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刺繍の髪飾り・6

 扉をノックし、返事を待たずに中に入る。アーレスは相変わらず苦しそうな息をしたまま、ベッドに横になっていた。


「アーレス様、ご飯ですよ」


 盆をサイドテーブルに置き、額に載せたタオルを交換する。

 額に感じた冷たさに、アーレスがゆっくり目を開けた。


「……イズミ」


「気づかれましたか、アーレス様」


 いずみはホッとして笑おうとした……が、自分でも予想外に、涙が浮かんできた。


「イズミ?」


 熱のある体で、アーレスが起き上がる。ダメです、横になっていてください、と言いたかった。だけど、込みあがってきた嗚咽が、それを許さなかった。


「うっ……えっ……」


「泣くな、イズミ。すまない、心配をかけた」


「ぶ、……じ、でよかったです」


 ぽろぽろと涙が零れ落ちる。泣く女を慰めることなど、アーレスの最も苦手とするところだ。

 彼はしばらくオロオロと両手をさまよわせた後、おそるおそると彼女の背に手をまわした。

 そして、ゆっくりと抱きしめる。


「……ただいま」


 アーレスの体は、熱かった。まだ熱があるのだ、寝ていないと苦しいだろうに。

 それでも彼は、泣く妻を安心させようと手を伸ばしてくれる。誰よりも優しい勇者だ。


 いずみは鼻をすすって涙を封じ込めた。


「もう大丈夫です。横になってください、アーレス様」


「だが」


「おかえりなさいませ。帰ってきてくださって、嬉しいです」


「ああ。情けないところを見せたな」


 一瞬顔が近づいてきて、いずみは思わず動揺した。しかしその体の震えを感知したアーレスは、すぐに身を離す。


「すまん。熱があるから、ふらついてて」


「お食事、作ってきました。食べられるよう喉通りのいいものにしたんですけど」


 そうして食事をみせれば、アーレスは喜んで食べ始めた。


「イズミは食べないのか?」


「あ、そういえば自分の食事はもらってなかった。……後で食べます」


「こ、ここにありますよー!」


 小さな声が響いて、扉の方を見れば、エイダが顔を真っ赤にして立っていた。


「悪気はないんです。ただ、ノックしたのに返事が無いからテーブルに置かせてもらおうと思って開けたら、その、いささか声をかけづらい状況で。……運んできただけなので、私は何も覚えてないので、怒らないでくださいね!!」


 敢えて足音を立てて中に入り、テーブルにいずみの食事を置いた後は、バタンと激しい音を打ち付けて、出ていく。

 その間、何の言葉も発せなかったいずみとアーレスは、真っ赤になったまましばらく見つめ合う。


「た、食べましょうか!」


「ああ、いずみも一緒に食べよう」


 先ほどまでの甘めの雰囲気は既にどこかに行ってしまった。

 自分で食べられるというアーレスにお盆ごと渡し、いずみはいずみでエイダの持ってきてくれた食事を口にする。


「……これは、いずみが作ったのか?」


 一口食べてアーレスが言う。


「分かりますか?」


「ああ。いつもの食堂の料理とは違って、あっさりとしていて食べやすい。俺は君が作る料理が一番好きだな。ここのはいつも脂っこいし。宿の料理も悪くはなかったが、落ち着く味ではなかった」


 アーレスにしては言葉が多めで、しかもお世辞を言うタイプじゃないというのが分かっているだけに、いずみは顔が熱くなるのを止められなかった。


(妻として求められてはいなくても、家庭の味として大切に思ってくれるだけで十分……でもそれって母親?)


 内心でぐるぐると考えていると、少しトーンを落とした声が上から振ってきた。


「……すまなかったな、心配かけて」


 我に返って顔を上げると、アーレスは悔しそうな表情で窓の外を見ていた。


 外では、再開された弓隊の訓練の声が響いている。


「俺はあいつらの見本にならなければいけないのに、情けないな」


「……騎士団の……フレデリック様? は、アーレス様が助けてくれたって言ってましたよ?」


「指導不足だ。あんな現場で呆けるような状態なら連れて行かないとはっきり言うべきだった」


 どこまでも、彼の中では自分に責任があるらしい。

 ストイック……と以前オスカー王が言ったのを思い出す。きっと彼はこんな風に、自分を追い詰め、そのたびに強くなっていったのだろう。


(すごいな。でもこれじゃあ……アーレス様は疲れちゃうし。孤独じゃないのかしら)


 責任を分かち合えないということは、すべてをひとりで引き受けるということだ。

 僻地の軍なら人数的に可能だったかもしれないが、王都の騎士団には百人近い人数がいる。それを、すべて自分の責任で采配しようと思ったって無理だろう。


 いずみは少し考えてから、コホンと咳ばらいをした。


「では、アーレス様が怪我をするような体を作ったのは、家を守り料理を作る私ですね。私にも責任があります」


「……! イズミは関係ないだろう。君はよくやっている」


「ですが、アーレス様は怪我をなさったでしょう?」


「それは俺自身のせいだ」


「そう思うなら、フレデリック様が狙われたのも彼のせいでしょう。アーレス様が責任を感じるのは違います」


 いずみのきっぱりとした声に、アーレスは虚を突かれたように無言になった。

 彼女は人前ではオドオドとすることの方が多いが、時々、こんな風に芯の強さを見せる。

 いや、おそらくイズミはもともと強いのだ。違う世界に引きずり込まれて、それでも気丈に生きているのだから。

 彼女がオドオドとしているのは、他人の意思を尊重するあまり、自分の気持ちが言い出せなくなっているときだ。


 アーレスが強固に自分のせいだと言い張って、こうした返しをするということは、いずみがアーレスに慣れた証だともとれる。

 そしてそれは、アーレスにとっては嬉しいことなのだ。


「……ふっ」


「どうされました?」


「いや。……イズミの言うことももっともかと思ってな。君にはいつも思わぬことに気づかされる」


「……え」


 かあっといずみの顔が赤くなる。それもまた、アーレスの心を優しく温める。

 彼にしては珍しく、無意識に手が伸びた。そして、彼女の黒い髪を撫で、軽く引き寄せ、目を細める。


「えっと、あの」


 我に返ったのは、彼女との顔の距離が五センチに満たないくらいでだ。頬を染めた彼女が戸惑った表情をしている。


「あ、わ、悪い」


 思わず手を離し、思い切り顔を反らした。

 いずみは胸の前で手を合わせ、わなわなと身を震わせたかと思うと、すっくと立ちあがった。


「か、片付けてまいります!」


 そして、食べ終わったアーレスの食事の盆を持ち上げると、さっさと部屋を出て行ってしまう。


 静寂の訪れた部屋の中で、アーレスは頭を抱えた。


(何やってるんだ俺は! 屋敷で我慢できていて、今どうして手を出そうとした!)


 自らの無意識の行動に呆れたアーレスは頭をくしゃくしゃとかき回す。

 そして、ふと思い出した。


「……髪飾り、渡し損ねたな」


 せっかくリリカ村で見つけた髪飾りだ。彼女が喜ぶのを期待して買ったというのに。


「まあ、いいか。機会はいくらでもある。屋敷に戻ってからでもいい」


 アーレスは再びベッドに横になる。横になってみれば、体はずっしりと重く感じられた。

 傷を負ったせいでの発熱なので、いくら体が屈強であろうとも一日くらいは下がらないのも仕方ないだろう。

 こればかりは時間が必要だと、アーレスは大人しく目を閉じた。


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