その名は団長殺しの聖女・2
アーレスの体のほてりはいつまでたっても消える気配はない。
しばらくは廊下をうろうろしていたが、アーレスは諦めていずみの部屋の前に立った。
「イズミ?」
ノックをしても返事はない。そっと開けてみると、いずみがベッドの上に倒れ込んでいた。
「……イズミ!」
思わず青ざめて駆け寄ったが、彼女は寝ているだけだった。上には布団もなにもかかっておらず、薄い夜着のせいで、体の線が綺麗に透けて見えていた。おそるおそる頬に触れると、眠ってからどのくらい経っているのか、ひやりと冷たかった。
「このままでは風邪をひいてしまうな」
アーレスは彼女を抱き上げ、掛け布団をめくり、彼女を横たえた。男の本能が、その丸みを帯びた体を抱きしめたいと強烈に告げてくる。
「う……ん」
ごろりと寝返りを打ったいずみは、傍にあったアーレスの指先を掴んだ。
まるで不埒な心を見透かされた気分だった。
指を掴む力は弱いものだが、アーレスはまるで拘束されたように動けなくなる。
「起こすわけにもいかん」
ため息をつき、彼女に布団をかぶせた。指を引き抜けば、立ち去ることもできる。
だがそれももったいないような気がした。右手を彼女に預け、残った左手で髪を撫でる。
綺麗な艶のある黒髪だ。ミヤ様もそうだったから、彼らが住む国の人間はみんなそうなのかもしれない。ミヤ様の色だった黒は、今やアーレスにとってはいずみの色だ。
「……俺を愛してくれないか」
眠るいずみに告げるのはずるいかもしれない。練習だ、と自分に言いきかせ、続ける。
「たしかに俺は、ミヤ様に焦がれていた。窮地に天から救いの声をくださったのだ。そんな神のような所業に、仕えるべきはこの方だとそう思えたのだ。だからだろう。ミヤ様が他の男と結婚しているのも、仕方のないことだとしか思わなかった。今思えば、俺はミヤ様を生身の人間とは見ていなかったのかもしれない。……だが、イズミは違う。守ってやりたいと思うし、何でもしてやりたいとも思う。……でも同時に、俺も愛されたいと願ってしまうんだ」
愛を乞う。自分にはできないと思っていたことが今はできる。
「イズミ。俺が持ちうるすべてを君に捧げよう。だから君は、その心を、すべてを俺に捧げてほしい」
姉の夫の臭いセリフを今まで馬鹿にしてきたが、心の底から願うと、驚くほど自然に言葉が浮かんでくるものだった。
「君を愛している」
アーレスの指を握っていたいずみの手が、ピクリと動いた。怪訝に思ってのぞき込んでみると、彼女の瞼はぴくぴくと動いていた。
「イズミ……もしかして、起きているのか……?」
彼女はびくりと体を震わせ、おそるおそる目を開けた。
マホガニーの家具のような濃茶の瞳が、アーレスを捕らえる。途端に、気恥ずかしさが増して、アーレスも一気に真っ赤になった。
「ゆ、夢かと、思ってました」
彼女は真っ赤になった顔を押さえたまま、そう言った。そのかわいらしさは、アーレスの理性を破壊するのには十分だった。
「イズミ」
自然に湧き上がった生唾を飲み込んだ。喉を伝っていくのが妙に感じられて、ああ自分は喉が渇いているのかと、漠然と思う。
カラカラに、乾いているのだ。乾いていることにも気づかないほど。
「最初に、妻としての役割は求めないなどと言っておきながら、愛を乞うなど俺は浅ましいのかもしれない。だが今の俺にとって、君は聖女なだけではない。妻であり、誰より愛しい女であり、……俺の欲を駆り立てるただ一人の女性だ」
直球の愛の言葉に、いずみはがばっと起き上がる。
「わ、私も好きですって言ったじゃないですか。改めて言わなくても……ってか、言われたら、嬉しいですけどっ。なんか、その……」
勢いがどんどん落ちていく。彼女は顔を真っ赤にして、最後には絞り出すような声を出した。
「……恥ずかしいです」
「うん。俺もだ。だが言葉を尽くせと、先人は言うからな」
アーレスは微笑むと、いずみの唇を指で撫でた。
「キスをしてもいいだろうか」
「……真面目!」
思わず口をついて出たいずみの感想に、アーレスは出方を間違えたと不安になる。しかし彼女は、恥ずかしそうにしながらもアーレスに向かって手を伸ばした。
「了解なんて取らなくても、私達、両思いなんでしょう? お好きなときにしてください。私もずっと、したいと思ってました」
許可を得て、アーレスは自分の理性が崩れていくのが分かった。柔らかい唇に触れ、いずみの体を抱き寄せる。
「……ん、ふっ」
呼吸させる間もないくらいに、唇を重ねては吸い、舌先でその入り口をつつく。恥ずかし気に薄く唇を開けた瞬間に、舌をねじ込み、彼女の中を味わう。
これまで、特別女性と触れ合いたいと思ったことはなかったが、いずみに触れているのは気持ちがよく、体の中が満たされていくのを感じた。
ずっと乾いていた彼は、ひとたび水を得て、その欲求を止めることができなくなってしまった。
とさり、とベッドに倒されて、いずみは思わず「へっ?」と声を上げた。
「あの、アーレス様?」
「駄目だ。我慢がきかない。イズミが欲しい」
繰り返されるキスはやがてその位置をずらしていく。夜着の上から撫でてくる手に、いずみも身をよじった。
「あの、でも、怪我、怪我がまだ完治していないのに」
「ここまでくればもう治ったようなものだ」
体を押し返してくるいずみの力は可愛いものだ。本気で嫌ならもっと力を込めてほしい。でないと止まれそうもない。
「……いやか?」
それでも、無理強いをするのは避けたい。高まり切った欲求を、持ち前の鋼鉄の理性で一度は押し込め、息も絶え絶えになって聞く。
いずみは真っ赤な顔でアーレスを見て、その後恥ずかしそうに目をそらした。
「いやじゃ、ないです」
無意識にホッと息が出た。アーレスは自分が珍しく緊張していたのだと知る。
「ただ、私、初めてなので……」
真っ赤になりながら、しどろもどろに話すいずみは凶悪なほど可愛かった。
「愛している、イズミ」
鉄壁の理性は、珍しく衝動に負けた。
自身の体重を乗せすぎないように気を付けながらも、彼女をベッドに沈めていく。
これが愛だと、アーレスは心の底から理解した。
心も、体も、これ以上ないほど満たされる。なのに、もっともっとと欲求は尽きない。無欲にもどん欲にもなれるもの。それが愛だ。
この夜を、一生忘れないとアーレスは思った。そして叶うなら、彼女にもずっと覚えていてほしいと、柄にもないことを考えたのだ。
*