に公開婚約破棄をされていたおかげでアラベラには罪の疑いが向けられることはなかった。


「なんてことかしら……前代未聞の大事件ね」

「そんなことより義姉上、起きて大丈夫なんですか? 医師をもう一度呼びましょうか」


 自室のベッドの上に身を起こした状態で、メイドに届けてもらった新聞を読んだいたアラベラ。その傍らに座って、ライナスは甲斐甲斐しくショールを肩に掛けてくれる。


「ありがとうライナス。突然気絶しちゃったから、あなたにも怖い思いをさせちゃったわね。ごめんなさい」


 心配そうに眉を寄せるライナスに大丈夫と伝えたくて、アナベラは彼の形の良い頭を撫でた。


「いえ。義姉上がご無事なら、他のことなどどうでもいいんです」

「私は無事よ。元気よ、あなたのおかげで」


 そのままライナスの頬を撫でると、頬擦りされる。小さい頃から変わらない二人きりの時の甘えたな仕草に、アラベラの心は和んだ。


「でも……国家反逆罪とは無関係でも私が婚約破棄された令嬢という事実は残るから、やっぱりお義父様にお願いして、養子を解除してもらわなくっちゃ」

「そんな、義姉上……」


 ライナスは、自分の頬に当たるアラベラの手を握る。

 だってそうでしょう? と視線を向けると、彼は悲し気に目を細めた。


「侯爵家の娘だとしても、そんな醜聞持ちでは求婚者も現れないでしょうし……政略結婚のお役にもたてないもの。あと私に出来ることは、少しでも早くここを出て行くことだけだわ」


 しょんぼりとしてアラベラが項垂れると、ライナスが一際強く手を握ってきた。痛いぐらいの力だったので、驚いてしまう。


「ライナス、痛いわ」

「嫌です、義姉上。どこにも行かないでください」


 ライナスが真剣な表情でこちらを覗き込んで来る。その青い瞳に、燃え上がる炎が見えるかのようだった。


「どうしてそんな意地悪を言うんですか? 義姉上の為ならなんでもして差し上げます。だから、出て行くなんて言わないでください」


 ベッドに身を起こした姿勢のままぎゅっと抱きしめられて、アラベラが焦る。

 姉弟の抱擁よりも、やけに切羽詰まったものを感じたのだ。先程から、ライナスの様子がおかしい。


「ライナス……私は侯爵家の為に出て行った方がいいの。その方が侯爵家の、ひいてはあなたの為になるのよ」

「義姉上がいなくなって為になることなど、俺には何一つありません。どこにも行かないでください、俺の側にいてください……!」

「瑕疵のある娘などいては、あなたの結婚にも差しさわりが……」


 犯罪者の王子に婚約破棄された、侯爵令嬢。

 ただの高位貴族としての侯爵家ならば、そこまで悲観する必要はないのかもしれない。しかしシャイフ侯爵は政治的に重要な立場である宰相職に就いているし、恐らくその役目は将来ライナスが継ぐことになる。

 実の生家であるならばまだしも、引き取って育ててくれた大恩あるシャイフ侯爵家が、アラベラの醜聞によってあらぬ疑いをかけられたり、政治的に足を引っ張られるようなことはあってはならない。

 アラベラが義弟を抱きしめ返して丁寧に説明すると、彼はぱっと顔を上げた。


「わかりました。じゃあ俺も一緒に出て行きます。それならいいでしょう?」

「いいわけないでしょう! どうしてそうなるの」


 ぐりぐりと頭を押し付けられて、アラベラは困り果てた。まるで子供の駄々のようだが、相手は次期侯爵なのだ。


「あなたは侯爵家の跡継ぎなのよ? お義父様のお役も継いで、しかるべき女性と家族に……」

「元々俺は、義姉上以外の女性が苦手です。俺をトロフィーか何かと勘違いしている女性ばかりで、悍ましい。……義姉上がいたからこそ、夜会にも出られていたぐらいなんですから」

「え? えぇ……? そういえば、確かに……」


 ライナスの出席した夜会は、オリオンの代わりにアラベラがパートナーを頼んだ時ばかりだったことを思い出す。ライナスは勉学やシャイフ侯爵の補佐が忙しく、アラベルもそう頻繁に夜会に出ることもなかったので気にならなかった。

 しかし、それでも夜会に出れば令嬢達に囲まれて嫌な顔ひとつしていなかったので、まさか何でも卒なくこなす義弟が女性嫌いだったとは。


「父上も母上も、それは承知です。……侯爵家の跡取りなんて傍系に声を掛ければ、喜んで誰かが継ぐでしょう。それでも義姉上が王子妃になるなら、あなたの幸せな生活の為に宰相職を務めようと思っていたのですが、義姉上がいなくなってしまうのならそれも止めます」

「そんな極端な……」


 ぷいっと子供のようにそっぽを向いてしまった義弟の頭を、アラベラはどうしたものか、と悩みながら撫でる。


「義姉上のいるところが俺の居場所です。どこに行きますか? いっそ別の国に移住するのも楽しそうですよ」

「もう……困った子。どうすればいいのかしら……」


 ほとほと弱ってアラベラが言うと、その言葉を待っていたかのようにライナスが真っ直ぐにこちらを見つめてきた。青い瞳は、今度は期待に光り輝いている。


「じゃあ……どうせシャイフ侯爵家の養女をやめるのなら、本来の伯爵家の令嬢に戻って、俺と結婚してください」


 そんな突飛な提案をしてきたものだから、アラベラはあんぐりと口を開けた。


「なにを言ってるの!? そんなこと、出来るわけないでしょう!」

「シャイフ家を出るということは、生家の娘に戻るということでしょう? それなら、『婚約破棄された侯爵令嬢』ではなくなる。そんなあなたに求婚するのを、誰に咎める権利がありますか?」


