夢じゃなかった・2
その夕食から二ヵ月。いずみは毎日、神官とともに魔法の訓練に明け暮れた。
この世界では、元の世界でいう電気にあたるものがない。その代わりの動力として魔力が存在するらしい。人間は誰しも身の内に魔力を持っていて、それを使うことで生活を豊かにするのだそうだ。
前の聖女であるミヤ様も、来てすぐは魔法が使えなかったが、今いずみがやらされているのと同じ訓練をして、あっという間に習得したのだそうだ。
「本気ですかな、イズミ殿。こうですよ。こう」
「こ、こう?」
言われた通りにやっているのに、手のひらに熱を集めるという最初の工程すら出来ない。
同じ日本人でも、魔力には個人差があるのだろうか。神官は何度も頭を抱えている。
(ごめん。私もさすがにこんなに呑み込みが悪いとは思わなかった。これでも学校の成績は中の中くらいで卒業したんだけど)
心の中で謝ってみるが、こっちだって遊んでいるわけじゃない。だけど全くコツが掴めないのだから仕方がないだろう。
ミヤ様は几帳面な性格だったようで、日記を残していた。
それが今は文献として国王や研究者に閲覧されているらしい。
(プライベートの侵害だ。私は日記を書くのはやめよう)
そう思ったが、彼女の日記はいずみがこの世界のことを知るにあたり、かなり役に立った。
なにせ、同じ立場からのスタートだからだ。
日記には彼女のプロフィールも書いてあった。ミヤ様は昭和五十二年生まれの女性で、十八のときに大地震に遭い、気づいたらここにきてしまったらしい。
昭和五十二年を西暦に直して十八足して、さらに和暦に直すと平成七年。つまり、阪神淡路大震災が起きた年だ。
彼女は自身の知識をもとに、ダムの建設を指導し、この国を川の氾濫による飢饉から救った。
さらに水路の整備をし、農地改革をして作物を安定的に供給できるようにしたことで、聖女とあがめられたらしい。
(……凄いな。十八なんて学生だったろうに、その知識はどこから)
異世界から来たというだけでなく、ミヤ様は普通にできる子だったようだ。
彼女は二十歳のときに、この国の宰相と結婚したらしい。
子供はできなかったそうだ。
生きていれば五十八歳だが、十年前に亡くなったので享年四十八歳だという。
年をとっても美しく、優しく、気高く。まさに聖女……と言うのは神官とオスカーの談だ。
話せば話すほど、オスカーがミヤ様に心酔しているのがわかる。
母親が亡くなってから、ミヤ様がオスカーの母親代わりになってくれたことにも起因しているのだろう。
まだ幼くて母親を亡くしたことも分からなかったときとは違い、ミヤ様が亡くなったとき、オスカーは十一歳。
ものすごい嘆きようで、三日間部屋から出てこなかったと神官から聞いた。
ミヤ様の日記にも、幼いオスカー様のことがたくさん書かれていた。まるで、母親のような目線で。
子どもができなかったというから、それはそれはかわいがっていたのだろう。
(それ自体は別にいいの。オスカー様のいい思い出だよね)
ただ、ミヤ様を基準にしているから、聖女に対する期待値が高すぎるのだ。
(ちゃんと見えてるんだから……)
オスカーはいずみを見るたびにひそかにため息つくし、神官はいずみの魔法の習得の悪さを嘆きながら「ミヤ様……」と呟く。
(傷つくんだよ。たしかに私はなにも出来ないけど、無理に連れてこられたんだからそんなこと言われる筋合い無いっての)
「悔しい……」
冗談交じりにつぶやいたつもりが、結構本気で胸に刺さる。
日本にいても、目立たず役立たず。異世界に来てまでこうだなんて悔しすぎる。
*
結局、聖女の力は開眼しないまま数ヵ月が過ぎ、ある日、いずみはオスカーに呼び出された。
「一週間後、夜会を開く。そこで君の婚約者候補と引き合わせよう」
「え?」
「ここに来てもう半年近い。……ここまでたっても開眼しないのならば、君に聖女の能力は無いのだろう」
ついに、三下り半を突き付けられた。
いずみは目の前が真っ暗になるのを感じた。
聖女になりたかったわけではない。
だけど、仮にも召喚されて異世界にきたのだから、なにか自分だけに与えられた役目があるのだと思っていた。
