その名は団長殺しの聖女・5
セシリーが順調に回復し、いずみたちも日常を取り戻したころ、フレデリックが屋敷に駆け込んできた。
「イズミ様ーっ」
「お約束のない男性をお通しはできません」
玄関先で攻防を繰り広げるのはリドルだ。だが、騒がしいフレデリックの声は屋敷中に響いている。
「どうしたんですか。フレデリックさん」
騎士団は今日も仕事のはずだ。当然、アーレスも朝から出かけたきりである。
たしかに後半組の昼休憩の時間ではあるが、そうふらふらと抜け出してくるものではない。
「大変ですっ。団長のところに女の人が来たんですよ」
「はぁ?」
「それが……、前にも来た女性なんです」
そういえば、以前フレデリックとエイダが遊びに来たときに、そんなことを言っていたような気がする。
だが、イズミにはどうにも信じがたい。
アーレスが二股をかけるほど器用だとは思えないし、何より、自分への愛情表現に今だ陰りが見られないからだ。
「単純にお仕事なのでは?」
「騎士団の仕事に女の人が関わるわけないじゃないですか。俺っ、団長の一途なところがカッコいいって思ってたのに。裏切られた気分ですよ」
「勝手に裏切られたことにしないで。……アーレス様に限ってそれはないわよ」
そうは思いながらも、いずみも少しばかり不安になっていた。
「じゃあ見に行きましょうよ。イズミ様」
「え?」
「俺の言うことが信じられないんでしょ? 本当に、今団長の執務室にふたりきりでこもってるんですから。一緒に見に行きましょう」
「奥さま、焼き上がりましたよ。ジンジャークッキー」
そこへジョナスがやって来る。
「あっ、いいにおい。ほら、騎士団への差し入れって言えば、突然の訪問の言い訳にもなるじゃないですか」
フレデリックの言葉は悪魔のささやきのようだった。
「……分かりました。行きます」
負けたような気持ちで、いずみはうなだれた。
*
「裏口からこっそり入りましょう。証拠の場面を押さえないと」
なぜか楽しそうなフレデリックに連れられて、いずみは騎士団舎へと足を踏み入れる。彼の進言に従って、頭にはフードをかぶっていた。何せこの黒髪が見つかると、すぐに団長の妻が来たとバレてしまう。
「ちょっとフレデリック。ホントにイズミ様連れてきたの?」
呆れた声を出すのはエイダだ。
「エイダ。……本当なの? その……旦那様に」
「女性がいらしているのは本当です。でもどのような用件かまでは……」
「……まだいらっしゃるの?」
フレデリックが来てすぐ屋敷を出てきたとはいえ、三十分くらいは過ぎている。アーレスが女性とふたりきりでそんなに長い時間いることなど、あるだろうか。
「正確には一時間はふたりきりで部屋にこもっていますよ。これはもしかするともしかする……」
「わけないでしょ! フレデリックと団長は違うんだから!」
エイダのお叱りが飛んできて、いずみも苦笑するしかない。……が、たしかに疑う余地もないわけじゃない。
「……一時間たったということは、フレデリックさんの休憩時間も終わりじゃないんですか。あなたは仕事に戻ってください」
「えええ! ここまで来てそれは酷い!」
「酷くなどありません」
そこへ、大きなカバンを持った女性が通りかかる。服装を見れば下働きの女性のようだが、品のいい笑顔を浮かべていた。
「あ、あの人ですよ」
「……あの人?」
とてもきれいな人だ。一瞬、胸がザワリとさざめく。彼女はいずみにふと目をやると、余裕の顔でほほ笑んで頭を下げた。
反射的に、いずみは団長室へと足早に向かった。
ちゃんと愛してもらえている。そう思うのに、なぜ不安になどなるのか。彼の愛情を疑う余地などないのに。
(……違う。それでも私、嫌だ。アーレス様に、他の女の人を触ってほしくない)
自分だけを愛してほしい。他の人なんて見ないで。普通の女性にあたり前にある嫉妬の感情は、いずみの中にも当然のように生まれていた。
(よそ見なんてしないで。頑張るから。ずっと好きでいてもらえるように、いくらでも努力するから。ミヤ様よりも誰よりも、私のことを好きでいて)
泥臭い嫉妬が、愛の中にある嫌な感情が、いずみを包む。
この感情も、きっとアーレスを好きでいる限り、消せることはないのだろう。
(それでも、私はもう、アーレス様への気持ちを捨てられない……!)
「アーレス様、入ります!」
ノックもそこそこに扉を開けると、振り向いたアーレスは驚いたようにいずみを見つめ、さっと後ろに大きな物体を隠した。
「イズミ? なぜここに」
「なにを隠したんですか? アーレス様」
いずみがずんずん中に入っていくと、アーレスもなぜかどんどん後ずさる。
これはますます怪しい。何か隠しているとしか思えない。
苛立ちに、思わず彼を睨んでしまう。濃青の瞳が、困ったように彼女を見返した。
(……あれ?)
不思議な既視感に襲われる。それはアーレスも一緒だったのか、彼は気が抜けたような顔をした。
だが後ずさっている足は止まらず、アーレスは空いていた窓に背中をぶつけた。
ぐらり、と彼の体が後ろに傾ぐ。
「危ないっ。うしろ」
叫んだと同時に、アーレスはバランスを崩した体を支えるために、窓枠に手を伸ばした。その際、彼が後ろ手に隠していたものは、窓の外へと落ちていく。
「うわっ」
下の方では、訓練に戻れといわれたフレデリックが、覗き目的ではしごをかけていた。
そこに布状のものが落ちてきて、思わず声を上げたのだが、この時のいずみとアーレスの頭には入って来ていなかった。
「……イズミだったのか?」
アーレスが、驚愕の表情をたたえて、いずみを見つめる。