 ライナスはいかにも解せない、とばかりに芝居がかった仕草で首を傾げる。それを見てアラベルは頭痛がしてきた。


「ええと……でも世間体とか……」

「あなたに何の瑕疵もないのに、養子先の家を出てまでわざわざ後ろ指さしてくる者はいませんよ」


 確かに貴族社会は体裁を重んじる。

 一方的であったとしても婚約を破棄された令嬢の評判が落ちるように、養子先を出た令嬢をそれでも尚貶める者がいれば、その者の方が非難されるだろう。


「え? ……え?」

「ね?」


 ライナスはごろりとアラベラの膝に頭を乗せて寝転ぶと、今度は可愛らしく首を傾げてくる。視線で強請られて、アラベラはまた義弟の頭を撫でるのを再開した。


「そ、そうなのかしら?」

「そうですよ。あなたが俺と結婚してくれるなら、俺はちゃんと侯爵家も継ぐし、宰相職にも就きます」

「え? えっと」


 それは何よりね、と思うアラベラは、ライナスが「侯爵家を継ぐ」意味があまり分かっていない。

 女性が苦手なので跡取りは傍系から連れて来る、と言っていたのに、ライナスが自分で継ぐということは、当然その次の後継者を生み出すのは妻である侯爵夫人の役目なのだが。


「ええと……確認なのだけれど、ライナスは侯爵家を継いだり宰相になったりするのは嫌じゃない、のよね……?」

「え? ああ、はい。……あなたは優しいですね。俺は結構、父上を手伝うのが好きですし、仕事にやりがいを感じているので、継ぐのは望むところです。あなたが、俺の側にいてくれさえすれば」


 つまりライナスの優先順位は一番がアラベラ。家や仕事はその次なのだ。


「んん? い、いいのかしら? それで」


 それでもまだアラベラが悩んでいると、ライナスが小さく「もう一押し」と囁いた。


「え? 今なにか……」

「ね、お願いです義姉上。義姉上は、俺のことが嫌いですか?」


 膝に寝転ばれたまま上目遣いにそう言われて、アラベラは慌てる。


「大好きに決まっているでしょう!」

「俺もあなたのことが大好きです。だから、意地悪言わないでずっと一緒にいてください」


 途端、ガバッと起き上がったライナスに正面から抱きしめられる。


「……私が側にいたら、あなたは幸せなのね?」

「はい」


 アラベラはそれを聞いて、覚悟を決める。

 養子を解いたからと言って、アラベラがシャイフ侯爵家の跡取りであるライナスと婚約、結婚することに何か言ってくる人はゼロではないだろう。

 だが醜聞の所為でアラベラがシャイフ家の足を引っ張る方が、優秀かつ大切な跡取りであるライナスが家を出て行くことよりはマシだ。


「分かったわ。その求婚、お受けします」

「言いましたね? 約束ですよ、あなたはもう俺のものです。……絶対に離しません」


 パッ、と顔を上げたライナスに怖いぐらい真剣に言われても、腹を括ったアラベラは素直に頷く。


「ええ。こんな大事なことで、嘘なんて言わないわ」


 睨み返すようにアラベラが緑の瞳でまっすぐに彼を見ると、ライナスは子供のように屈託なく笑った。


「嬉しいです、アラベラ。必ずあなたをなにものからも守り、幸せにすると誓います」


 またぎゅっ、と抱きしめられて、アラベラは溜息をついてようやく力を抜く。

 昨日から婚約者の王子に婚約破棄を突き付けられて、その王子と相手の女性が国家反逆罪で捕まり、今日は何がなんだか分からないままに義弟と婚約することになった。なんという、怒涛の展開だろうか。

 後悔もしていないし、嘘もついていないが、正直なにがどうしてそうなったのかは、まだ理解出来ていない。


「……なんだか、とても疲れちゃったわ」

「医師を呼びますか?」

「ううん……ちょっと眠れば大丈夫だと思う」


 何がどうして、はライナスに丸め込まれただけだし、疲れたのはキャパオーバーなだけなのだが、アラベラは何もかも眠気の所為にしていそいそとシーツに潜り込む。

 ベッドから降りたライナスが、甲斐甲斐しくシーツを引き上げるとアラベラの顎の下まできちんと掛け、労わるように上から撫でてくれた。


「えっと……ごめんなさいね、ライナス。大事な話の途中で……」

「いいえ。もう粗方終わりましたし、大丈夫です。後のことは俺に任せてください」


 後、とは? と一瞬アラベラは思ったが、ぽんぽんと撫でて来る手が心地よくて急速に眠りに誘われてしてしまう。


「……じゃあ、お任せするわ……」

「はい。愛しています、アラベラ。あなたは?」

「うん……私も、あいしてる……」


 とても幸せそうなライナスを見てから、アラベラは安心してストンと眠りに落ちてしまうのだった。


「おやすみなさい、俺のお姫様」




読んでいただき、ありがとうございますー!

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― 新着の感想 ―
ここまでゾッコン(死語だろうか)だと「義姉上が王子妃になるなら、あなたの幸せな生活の為に宰相職を務めよう」なんて言われても、いやいやいや…おまっ、と笑 異世界恋愛界隈では本心で語ってそうな子も見かける…
[一言]  大甘すぎる
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