騎士団長の長き恋・5
それから、アーレスが回復するまでの一週間、いずみは食堂の手伝いをし続けた。
なぜか協力的になったフレデリックのおかげで、食堂内改革も進む。
彼はお調子者ではあるが、人からは嫌われない性格のようで、彼が率先してイズミに協力するおかげで、皆がイズミに従う空気が作られていった。
基本、料理人は厨房から出ることなく、利用者がお盆をもって取っていくスタイルが定着していった。
やがてお茶もセルフで入れるようになり、「なんかすっごく仕事が楽になりました」と語るのはエイダだ。
そしてその間、食堂のメニューはいずみが考えた。
「聖女の料理を食べてから、体が楽に動くようになった気がしないか?」
そう、誰かが語りだし、「あ、なんかそれ分かるかも。前よりバテなくなった」
「あの料理食べてるから、団長は怪物並みの体力なんじゃないか?」
これまでのアーレスの戦歴と、訓練の厳しさがその噂に尾ひれをつけて行く。
「聖女の考案したレシピの料理を食べていれば、一日中走っていても倒れない体力がつくらしいぞ」
やがていずみの耳にそれが届いたころには、どうにも誇張されていた。
「そんな化け物を作る料理なんか作れないわよ」
憮然とした表情で、いずみが皿洗いをしていると、料理長がくつくつと笑う。
「見たことない料理だったし、実際スタミナは前よりついているんだろう。そこは考えていたんじゃなかったのかい?」
「たしかにスタミナが付くためのレシピを考えてはいますけど、食事だけでそれが叶うわけではありません。騎士団の方々が真面目に鍛錬している成果が出てきたんでしょう」
いずみの言葉に、料理長は顔をほころばせる。
「あんたは不思議な聖女だな」
「不思議……ですか?」
「ああ、全然偉ぶるところが無くて、親しみやすい。その分威厳はないがな。だがまあ、話しやすい」
「褒められてるんですか? だったら、ありがとうございます……ですけど」
「褒めてるよ。あまりに神々しい聖女は、庶民には遠すぎてな。聖女に救ってほしい人間もたくさんいたが、会うことすら叶わない人間の方が多かった。その点、あんたは顔を見合わせても気楽な聖女だな。こうして欲しいってことも言いやすくていい」
感慨深げに言う料理長をまじまじと見つめ、不思議な気持ちになる。
まあ、ミヤ様列伝を聞いていると、彼女があまりにも手の届かない存在であることは納得がいく。
だけど自分のことを親しみがあっていいと言ってもらえるとは思わなかった。
気恥ずかしくなり、しばらくいずみは無言で皿を洗う。
そして、終わったとき、料理長が明日のデザートの仕込みとして林檎の砂糖煮を作っているのを見て、ふと気になった。
「……そういえば、あまりフルーツをそのまま出すことが無いのはなぜですか? 生野菜を使った料理も少ないですよね」
「あ? ああ、これはミヤさまがおっしゃったんだ。衛生のために、食材はできるだけ火を通したほうがいいとな。ミヤさまのおかげで食物の生産量は増えた。その分、保存期間が長くなってきたから、できるだけ火を通したものを出すようにしているんだ」
この世界は、日本のように衛生的ではない。だからその主張自体はいずみにも理解できる。
(……でも、果物も?)
そう簡単に悪くならないリンゴやオレンジといった果物類まで、同じように加工する必要があるだろうか。
「でも火を使うことによって失われる栄養もあるはずなんだけどな……」
そういえば、ミヤさまは味噌や醤油を作らせていたのに、うまい料理法は紹介していないようだった。
日記を見ていても、自分で料理をする記述などなかったし、ダム建設やいろいろな知識を知っていたようだが、料理関係の知識は疎かったのかもしれない。
「イズミ様、聞いてよー!」
そこへ、泣きはらした顔で食堂に戻ってきたのはエイダだ。
「エイダさん? どうしたの?」
「フレデリックってば信じられない。もうっ、もうっ、男なんて信じないー!!」
「エイダ、お前、あの男と何かあったのか?」
うわあああんと大きな声で泣きはらしたエイダと、心配で大声を上げる料理長のせいで収拾のつかなくなった食堂に、たまたまアーレスが入ってくる。
「フレデリックがなんだって? 俺も聞かせてもらおうか。団長室へ来い」
予想外の大物の登場に、エイダは思わず涙を止めて、イズミに抱き着いたのだ。
「ううう。何で失恋話を団長さんに報告しなきゃならないのぉ」
エイダは途方に暮れている。たしかに気の毒だ。
「私が行って断ってきましょうか。アーレス様は女性には優しいから、エイダさんに悪くなるようなことはしないと思うけれど、男の人には言いにくいんでしょう?」
「イズミ様……」
エイダは目を潤ませていずみを見つめ、その後、意を決したように首を横に振った。
「いいえ! こうなったら団長様にフレデリックを叱ってもらった方がすっきりする! 話しますとも!」
「うん。……うん?」
果たしてフレデリックは無事でいられるのか。むしろそっちが心配になるイズミだった。
