その名は団長殺しの聖女・4
いよいよ和食づくりの日。いずみはアーレスとジョナスの三人で城へと赴いた。
「へぇ、俺、城に入るのは初めてです」
「その割には緊張感が感じられないな、お前は」
「度胸があるのはジョナスさんのいいところですよ。心強いです」
いずみに褒められ、ジョナスも悪い気はしないらしい。得意げに胸を反らすと、嫉妬深い主人ににらまれる。
「旦那様は、奥さまに関してだけは心が狭すぎですよ」
「うるさいな。お前ばかりが頼りにされるのは気に入らない」
いずみとしては、アーレスが守る家の中にジョナスも入っているのだから、守られてる仲間の気分なのだが、それをアーレスに言ってもなかなか通じない。
「お待たせいたしました、聖女様。オスカー様がお待ちでございます」
オスカー王は今日は玉座にいる。脇を側近たちが固めており、イズミはアーレスに習って最敬礼を取る。
挨拶を終えた後はすぐさま厨房を借り、料理を始める。
今日のメニューはアーレスから最も評判のいい、生姜焼きだ。それとしょうゆベースのドレッシングを加えた生野菜のサラダ。ご飯にお味噌汁、そして白米だ。
毒見の若者が、一口頬張り、はっと息を飲む。その口もとに笑みが浮かんだのをいずみは見逃さなかった。
時間のかかる毒見を、オスカーは待ちきれない様子で見つめていた。
「もういいだろう。いずみが私を害するはずがないのだから。せっかくの料理が冷めてしまうではないか」
「そうは参りません」
頑なな毒見係からようやく許可が出ると、オスカーはうきうきとそれを食べ始める。
「ほう、変わった味だな。だがうまい。醤油のこの感じ……なんというのかな」
「香ばしい……ですかね」
「そう、そんな感じだな。それがうまい。味噌汁もうまいな。ミヤさまが昔食べさせてくれたのはこんな味じゃなかった」
「おそらくはダシがとれていないせいでしょうかね。手近なところでキノコ類やゴボウとか……できれば小魚や海藻でダシを取れば深みのある味になります」
「すごいな、そなた、料理の才能があったのだな」
「では……」
「いいだろう。まずは小規模にだがコメを作る畑を作らせよう。この料理が広がるようなら、規模を増やしてもいい」
「ありがとうございます!」
いずみはアーレスの顔を見上げる。彼が予想よりずっと優しい瞳で見つめていてくれて、胸が温かくなるのと同時にギュッと詰まって苦しいくらいになった。
「やったな。いずみ」
「アーレス様……ありがとうございます」
ふと、オスカーの隣に立つ男性がぽつりと言った。アーレスによると、彼はミヤさまの夫の元宰相らしい。
「これを、ミヤに食べさせたかったですね」
「そうだな。ミヤさまが最後まで望んでいたものだ」
オスカー王も同調する。あのミヤ様ができなかったことが自分にできたのだと思うと、とても不思議な気持ちになる。同時に、セシリーが言ってくれた言葉は、本当だったのだと実感できた。
『イズミ様には、イズミ様の力が必ずあるはずです』
(本当にそうだわ。ありがとう、セシリー)
その後、いずみの料理は側近たちにもふるまわれ、好評のうちに食事会が終わる。
いずみは城の料理人たちに囲まれ、レシピの提供を頼まれた。
と、ふいに廊下が騒がしい。何事かと思って覗くと、メイドがひとり倒れているのが見えた。
「これは聖女様、すみません。掃除係が体調を崩したようで」
掃除係と言われて、その姿を凝視する。確認できたその顔はセシリーのものだった。
「セシリー!」
「イズミ様、お待ちください」
いずみを止めようとした文官をアーレスが止め、ふたりはセシリーの傍による。
「……っ」
顔に広がっていた点状出血の範囲が広がっている。そして、歯ぐきからも血が出ていた。
「どうして……しっかりして、セシリー!」
涙目になるいずみの背中を撫で、「とにかく医者に診せよう」とアーレスがセシリーを抱き上げる。
