2.ハイティア王国の強み
「なるほど…。国民の一体感を高めるには、国王を神格化するのが有効なのか…」
ルーデンスは長く細い指で年期の入った紙をめくりながら、感心したようにそう呟いた。一房だけ無造作に伸ばされた赤茶色の髪がかけていた耳から落ちる。それをさっと右手で戻しながら、ルーデンスに隣国の歴史を説明していたパウルに、薄紅色の瞳を向けた。その視線に気づいたパウルは、立派に伸ばした白い髭を触りながら同意するように深く頷いた。
「ええ。人は苦しい時、救いの存在を求めます。王を神格化することで、民は苦しい時ほど王を信じ、王に従おうとします」
「…確かに隣国の王があれほど民に崇拝されている様子を見ると、王の神格化というのは仇にできないな」
「…まぁ、あれは酔狂じみている気がしなくもありませんが…」
パウルの言葉にルーデンスは静かに頷いた。以前見かけた隣国の平民の姿が脳裏によぎる。王を称えながら、碌な武器も持たず兵に襲い掛かり、切り捨てられる平民の姿が普通であるとは思いたくない。
この国では王は神のような扱いは受けていない。もともと、建国当時は王は市民のリーダーという位置づけで誕生したからだ。しかし、そのせいで王権が安定せず国内の情勢が荒れた。そのため、現在では王位継承権は第一王子から順に継承順位が定められ、王という存在をより厳格で希少な位置づけにした。これにより国が再び安定したため、今でも王権の世襲制は続いている。
ルーデンスの王位継承順位は第3位。王位を継ぐ可能性が絶対にないというわけではないが、今の第一王子が非常に優秀で周りの指示も厚いことからほぼ次期国王は決まっているようなものだった。そのため、特に王位に就く気もなく割と自由に日々を過ごしていた。
「そういえば、この間隣国の馬車を初めて見たのだが、大きい割には随分と脆く不安定なものだったな。我がハイティア王国の戦車となぜあそこまで差がでるのだ?」
ふと、先日父王に連れられて見学にいった戦場でみた隣国の戦車を思い出し、ルーデンスはその時疑問に思ったことをパウルに尋ねた。ルーデンスの質問にパウルは微笑みを浮かべ答える。
「それは車輪と車軸ですよ、殿下」
「車輪と車軸?…ああ、言われてみれば隣国の馬車は、2枚の板をつないだだけの車輪だったな。しかも車体にそのまま括り付けられただけで、車軸もなかったような気がする。…しかし、それがどう違いを生むんだ?」
ふと、パウルは机に置かれていた記録用の木版を手に持った。そして、ルーデンスに見せるようにしながら木目を指さす。
「板には木目があります。木板は木目に逆らう力には強いのですが、木目に沿った力に弱いのです。ですから、板を切り抜きつなぎ合わせただけの車輪では、地面からの強い衝撃に耐えられません。そこで、我活躍するのが車軸です。車軸を使うと車輪が丈夫になり壊れにくくなります。しかも、地面からの衝撃も抑えられ、乗り心地が格段に安定するんです」
「あれにはそんな重要な役割があったのか…。全く知らなかった」
感嘆するルーデンスにパウルはそれだけじゃないですよと説明を続ける。
「車軸だけなら他の国でも利用しているところはあります。我が国の強みは車軸の材料にあります」
「…っ!まさか、鉄か!」
目をぱっと輝かせそう答えたルーデンスに、パウルは微笑みながら頷いた。
「ご名答です、殿下。我が国の馬車の車軸には鉄、…正確には鋼が利用されています。それ故にどの国よりも頑丈で守りに優れた馬車が生まれるのです。洗練された製鉄技術を持つ我が国ならではの武器なのですよ」
「…鉄を制する者は戦をも制すというわけか」
ルーデンスの言葉を聞いたパウルはガハハッと笑った。
「そうですね。製鉄の技術がまだ浸透していない今、製鉄技術を独占している我が国は実質最強というわけです」
ハイティア王国は独自の製鉄技術を保持している。その技術は厳重に管理され、他国に知られないように大切に保管されている。そのため、実質的に製鉄技術はハイティア王国が独占している状況であった。
「父上がまた進軍を計画されていると聞いた」
「はい。製鉄技術の向上に伴い、原料である鉄が不足しているため、鉄の産地であるタミアへ繋がる交易路を確保するようです」
それがどうかしたのかという視線を向けるパウルに、ルーデンスはここ最近胸の内に潜めていた疑問を口にした。
「確かに鉄資源の確保は必要なことだとは思うが、本当に他国を侵略しこの国を豊かにしていくことが正しいのだろうか」
「…殿下」
嗜めるように自分を呼ぶパウルに、ルーデンスは首を横に振りながら言葉をつづける。
「分かっている。この国がここまで発展できたのは略奪の歴史があったからだ。初めは小さな城壁都市に過ぎなかったハイティアが、大陸で最大の国家となれたのは周辺諸国を平定し、その資源や技術をものにしてきたことで進化を重ねてきたからだ。こうして私が、城下町を眺めながら其方と話していられるのも、先代の王たちの武功のおかげだと分かっている」
ルーデンスはふっと視線を下にずらすと、ぎゅっと自分の拳を力強く握った。パウルは少し険しい顔をしながらも、静かにルーデンスの言葉を待っている。
「…だが、恐ろしいのだ。積もり積もった恨みがこの国に向けられる瞬間が。この国の栄光にひびが入るその瞬間が」
そう言うとルーデンスは静かに視線を上げた。彼をじっと見つめていたパウルと自然と視線が絡み合う。
「其方も言っていたであろう。永遠に存在する国などどこにもないのだと。全ての国はどこかの国の犠牲の上で成り立っていると」
ルーデンスの言葉にパウルは静かに頷いた。それならばとルーデンスはパウルに問うた。
「この国だっていつかはそうなる。そう思わないか?パウル…」
じっとパウルを見つめるルーデンスに、パウルは困ったように眉をさげると乾いた笑いを浮かべた。
「それを遅らせるのが王族の役割ですよ、殿下。確かに永遠などこの世には存在しません。どんな国もいつかは滅びます。ですが、長きにわたって滅びることなく存在し続ける国もある。少しでも国が長く存在するよう皆、必死で足掻き続けているのです」
ふと、パウルがルーデンスをじっと見つめる。その真剣な眼差しにルーデンスはごくりと唾をのんだ。
「…殿下はもし自分が王になるとしたら、この国をどのようにしたいですか」
私は…と不安そうにパウルに視線を送るルーデンスに、パウルは大丈夫だという眼差しを向けた。すると、ルーデンスは覚悟を決めたように言葉を放つ。
「…もし私が王になった時は、他国を侵略するのではなく、他国と共に手を取り合い、高めあっていけるような国にしたい。武力で大陸一の国家を造るのではなく、技術と信頼で大陸一の国家にしていきたい」
真っすぐな瞳でパウルにそう言ったルーデンスに、パウルはふっと表情を緩めた。先ほどまでの緊張した面持ちとの急な差にルーデンスは拍子抜けする。
「そのお気持ち、大切になさってください。これからどんなことがあろうとも今のお言葉を見失うことがないように」
「だが、私は第三王子だ。優秀な兄上もいるのだし、実際には私はこのようなこととは無縁だろう」
そうルーデンスが自虐気味に言うと、パウルはそんなことはありませんよと首を横に振った。
「玉座にいなくても、この国のためにできることはあります」
その言葉にルーデンスはぱっと顔を上げた。そして、ふっと笑みを浮かべ頷く。
「そうだな。私は私にできることをしていくよ」