騎士団副長の困惑・3
アーレスはそのまま、夜会会場へと赴いた。
まだ開始時間ではないが、すでに会場は整えられており、軽食を運ぶ給仕たちが慌ただしく行き来している。
楽団の生演奏が、耳に心地いい。アーレスの普段の生活にはない華やかな空間は居心地悪いが、音楽は嫌いではない。
「あれ、アーレス様」
目ざとくアーレスに気づいた招待客が声を上げると、あっという間に人が周りに集まってくる。
「アーレス。団長就任だってな。おめでとう」
「五年ぶりですわね。相変わらず逞しいお姿ね」
「これが新しい勲章か?」
アーレスの実家、バンフィールド伯爵家はアーレスを除き、社交的な人間の集まりだ。
現在の当主である父も、後継者にあたる兄も、嫁に行った姉も、こうした場所で知らない人はいないほど有名である。その弟ということで、アーレス自身が社交的でなくとも、名前を功績も知れ渡っているのだ。
ちなみにアーレスが普段出席するのは戦の戦勝会くらいで、交流目的のものはほとんど断っている。
(どうせ、継ぐべき爵位もないのだし。騎士団のどこかに席を置いて一生を終えられれば本望なのだが)
ひと通り相手をした後、アーレスは給仕からグラスを受け取り、一口含む。すっかり喉が渇いていたから、アルコールがうまい。
「あ、オスカー様がいらっしゃるわ」
陛下のお出ましの声が響き渡ると、女性陣の声が一気に色めき立つ。
当然ながら容色の整った若き国王は社交界の人気ナンバーワンだ。
(見目麗しく若い陛下こそ、さっさと結婚すればいいのだ。早いところお世継ぎを儲けてもらわなければ、陛下の次は傍系から国王を立てなければいけなくなる)
アーレスは生真面目にそう思いながら、この広間と螺旋階段でつながる二階の吹き抜けを見上げた。
「オスカー陛下と聖女イズミ様がお入りになられます」
なんと、聖女も一緒に登場するらしい。
会場内の期待は高まる。演奏楽団は、登場が盛り上がるような背景音楽を演奏し始めた。
おもむろに両扉が開き、見目麗しい男女が登場する。会場の面々はわっと歓声を上げ……そして一瞬、静まった。
皆の視線は、聖女に向いている。
ミヤ様と同じ黒い髪。オレンジのバラの花束のような豪奢なドレス。しかし、それを着ている肝心の聖女は、とても地味な顔をしていた。卵型の輪郭に小粒な瞳。丸みを帯びた鼻に小さな口。それに無理やり派手な化粧をしているから、ひどくアンバランスに見える。
隣に陛下がいるのも良くない。誰もが振り向く美男子が傍にいては、容姿の平凡さが際立つというものだ。
周りの落胆のため息に、彼女は怯えたように身を震わせていた。
(これは……気の毒な)
本音を言えば、アーレスもミヤ様のような美しい女性を想像していたし、落胆もした。だが同時に、肩身が狭そうにしている彼女への同情の気持ちも湧き上がった。
勝手に期待されて勝手に失望されるのは、誰だって気分がよくない。まして彼女はこの世界にさえ無理やりに連れてこられたのに。
「やあみんな、よく集まってくれたね。こちらが聖女イズミだ。ミヤ様と同じ国から召喚された。この半年の間、彼女は非常によく力を尽くしてくれた。よって、今後はこの国の一員として穏やかに過ごしていただこうと思う」
陛下の紹介に、彼女は居心地が悪そうに頭を下げた。
それはそうだろう。半年でお役御免になる聖女なんて、無能だったと宣言されているようなものだ。
(陛下ももうちょっといい方ってもんが)
そもそも、なぜわざわざ夜会などを開く必要があったのか。
余程の馬鹿じゃなければ、今みたいに針のむしろのような状態になることくらい、想像できるはずだ。
そう考えてから、アーレスは陛下をもう一度見つめる。