(……のに、やっぱり私はここでもいらない存在なんだ)
「選定した候補者は三人だ。君の年と釣り合いの取れる人間となるとそうはいなくてな。
ひとりはクラウディオ・パルティス子爵、三十歳。妻を昨年亡くして、娘がひとりいる男やもめだ。もうひとりはイーサン・ネクロイド伯爵、五十二歳。こちらも奥方をずいぶん前に亡くされてる。子供は自立しているので君がなにかする必要はないだろう」
続くオスカーの言葉に、いずみは焦る。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。みんな再婚ばっかりじゃないですか。嫌ですよ」
現代日本では、二十六歳は結婚するには若い部類だ。何が悲しくて後妻に入らなければならないのか。
しかしオスカーは、いずみこそ変なことを言っているという顔だ。
「そうはいっても、この国では、大抵の奴は二十代前半で身を固めてしまうからな。独身の若い男となると、お前よりも五歳は若くなるけどいいのか?」
「……五十二歳よりは」
いずみは真顔で返す。オスカーの頬が若干引きついているのはちゃんと目に入っているが、これは譲れない。五十二歳よりは若い方がいい。
(二十一歳のオスカー様だって何なら恋愛対象内だよ)
オスカーは華麗にスルーすると、「言っておくが、相手にも選ぶ権利はあるからな」とひどいことをあっさりと言った。
「まあ落ち着け。最後のひとりが大本命だ。騎士団副長アーレス・バンフィールド。伯爵家の次男で爵位は無いが、これまでの功績と、聖女を娶る大役を考慮し、騎士団長の位と伯爵位を与える予定になっている」
「爵位で釣ったんですか? お年は幾つで」
「三十六歳だ。ちょっと変わりものでな。夜会にも出ず、ずっと独身だ。もっと前から騎士団長へという話もあったのだが、本人の希望で辺境地で国境警備にあたっていた。いい機会だし、呼び戻すことにした。今後は王都勤務で後進を育てて行ってもらう予定だ」
「はあ」
三十六歳もたいがい年上だが、独身というところでいずみも好感を抱く。
だが同時に不安も沸き上がる。
こんなに結婚年齢の早い世界で、三十六歳まで未婚ということは、よっぽど偏屈だったり不細工だったりするのではないか。
「変な人間ではないぞ。戦地で陣頭指揮を取りたがるから婚期を逃しているだけで、人柄は誠実だし、見た目も悪くはない。多少年齢は上かもしれんが、人材としては一押しだ」
いずみの邪推を知ってか知らずか、オスカーがそんなことを言う。
誠実な人柄……ってことは、頼まれたから断れなくて、仕方なく結婚するといっているのかもしれない。
少しばかり申し訳ない気分になりつつ、いずみは気を取り直してオスカーに尋ねた。
「そのお三方の中から私が選ぶんですか?」
「もちろん、相手の意向も考慮される」
(ですよねー。選びたい放題なんておいしいことにはなるはずがない)
「分かりました」
「ドレス捌きもちゃんと学んでおくようにな」
年下の王様から心配されるようなことでもないと思ったが、実際にドレス捌きは苦手だ。
何せ、日本で着たことのないドレス。お姫様みたいで素敵という印象しかなかったが、予想以上に重い。
(ずっしりした暗幕抱えているみたいな状態で、優雅に踊ったりお話したりできる令嬢、本当尊敬します)
「そもそもイズミは基礎体力が足りないんだ。そんなんでは結婚してから体がもたないぞ」
「……どうしてですか?」
貴族の奥方になるなら、家事だって使用人がやるはずだ。実際、城にいる間、いずみは家事らしいことは何ひとつやらされていない。ランプをつけるのでさえ、魔力を操れないためにメイドにやってもらっている始末だ。
「新婚のうちは寝かせてもらえないのが常だ。子供ができる前に倒れてしまうぞ」
そういう意味か、と悟った瞬間、いずみの顔に血が上ってくる。
「下世話ですよ、オスカー様」
「ははは。年の割に純情だな。イズミは」
(オスカー様こそ、年の割にセクハラ親父みたいだよ)
いずみはぷんすか怒りながら部屋を出て、それでも素直に筋トレを始めた。
決して初夜を乗り切るためではない。ドレス捌きにはたしかに筋力が必要かもしれないと思ったからだ。