第5話「祝福を告げる鐘が鳴る」
「黒槍……」
彼方で、そう呟く者がいた。
誰も気がつくことのない、洋上の一点である。
だが、俺のコンソール上のマップは突然出現した存在の警告を示していた。
何だ…?
確認する視界に、黒衣の影が映り込んだ。
早い!
沈み行くクラーケンに穿たれた大穴を通って突進攻撃を仕掛ける敵。
2人もその存在にすぐに気がついていた。
「お嬢様っ!」
「黒盾ぇ!」
コンマ1秒未満。進撃を止めたのは、元黒鎧改め謎の金髪少女の、1ミリのズレも許さない掌に生じた小型の盾だった。
「うぅっっっっ!!!!!!!」
満身創痍に対し、意気軒高の敵、勝敗は明白だった。
「貰うよ、その心臓」
少し幼げな少年が凛とした声で唱えた。だが、その槍の追い討ちを止めたのは俺だった。
「それは困る」
俺は言い放ち、唱える。
──スキル”移動”──
平時ではない、戦時仕様の移動。討伐経験値で獲得した新スキル。さっきのチャイムが教えてくれた。
一瞬の加速は、踏み込んだ舟が縦になるほどの勢いを表す。
敵を抱えた超高速移動。断熱圧縮された大気が敵の体を高熱で侵す。
「ぐぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!」
俺は移動において、物理的な抵抗などを一切受け付けない。
指定した場所に移動したという結果だけが存在するのだ。現象と言っていい。
決着はついた。
敵は高を括って、攻撃力を槍の一点に集中させていた。その隙をついた。始めから俺を眼中にいれていなかったのが敗因だ。
俺の移動は、カウンターできない!!!
少年の顔が苦悶に歪む。ダメージよりも、受け入れがたい敗北を理解したからか。
「こんなものは、有り得べからざる、イレギュラーだっ!」
「現実を、受け止めろよ」
「貴様っ、次は負けないっ!」
凶相を向けて言い放つ少年は背面に門を作る。
逃走と攻撃を兼ねた、それは俺を巻き込むように大きく口を開く。
だが……
「そうかいっ!」
右手の拳で、思い切り奴を殴り飛ばしてやる。
その反動で後ろにかわす。
「くそがっ!!」
奴が捨て台詞と共に虚空に消える。
門も、すぐに世界に解けてなくなる。世界を破壊して作った反動だろう。
付け焼刃で何とかなったか……
俺は空を眺めながら、一息つく。
ここ、海の上なんだよな……
移動はキャンセルしたので、ここが到着地点だった。
やばいか、これ……
ザバーーーーーーーーーーーーーーーーーーン!!!!!!!!
墜落した俺は、勢いよく海に沈むのだった。
深淵が俺を招き、水面は遠くになっていく。
すると、
「今、助けるーーーーーーっ!!!」
声がどこかから、聞こえたような気がした。
沈みゆく中で、サキュラの姿が見えた。
コンソールも彼女を示していた。
その顔が近づくと、俺の両頬を手で固定すると、口を塞がれる。
「ぶはっ!」
俺の驚きは、二人の間に無数の泡沫を沸き立てた。
彼女は俺を正面から抱きすくめると、浮上していく。
クラーケンの泳ぎは速かった。
海面から顔を出した俺は、肺を満たすと、声をかける。
「面目ない」
「いーよ。そういう運命だから」
「?」
不思議な受け答えは、すぐに騒音にかき消された。
「今、拾うでーーーーーーーーーっ!!!」
漁船の舳先から、オレンジが浮き輪を投げつけて来る。
「顔に投げんなっ!!!」
元黒鎧の見知らぬ少女達も甲板にいた。
心配そうな顔と、苦虫を噛み潰したよう顔で。
戦いは終わった。
それ以外のことは、後でいい……
虚脱した俺は、サキュラの介護を受けながら、引っ張り上げられるのだった。
*
祝勝会が宮殿内で盛大に行われた。
豪勢な食事と酒がふんだんに振舞われた。音楽と踊りが、耳と目を楽しませた。
舟の損害と、負傷者は出たものの、トータルでいえば軽微だった。
オレンジは特にご満悦だった。賭けでボロもうけしたのだ。
熱気に当てられて、夜風に当たりにバルコニーに出る。
ログを改めて調べた所、大討伐の告知は認められなかった。
参加が通った理由は分からなかった。
黒槍の少年、百年ぶりの大討伐、何か意味があるのだろうか?
世界に変化が生じているなぞということは、今の俺には知る由もない。
そして、もう1つの違和感。
新しいスキル”移動”……
俺は、初めて使った気がしないのだ…
「おーいっ♪」
脳内のモヤを一気にかき消す、陽気な声が響いた。
孫にも衣装のドレスを着たサキュラが現れる。
「あぁ、今行くー」
無邪気な笑顔に、疑問を胸にしまうと、宴席に戻るのだった。
──柱の陰で様子を見守る者がいた。
結界に探知されることもなく、人知れず、それは闇に消えた。
*
俺たちは海猫亭の一室に集まっていた。店は宿場も兼ねていた。
お安くしとくで~と勧められたわけだが、おくびにも安くはなかった。
ただ、食事はすこぶる豪勢だったので、本当にこの価格かもしれないとも思った。
俺は扉を背に立ち、サキュラは部屋の唯一の窓の前に置かれた椅子に後ろ向きに腰かけ、元黒鎧の少女──クラリスと名乗った──はベッドにちょこんと腰を沈めていた。
そして、グラスが置かれたテーブルの上には、30センチ程の金髪ポニーテール少女が腰に手を当て、仁王立ちしていたのだった。
──クラーケンの攻撃を防いだ直後のことだ。
女の子だと……?