彼が聖女に向ける笑顔には、悪意などみじんにも感じられなかった。
(違った。陛下には想像などできないのだ)
麗しい見た目で、こういった場所で好意にしか触れてこなかった陛下は、おそらく、彼女が感じる引け目や力不足な自分を嘆く心持ちなど、理解できていないのだ。
常に誰の悪意も受け付けない鉄壁のカリスマに、平凡な人間が持つ些細な感情の機微など掴めるはずもない。
「……呆れるな」
アーレスが思いを巡らして納得している間に、国王は聖女をアーレス以外の候補者に引き合わせていた。
ふたりも皆と同じように、ミヤ様を思わせるような美女を想像していたに違いない。
子持ちのパルティス子爵はあからさまに引いている。彼はもともと愛妻家だし、亡くなった奥方は有名な美人だったはずだ。
「娘が気難しくて……」などと娘を理由にやんわりお断りの方向へと話は向かっていた。
ネクロイド伯爵は、恰幅がよく、礼儀正しい紳士なので、にこやかに会話をしているものの、さすがに五十二歳は年上すぎる。どう見ても親子にしか見えない。
これに関しては聖女の方が引いている。
「ちなみに聖女殿は子供は何人欲しいですかな?」
結婚するしないの前に、その発言は頂けない。いや、駄目なわけじゃないが、それをいうときはその欲を孕んだような目つきを止めた方がいい。胸元を見ながらのそのセリフは、どう考えても体目あてにしか思えない。
「……駄目だ」
堪忍袋の緒が切れそうだ。
アーレスは腕を組んで堪える。だがいら立ちは隠しきれず、無意識につま先を動かし、軍靴を鳴らしてしまう。
こんな夜会、ぶち壊してしまえばいい。
胸に去来した思いはまずはそれだ。
もしも王都にいて、陛下から事前に聖女のお披露目の相談をされたなら、絶対反対した。
女性の心を傷つけるだけの夜会などする必要ないだろう。
(……滅してしまえ)
気が付くと体が動いていた。オスカー陛下の声だけがにぎやかなその一団に、アーレスは無言で突撃する。
「失礼」
ふたりの候補者をかき分けるようにして、聖女の前へと割って入る。陛下がすぐに気づき、顔をほころばせた。
「あ、イズミ。彼が三人目の候補者だよ、アーレス・バンフィー……」
「お初にお目にかかります。聖女イズミ殿。アーレス・バンフィールドと申します」
アーレスは、王妃か王女を前にしたときのようにうやうやしく聖女の前に跪き、ちらりとほかの候補者ふたりを睨んだ。
(本来、このくらいの敬意を払われてしかるべき立場の方だ。なのに、なぜお前等はのうのうと立って見下ろしているのだ)
聖女は驚いた様子でアーレスを見つめていた。
全体的にこぢんまりとした顔の作りで、綺麗な黒い瞳が宝石のようにきらめいていた。なんだ、とアーレスは思う。
(服が合っていないだけで、よく見れば可愛い顔をしているじゃないか)
そして、柄にもなく滑るように、愛を乞う哀れな騎士を歌った詩編のような文言を口にした。
「私のような年嵩の大男が候補者でがっかりさせたかもしれませんね。ですが、この通り力だけはあります。私を選んでくださるならば、あなたを守る盾として、この身を尽くすことを誓いましょう。全てはあなたの御心のままに」
普段ならば、このような浮ついたセリフは絶対に言わない。
水が流れるようにすらすらと言葉が出たのは、たぶん同情や怒りが引き金だったのだろう。
アーレスがひそかに思いを寄せていた人は、もうこの世にいない。もともと、叶うはずもない想いだったから、生涯誰とも結婚するつもりはなかった。だけど、当座の聖女の身の置き場としてなら、役に立つかもしれないと咄嗟に思った。
心無い視線を一身に浴びてうなだれながらも気丈にこの場に居続ける彼女を、せめてこの瞬間だけでも守ってやりたいと思ったのだ。