*
「どうも、フレデリックは純愛がしたくなったんだそうです」
「それをエイダさんにいうのって酷くないです?」
聞けば聞くほど、フレデリックが駄目だ。駄目すぎる。
曲がりなりにも恋人相手に、純愛をしたいから別れてくれ、はない。
エイダじゃなくても、悲しいを通り越して怒りが湧いてくる。
エイダはハンカチを噛みしめながら怒り心頭である。
「最初っから、深い付き合いをする気はないって言われてたんです。ただ、休日に遊びに行ったりとか、そう言ったことを楽しむ相手になってほしいって。まあ女友達ですよね。ただ、私の方は、そうやって遊びに行ったりしているうちに、本気になっちゃうわけじゃないですか」
「分かるわ」
「分かるぞ」
団長夫妻のステレオでの賛同に、エイダは勇気を得たように顔を上げる。
「フレデリックが過去に結婚直前で婚約者に逃げられた話も聞いてます。だから恋愛は遊びでしかしないって言うのも、納得はしないまでも仕方ないかなって思っていたんです。ところが、団長夫妻をみていたら俺も結婚がしたくなった。だから別れてほしいって言うんですよ! そりゃ、料理人の娘なんて、貴族のお坊ちゃまの相手にはならないの分かってますけど。……けど」
「泣かないで、分かるわ」
「自分の都合で純真な娘をいいように扱おうなど、男の風上にも置けん」
バキバキとアーレスの重ねた拳が鳴る。怖い。自分たちが怒られているわけでもないのに、エイダといずみは思わず身を震わせて抱き合った。
「で、エイダさんはどうしたいの?」
アーレスがいきり立ってフレデリックを半殺しにしてしまう前に、イズミは釘をさすつもりで聞いてみる。
「フレデリックさんを殴りたいなら、アーレス様が代わりに殴ってくれるわ。復縁したいのなら、落ち着いて話し合いをするところからだと思う。ただ泣きたいだけなら私が気が済むまで付き合うわ。どれがいい?」
そんなことを聞かれるとは思っていなかったのか、エイダはきょとんとしていずみを見つめる。
「私……そんなことは何も考えてなかったわ。ただ悲しくて……、でも話したら少しだけスッキリしました」
「うん」
「フレデリックとの未来なんて、本当はないってわかってた。それに、そんなことを言うような人と、一生暮らせるわけないって思うわ。父さんみたいな、ひとりを一途に思う相手じゃなきゃ、私の人生を預けたりできないもの」
「そうね」
「ただ、私。……そう、明日からひとりだって思うと寂しいの」
エイダはようやく本音にたどり着いたというように、ぽつりと言った後、今度は泣き叫ぶではなく、静かに涙をこぼした。
いずみは彼女の手を握り、ゆっくり優しく語り掛ける。
「じゃあ、明日は私と約束しましょう。作りたい料理があるの。エイダさんが手伝ってくれると助かるわ。なにせ私は、オーブンひとつ扱えないんだから」
「イズミ様」
「そして友達になりましょう? たまのお休みは約束をして、一緒に出掛けたり、お茶を飲んだりしましょう。どうかしら? 明日が楽しみにはならない?」
エイダは一瞬顔を上げ、しかし頑なに首を振った。
「バカ言わないで。私なんかと聖女様が友達になんてなれるわけないでしょう?」
「どうして? あなたは私を助けてくれたわ。私もあなたを助けたい。そう思うのは駄目?」
エイダはしばらく眉を下げて困っていたが、やがて根負けしたように笑い出した。
「そんなこと言う聖女様初めて見たわ」
「だって私は出来損ないの聖女だもの。でもそのおかげであなたが笑ってくれるなら、それでもいいわ」
「……イズミ様」
感動をあらわにして、エイダがいずみに抱きつく。微笑ましくそれを見守っていたアーレスは「では俺は、阿呆の叩きなおしに行ってくる」と言って部屋を出て行った。
「叩きなおし……?」
「見に行きましょうか。フレデリックさん、殺されちゃうかも」
顔を見合わせたふたりは、アーレスを追うために部屋を出る。しかし、どんな速さで移動しているのか、すでに廊下にアーレスの姿は見えない。ふたりはアーレスもしくはフレデリックを見つけるために、一緒に騎士団宿舎内を走り回った。
ふたりとも、運動が得意な質ではない。すぐに息が上がって、目だけで疲れた意を伝えていく。
同じようなタイミングで歩を緩めると、ふいにおかしくなってきて、どちらからともなく笑い出す。
「あはは。あーなんか、スッキリしてきちゃった」
「そうですか?」
「うん。男より女同士の友情ってのもいいですよね。本当にイズミ様のところに遊びに行ってもいいんですか?」
「いいわよ。いつも新しい料理を練習しているから、エイダさんの手が空いたときにでも来て、手伝ってくれたらうれしい」
「やったー」
エイダの屈託のない笑顔に、いずみの心もほころぶ。
グレース様に言われた貴族とのお茶会にはまだ自信がないが、こうして友達を作ることは徐々にできている気がする。少しずつでもこの世界に自分がなじんでいる自信が湧いてきた。