目で再確認しようとした俺は、少女のむき出しの両腿の間に小さい女の子の姿を捉えた。
何だ?
人形? メイドの?
「変態がぁぁぁぁぁぁぁっっ!!!!!」
それが何者かを理解する前に、蹴りの一撃をあごに頂くことになる。
ピュルルルとコントのような血が出るが、すぐに鎧の自己再生効果で止まる。
「何でじゃあ~~~っ!!」
すぐに顔の位置を戻すと、不平を訴える。
「痴れ者が~~~~っ!!!」
再び、同じ飛び蹴りを繰り出すメイド人形。
だが、すでにその技は見切っている。狙いが見え見えだからだ。
俺はあご寸前に届いた片足を捕獲する。もう片方からの蹴りも、あっさり止める。
両足を両手でつかんだ俺の前に、メイド人形が後ろ向きにぶら下がる形になる。
スカートがめくれ、ガーターベルトとパンツが丸見えになった。
可動部がないな……
「死ねぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!!!!」
スカートの死角から飛び出したロケットパンチが、俺の脳天に突き刺さった。
それが彼女──クラリッタとの初めての邂逅だった。
2人は交互に、身の上を明かした。
クラリスとクラリッタの体は、特殊素材で構成されている。共有しており、お互いに譲渡が可能なのだと、極めて深い事情を明かされた。
現代のゴーレム技術よりも高度な古代遺産だろうと推測された。
「おおぅ、すごいー!」
断言する。奴はよく分かっていないに違いない。
「こっちを見るな、変態!」
クラリッタは俺をずっと敵視している。
「実は何故、逃げていたのか、思い出せないのです」
クラリスという少女は伏し目がちにそう紡いだ。深窓の令嬢という形容が似合う。
忘却というダウン系効果がある。難度が高いほど技や術式の起動が困難になる。日常にまで及ぶのは、深い呪詛と分類される。
彼女たちは現在、マテリアルとマナの減耗が著しいため、記憶野がはっきりしないのだろうと答えた。
「お嬢様……」
おいたわしやと、頭身足らずのメイド人形が呟く。
彼女達の場合、脳の一部が欠けているというシュールな状態と考えればいいのだろうか。詳しくは聞かなかった。無論、俺が紳士だからだ。
「先の戦いで消耗しすぎた。我々は現状維持もままならなくなっている。だから話したのだ、変態」
こいつ、襲撃者より敵意を抱いていないか?
とりあえず、聞き出せたことをまとめてみる。
2人はキマイラを仕留めた後、追ってきた執事服の男と対戦した。
クラリッタは初めから相打ち狙いだった。
数合交わした後、わざと隙を作り、敵の技”黒穿槍”を体で受け止めた。
マテリアルを燃料にオーバーロードを起こして、自身ごと敵を葬ろうと図った。
敵は破壊のエネルギーを畳みかけ、こちらは相殺するためにエネルギーの外界への放出を重ね続けた。
その結果、第三の力場が新たに生まれた。
危機を感じた両名はゲートを使って脱出、その世界は半壊した。
何でゲートを自由に使えるんだと尋ねると、極高位クラスなら習得可能だと言う。
ただし、精神力や奇跡点を多大に消費するので、むやみに使えるものではないし、使える者も十指に満たないだろうとクラリスは付け加えた。
もう3、4人出てきてないか?という質問は飲み込んだ。
そのゲートの連結した先がこの世界で、海猫亭で捕まったのだと続けた。
「お前もかよ!」
「あはははっ、一緒~~~~~~っ♪」
同時につっこんだ。
差し当たって、2人には失われたマテリアルの補充が必要だった。
「実はマテリアルは、私たちの周囲に見えない程の微細な粒子の状態で、今も浮遊しています。でも、エネルギー切れを起こして、利用できなくなっているのです」
「自己修復機能ではとても追いつかないのだ。外部からエネルギーをチャージする必要がある」
そこで、駄目元で聞いてみた所、マスターから提案を受けたのが、特殊なマナ場”龍の台”だった。
マナの回復にはうってつけのポイントだが、クエストレベルも最悪な場所らしい。ここ数十年、行った者も帰った者もいないとこなんやと、オレンジは大笑いして通訳する。
ちなみに、マスターはカピバラではなく、幻獣バクだった。
祝勝会の時、臨時収入に上機嫌なオレンジが色々、話してくれた。
そして、改めてシートの確認をした俺は、見落としていた部分に気付くのだった。
名前:オレンジ 性別:女 職業:店員 種族:天使
嘘だと言ってくれ……
こいつが天使とか、世界に絶望を感じてしまうじゃないか……
現在のクラス:初心者レベル2。
戦闘スキル:移動を覚えた。