「悪いが、騎士団宿舎の一室を用意してくれ。それと医者を。かかる費用は全部俺がもとう」
よくとおるアーレスの声に、皆が背筋を伸ばし、動き始める。
*
呼ばれてすぐきた医者は、セシリーの症状を「いつものはやり病」と位置付けた。
「はやり病のこと、具体的に教えてくれませんか」
いずみには、この病の原因がおぼろげながらつかめていた。ただ、確証がない。だから情報が欲しかった。
「病人は、王都近くに集中しています。とはいえ、近くの人が発症するというわけでもないので伝染性はあまり疑われていません。いずれも衛生面には気を配っている人間が多く、細菌感染という可能性は低いと考えられています」
「王都周辺?」
「ええ。不思議なことに辺境の方ではあまりこういった症状は出ておりません」
それで、何となく確証が持てた。いずみはあくまで可能性の話ですが、と前置きして続ける。
「私のいた世界に、壊血病という病気がありました。古くに途絶えて、今その病を患う人はほとんどいないので、詳しい症状は私には分かりません。ただ、その原因がビタミンCの欠乏であることだけは知っています。私はこの世界に来て、あまりに生野菜が食べられないことを不思議に思っていました。火を通せば、衛生的であることに間違いはありません。ただ、火を通せば失ってしまう栄養もあります。特に熱に弱いのが、ビタミンCです。どうか、セシリーに出来るだけ新鮮なオレンジや緑野菜を与えてください。それで治るようなら、これはおそらく壊血病です」
王都周辺にこの病が多いのは、作物の産地から離れているからだ。
そのため、彼らは衛生面を気にして、敢えて食物に火を通す。
統計を取って見なければ確定はできないが、採れたものをすぐ食べられるような果物の産地ではおそらくこの病は起きていないだろう。
周囲にいた人間はいずみの進言にざわめく。
食品に火を通すように、と命じたのはミヤさまだという。出来損ないの召喚聖女がその反対のことを言ったところで、信じてもらえるかどうかは怪しい。
それもあって、いずみはずっと口に出すのを恐れていた。
だけど、倒れたのはセシリーなのだ。
自分を救ってくれた大事な友人を、見殺しにすることなどできない。
「だが……」
医者は戸惑っているようだ。彼らに了承されなれなければ、いずみはセシリーを引き取るつもりだった。
「こちらでしていただけないなら、私が彼女を屋敷に連れ帰ります。……アーレス様」
「構わん。君の大事な友人なのだろう。すぐに彼女の家族に連絡し、屋敷に移す手配を整えよう」
「待て」
立ち上がったアーレスを止めたのは、戸口から入って来たオスカー王だ。
「イズミの言うとおりにしてみろ。そして経過を観察するんだ。私はこの聖女を呼び出すとき、“この蔓延する病を治せる聖女を”と神に祈った。そして来たのがイズミだったんだ。だとすれば、この病に関してはミヤ様よりもイズミの方が信用に足ると思う」
「は、ははっ」
すぐさま医師や使用人たちが動き出す。
いずみは信じられないような気持ちでオスカー王を見つめた。
「意外です。オスカー様がミヤさまよりも私を信じるなんて」
「……料理に関して、腕は明らかに君の方が上だ。俺はミヤさまの傍にいたからこそ、それをよくわかっている」
「そうですね。知識が豊富である以外は、ミヤは普通の女性でしたよ。功績ばかりが先歩きして、神々しい聖女のイメージを押し付けられていましたが、普通に失敗もするし、嘘やごまかしをすることだってありました」
続けるのはミヤさまの夫だ。
いずみは、胸に凝り固まっていたミヤさまへのコンプレックスが、緩やかに溶けていくのを感じた。
「君は、料理で我が国を救う聖女だったのかもしれん」
オスカー王の言葉は、その場にいた使用人たちを通じて城中へと広まっていく。
やがて、セシリーが回復するにつれ、「イズミ様の考案する料理には聖女の魔法がかかっている」などと根も葉もないうわさが立ち始め、やがて国中へと広まっていったのだ。