夢じゃなかった・1
いずみが目が覚ましたのは、自分のお腹の音でだった。あまりにふかふかのお布団にすっかり眠りこけていたらしい。気が付くと部屋の中は暗かった……が、六畳一間の自分の部屋と違うことくらいは分かる。
「嘘っ、まだ戻れてない。本当にここどこっ」
先ほどは精神的に参りすぎていてよく周りも見ていなかったが、部屋の中は相当豪華なつくりだった。
二十畳くらいありそうな広さに、デデンと置かれた天蓋ベッド。真鍮製と思われる豪華な燭台が壁につけられていて、マントルピースの暖炉が据え付けられている。
とはいえ、いずみにはどうやって火をつけたらいいのかもわからない。途方に暮れてしゃがみこんでいると、扉がノックされ、「イズミ様入ってもよろしいでしょうか」と女性の声がする。
「はいはい」
いずみは駆け寄り、急いで扉を開ける。……と、面食らったようにメイド服の女性は目をぱちくりとさせた。
「え……あ、も、申し訳ありません! お手間を取らせてしまって」
「いえ。こちらこそ。その、……あの」
あからさまに恐縮したメイドの態度に、いずみの方が慌てる。
(もしかして、……扉を開けて出迎えるのはおかしいのかな)
いずみは戸惑ってしまった。この世界の常識がわからないのは、地味に不便だ。
「気にしないで。それより何の用かしら」
笑顔でそう言うと、メイドはホッとしたように顔をほころばせた。
「食事の用意ができました。その前に着替えのお手伝いをいたします」
「着替え?」
いずみは思わず自分の服を見る。寝ていただけなので別に汚れてはいない。今日は助手としての撮影だったから、清潔なシャツにワイドパンツというスタイルだ。特段おかしいということはないはずと考えていると、メイドは苦笑して言った。
「国王様との晩餐になりますので、見合ったドレスをお選びいたします」
「晩餐……」
仰々しい言葉に、一瞬思考が止まる。
(そうか。気さくな感じで話しちゃったけど、あの美形、王様だったよね。うわ、急に緊張してきたし!)
「あの、食事の作法とかあるのかしら」
一応料理研究家ではあるし、食事のマナーは知っている。……だがそれは現代日本のものだ。この世界独特の作法があったら、間違いなく粗相をするだろう。
そんないずみの心配を、メイドは笑顔で一蹴した。
「一般的な作法をご存知でしたら何も問題ありませんよ」
「いや、だから」
その一般的の基準が分からないんだって。
そう言いたかったけれど、常識が違うかもしれないことを、どう説明していいか分からない。
いずみは浮かび上がる数々の疑問を、すべて黙って飲み込み、メイドに身を任せることにした。
彼女が用意してくれたのは、ブルーのドレスだった。レースが大量につけられていて、色合い的には清楚なはずなのにごってりしている。髪も結い上げてもらい、ネックレスやイヤリングで飾られる。
(こうしてみると私だって……なんて微かにでも思ってごめんなさい)
いずみは鏡の中の自分を見つめ、思い切りため息をついた。うりざね型の和顔に、ドレスなんて似合うはずもなかった。まるで市松人形がドレスを着ているような違和感満載だ。
メイドも微妙な表情をしたが、時間もないことからこれ以上手を加えるのは諦めたらしい。
「ご案内いたしますわ」
と、迷いを振り切ったように顔を上げ、笑顔のままいずみを先導する。
(ある意味、このメイドさんもプロだな)
感心しつつ、いずみは若き国王が待つ部屋へとやって来た。
そこは天井の高い広い部屋だった。長いテーブルが置かれ、そのお誕生席にオスカーがいる。テーブルの上には料理のほかに食卓を彩る花も所狭しと置かれていた。
「ようこそ、聖女殿、こちらへ」
一瞬、顔をこわばらせたオスカーは、いずみをエスコートするべく立ち上がって近づいてきた。顔を浮かべながらも、軽く目はそらされている。
(直視したくないほど似合ってないのか! もういっそはっきり言ってよ。中途半端に気を使われるのが一番キツイよ!)
内心は傷ついたが、いずみは笑顔を取り繕ってかしこまる。
「恐れ入ります。国王様」
「オスカーでいいよ」
「では、オスカー様」
オスカーはまずいずみを席に座らせ、その後自分も向かいの席に着いた。同時に、側仕えによる給仕が始まった。
(……ん? 晩餐はふたりでということ?)
