騎士団長の長き恋・2
一方、アーレスは駆け込んできたフレデリックにたたき起こされた。
あの後、フレデリックはエイダとセイムスに散々叱られた。不用意に確証のないことを言うからだ、とふたりは頭ごなしに彼を非難していたが、楽しんで聞いていたくせに、とフレデリックは少し不満だ。
それから彼は、聖女イズミを慰めるために探したが、彼女にあてがわれた部屋がどれかわからず、とりあえず報告しなければと、団長に怒られるのを覚悟してやって来たのだ。
「なんなんだお前は!」
「すいません、団長! 俺、聖女様に余計なこと言っちゃったかもしれないんです」
「はぁ?」
「団長がかつてミヤさまにぞっこんだったって……」
「……は?」
アーレスは、思わず頭が真っ白になった。
(いや、なんだそれ。間違いじゃないが。だがなんで今それをイズミにいう。というか、何でこいつが知っている?)
激しく巡る思考は言葉にはならず、ただゆらりと拳だけが宙に浮く。殴られると咄嗟に判断したフレデリックは、素晴らしき反射力で一気に後ろに後ずさる。
「落ち着いてください。聞いたのはルーファス様からです。そして、別に密告したわけじゃなくて、世間話していたのを聞かれちゃっただけなんすよ」
「ほう、お前と誰で俺を話の種にしていたんだ?」
「セイムスとエイダ……じゃなくて! 奥様ちょっとショック受けちゃったみたいでですね! 泣いちゃったようなので一応ご報告しておこうかと」
「一発殴らせろ」
まだ熱のある体で、思い切りフレデリックの頬を殴ったアーレスは、そのままガウンを羽織って部屋から出た。
「いってぇ。……って、どこに行くんです、団長」
「イズミを探してくる。ちゃんと話をしないと」
「でも熱があるんでしょう? 部屋がどこか教えていただければ、俺が連れてきますよ、ここに」
フレデリックはそう言うが、彼女のことを人任せにする気はアーレスにはなかった。もしも彼女が泣いているなら慰めるのは自分でありたいし、泣かせている内容が自分のことだというならなおさらだ。
「お前になど任せておけん」
冷たく言うと、アーレスはフレデリックを冷たく睨みつける。それは、彼を庇って怪我をしたときにさえ見せなかった、怒りの表情だ。
今までさんざん叱られてきたが、こんな顔は見たことが無い。
フレデリックは不意に理解した。
アーレスはこれまで、自分や騎士団全体のことを心配していただけなのだと。
決して自分の感情で、こちらに八つ当たりをしてきたわけではなかったのだ。
そして彼が本気で怒ったとき、これまでの説教など比べ物にならないほど恐ろしいということも。
「言っておくがな。俺は、ミヤ様のことを尊敬している。これが恋情だと思っていた時期もたしかにあるが、今は違うと分かっている」
「団長」
「俺が愛しているのは、イズミだけだ」
はっきりと言い切り、フレデリックを部屋に残してアーレスは立ち去る。
「やべぇ、かっこいい。これが純愛ってやつかぁ。……なんだよ、羨ましくなっちゃうじゃん」
殴られた頬をさすりながら、フレデリックはしみじみと言う。
女運が悪い彼の幸せは、まだまだ遠い。
*
まだ熱が下がらないアーレスは、視界が軽くゆがむのを感じていた。
いずみにあてがわれたのは、おそらく賓客を迎える際の客室だ。北側の三階にあり、階段を下りれば、城と繋がる渡り廊下の入り口がすぐにある。
アーレスの部屋に与えられた部屋も、医師の出入りを楽にするために北側の一階にあるため、階が違うだけで位置は近い。
階段をのぼりながら、アーレスは上着のポケットにある、髪飾りを確認する。
(いい機会だ。ちゃんと話そう)
アーレスはもともと話ベタだ。社交好きなバンフィールド伯爵家の中でも異端児と言える彼は、ひと言が三倍になって返ってくるような家庭環境で、余計なことは言わない方が楽だという感覚を身に着けてしまっていた。
だが、誰に対してもそれでは駄目なのだ。
どんな人生を送り、今どんな気持ちでいるのか。それをいずみに知ってもらい、そして伝えなければならない。
いずみのことを、どう思っているのか。ミヤさまへの気持ちとは根本が違うということも。
扉の前で一度深呼吸をし、ノックをして戸を開ける。地味な服装の女性が室内を歩き回っているのが見えた。が、それはイズミではなかった。
「……ジナ?」
「あっ、アーレス様。イズミ様がどこに行ったかご存じありませんか?」
「いないのか?」
不安で胸がざわついた。荒く息を吐き出しながら、アーレスは自分の中に焦りを感じる。
イズミが行ける場所など、そう多くはない。
ましてこの騎士団宿舎は男ばかりだ。自分の妻だと知っていて手を出してくるような輩は騎士団にはいないと思うが、聖女ということで興味を持っているやつは大勢いるだろう。フレデリックのようなタイプの男なら、無遠慮に話しかけに行くのではないか。
聖女の能力がないことを気にしている彼女に、そんな好奇の目は向けたくなかった。
「俺は知らん。部屋に戻ったと思っていたんだが。ジナはどうしてイズミを見失ったんだ?」
「私は、奥様に言われて、着替えや食材を取りに一度屋敷に帰ったんです。で、戻って部屋に案内されたら姿が見えなくて。しばらく待っているんですが……」
つまりジナは、いずみが泣いている姿は見ていないということだ。
「……探してくる」
ふらついた体でアーレスが踵を返すと、ジナが慌てて駆け寄ってくる。
「旦那様、まだ熱があるのでは? 私が探しますから、お部屋で休んでいてください」
「いや、駄目だ。ちょっと行き違いがあったようなんだ。自分で説明しないといけない」
「ですが、旦那様になにかあったら悲しむのは奥様です」
ジナの言葉はもっともだ。だけど、今部屋に戻ったところで、きっと休めなどしない。
いずみが泣いているかもしれないのに、ただじっとして心配しているなど、耐えられない。
(……やはり、ミヤさまへの気持ちとは違う)
アーレスがミヤ様を知ったとき、彼女はすでに宰相と結婚していた。
それでも、美しく聡明な彼女に、アーレスの心は一瞬で奪われた。
アーレスは彼女が困るところなど想像さえしていなかった。もし何かあれば彼女には夫がいる。自分にできるのは、彼女の住まうこの世界を敵国や獣たちから守ることだと思って実行してきた。夫に嫉妬のひとつもすることなく。
嫉妬もしない感情が恋であるはずがない。そのことに、アーレスは本当の恋をするまで気づかなかったのだ。
「イズミは俺が探す。ジナは彼女が戻ってきたら困らないように、部屋を整えておいてくれ」
「でも、アーレス様」
「いいから、熱くらい大したことはない」
止めようとするジナに言いくるめ、アーレスは再び部屋を後にした。