「あの、オスカー様のご家族は……」
神官の話では、父親は亡くなっているようだった。だが、まだ若い王様に、母親や妻はいないのだろうか。不思議に思っていずみが尋ねると、彼は少しばかり寂しそうに笑った。
「父が亡くなったのが三カ月前だ。……母はもっと前、私が三歳の夏に流行り病で亡くなっている。私はまだ二十一で未婚でほかに兄弟はいない。もてなすのが私だけでは不満か?」
「とんでもない。……すみません。失礼なことを聞いてしまって」
いずみはひとり暮らしをしているが、実家の両親は健在だし、弟もいる。家族仲も悪くない。
幸せな自分の身の上を思い出し、申し訳ない気持ちになるのと同時に、急に不安になった。
(そういえば、私がここにいるってことは、あっちの世界の私っていなくなっちゃったのかな。だとしたら、父さんも母さんも心配してる?)
急に寂しくなり、いずみは黙った。それを、同情と取ったオスカーは、からっとした声で笑った。
「君が気にすることではない。母は無くとも、私には世話をしてくれる女官もいたし、ミヤ様もいた。まあ、ミヤ様も長生きはなさらなかったがな。……それより、今後の君の処遇についてだ」
「はい」
それはいずみにとって、最も重要なことだ。
(役に立たないのならばさっさと帰してほしい。こんな私だけど、家族くらいは心配してくれているはずだし)
「神官と話し合ったんだがな。まずは本当に聖女としての能力がないのか確認しなければならない。しばらくはこの王城に住まうといい。この世界のことも知ってもらわなければならないし、君が望む通りの学習環境を整えよう」
オスカーの提案は、前向きなものだ。……この世界の人間としては。
でもいずみは不満だった。好きでこの世界に来たわけじゃない。
「えっと、あの。私、帰りたいんですけど」
「ん? なんだと?」
「ですから。元の世界に帰りたいのです」
勇気を振り絞って、毅然とした態度で言った。後は、彼らが帰還への方法を教えてくれれば完璧だ。
しかし、オスカーは美しい顔を少し翳らせた。
「申し訳ないが、帰る方法というものは無いのだ。ミヤ様の残した文献によると、聖女は元の世界で死と直面した人間から選ばれるらしい。ミヤ様も地震でタンスとやらが落ちてきたと思ったらこの世界に来たと言っていた」
「……そんな」
目の前が、真っ暗になった感覚があった。いずみは自分の頬をつねり、痛みを感じて泣きたくなる。
(これって本当に本気で現実なの? だったら私、帰れないの? 役立たずのまま、ずっとここに居なきゃならないの?)
ナイフとフォークが止まったのを見て、オスカーはさすがに気の毒と思ったのか、優しい声を出した。
「心配せずとも、君のことは王家でちゃんと面倒を見よう。聖女として活躍してくれれば言うことはないが、もし能力が目覚めなければ、しかるべき嫁ぎ先を私が世話してやる」
「と、嫁ぎ先?」
(いきなり結婚? いや、見合い?)
驚くいずみに、オスカーは怪訝な顔を向けた。
「当然だろう。女性がいつまでもひとりで生きられるものではない。君は……失礼だがいい歳だし」
「……二十六ですが」
「ここでは、すでに子が三人いてもおかしくない年だ。ここに来る前の世界では結婚していなかったのか?」
呆れたように言われて、いずみは黙ったまま膨れる。
(それ、日本だったらセクハラ発言ですからね。結婚どころか処女ですとも。悪かったな)
「……いいえ」
「ならばこちらの決める相手で異存は無いな? 君は今後神官に教えを請い、聖女の力を目覚めさせるべく、力を尽くしてほしい」
(いやいや、異存は大ありですけど。それに、私は決して婚活しているわけではないので斡旋などいりません)
そう思ったけれど、オスカーは話はまとまったとばかりに満足げに食事を再開した。
いずみは考える。
ここの常識はまだわからないことが多いけれど、衣食住保証してほしければ聖女の力とやらを発揮しろってことなのだろう。力が目覚めなければ結婚しろというのは、役に立たないものをいつまでも王城で面倒は見れないからってことなわけで。それ自体は理にかなっている。
「では、例えば結婚ではなく仕事をしてはいけませんか。下働きでも何でもいいんです」
「君が良くても私が困る。呼び出した聖女に下働きをさせるなんて、なんて身勝手な王と呼ばれてしまうではないか」
眉根を押さえて苦悩した表情を浮かべられたが、知るか、と思う。
(こっちの意思も関係なく呼び出したんだから、十分身勝手でしょうよ)
「とにかく、これで決定だな。君は神官との勉強に励むように」
その言葉で、いずみの今後についての相談は打ち切られた。
その日の食事は間違いなく豪華だったはずなのに、いずみは不安や不満にとらわれすぎて、味がよくわからなかった。