刺繡の髪飾り・4
まず、いずみはジナに、今日からしばらく泊まり込むことを告げ、着替えや調味料等を屋敷から取って来てくれるように頼んだ。
彼女と別れた後は食堂へ向かう。案内はルーファスだ。途中、いずみは鍛錬所の傍を通った。
「イズミ様の一喝のおかげで、奴らにも気合が入ったようです」
ルーファスに促されて鍛錬所を覗くと、全員がふたり組を組んで剣で打ち合いをしている。
「団長にいくら指導されても、甘えはなかなか抜けませんでした。何せこの王都はずいぶん長い間平和でしたから」
「アーレス様は騎士団の現状を憂いていました。だから厳しい訓練を課そうと。でもそれによって怪我をさせたりといろいろ悩んでおられたんです」
「確かに奴らにはスタミナと集中力が足りないかもしれませんね」
スタミナは、訓練だけでなく食生活でも改善できるはずだ。
スポーツ栄養学はいずみの専門ではないが、先生の料理コーナーでは取り上げていたこともあるので、うっすらとした知識くらいならあった。
質の良い筋肉を作るには、食事の時間も関係がある。運動後三十分以内にたんぱく質を補給する事が重要だった気がする。
集中力に関してはビタミンか鉄分が大事だったような……。
記憶はだいぶあいまいだったが、やらないよりはマシだろう。
食堂の料理を変えることで少しは効果が出るかもしれない。
「……差し出がましいようですが、食堂にレシピ提供することは可能でしょうか」
「は?」
「せっかくなので、皆さんの体力作りにも少し役に立てればと思いまして」
「はあ」
いまいち理解していない様子のルーファスは、「それに関しては料理人と相談してください」と答えるにとどめた。
食堂は、騎士団宿舎の一階にあった。
通いの団員もいるので、夕食を食べるのは騎士団全員ではない。それでも五十名近い人数が寝泊まりしているので、食べるためのスペースは広かった。机と椅子が三列に並べられていて、厨房とはカウンター越しに繋がっている。貼り紙を見るとメニューは一種類のみのようで、選ぶ楽しみといったものはなさそうだ。
呼ばれて出てきたのは、まだ十代と思われる若い女の子だ。赤茶の髪をみつあみにした、少し吊り目の元気の良さそうな女性である。
「調理補助と配膳を担当しているエイダです。家族で運営していまして、父と母は料理人です」
その父親と母親は、忙しく野菜を洗ったり、芋の皮を剥いたりと下ごしらえにいそしんでいる。
手を止める暇はないのか、ちらりと視線をむけ、軽く頭を下げられただけだ。
どうやら夕食の仕込みをしているらしい。
「騎士団長アーレス・バンフィールドの妻のいずみです。よろしくお願いいたします」
いずみが丁寧に頭を下げると、「はあ。よろしくお願いします」と気まずそうに自らも頭を下げた。
「では任せていいか、エイダ。団長の奥方に失礼のないようにな」
「はーい」
ルーファスが出ていくと、エイダの表情から愛想笑いが消えた。口を真一文字にして、訝し気にいずみを見ている。
いずみも逆の立場なら面白くはないだろう。自分の職場に、上官の妻が我が物顔でやって来て指示を出そうとしていれば、反発のひとつもしてみたくなるものだ。
「で、何です? 厨房を借りたいんでしたっけ」
「厨房というか、人も借りたいんです。私はここの調理器具を使いこなせないので。ですが、アーレス様に、消化のいい料理を食べてほしいんです」
するとエイダはあからさまに不満そうな顔をした。
「でもこっちも忙しんですよ。何せ大人数の食事を出さなきゃいけないので。材料だって決まったものしか入ってきませんし。ひとり分だけ違うものを作れと言われても困ります」
エイダの眉間の皺がだんだん深くなっていく。
困ったなと思いつつ、ここは譲れない。
なぜなら食堂に貼られた【本日のメニュー】が豚肉のバターソテーで、とても消化がいいとは言えなかったからだ。
「もちろん、こちらが我儘を言っているのはわかっています。皆さんの料理を出すのが先で構いません。ひとり分の材料を取り分けさせてもらっていいですか」
後でアーレス用に使うつもりの食材や肉を取り分け、「どうぞ始めてください」と一度は身を引く。
怪訝そうな顔をしつつ、作業を始める彼らは口にこそ出さないが、いずみを厄介者とみていた。
なるべくならば心証を良くしたいし、手伝いたいのだが、勝手の分からない人間が口を出せば邪魔なだけだし、ましていずみは団長の妻ということで相手も気を遣う。揉めるのも嫌なので、まずはこの厨房でのやり方をみてみることにした。
本日のメニューは、ベーコン入りのハードパンと、野菜をごった煮したようなスープ、それにゆでたポテトと豚肉のバターソテーだ。
じっと見つめながら、彼らの動きに無駄がないかを観察する。
(……動線が悪いかな。エイダさんが無駄にいっぱい動いてる)
皿の置き換えのような作業が非常に多い。
加えて、作る量が多いこともあって、豚肉のバターソテーの最初の分はすっかり冷えてしまっている。
焼くだけだから楽だと言われればそうかもしれないが、熱の冷めたソテーは魅力半減だ。
同じ栄養を取ろうと思ったら、もう少しまとめて作れるレシピの方がいいような気がする。
エイダは、料理長の父親が焼いたバターソテーの皿を、厨房内から手を伸ばし、カウンターのところに並べていく。だが、彼女の手が届くのはせいぜいカウンターの半分くらいまでだ。
「手伝います」
そこでいずみが動き、カウンターの外側から皿を受け取って、端まで並べる。エイダは目を見張った。
「ちょっ、困ります。団長の奥さんにそんな下働きみたいなことさせたらこっちが怒られます」
けれどいずみは目もくれず、盛られた皿を並べていく。
「ちょっと!」
「自分から手伝うと言っているのに、なぜあなたが怒られるの? 私は、早くアーレス様のために料理がしたいの。そのために、早く先の食事を終わらせたいのよ。そのために仕事を手伝うのはおかしいこと?」
言葉を詰まらせるエイダに、父親は「好きにやってもらえ。どうせ俺たちは、貴族の奥方には逆らえねぇんだから」と冷たく吐き捨てる。
「……っ、分かったわよ」
厨房は気まずい雰囲気だ。けれど、いずみは一度ぺこりと頭を下げ、おかずの皿をすべてカウンターに出した。そうこうしているうちにざわざわと騒がしい音がする。
「エイダ、今日はまだか?」
騎士団員たちである。先ほど激しく鍛錬していたこともあって、すっかり腹を空かせてやって来たらしい。
「ああ、すみません。もう準備できますから」
エイダが慌てて、カウンターにあったおかずの皿を、テーブルに運び始めた。いずみは一瞬何が起こっているのか分からなかった。
「エイダさん、もしかしてこれいつも全部、テーブルにまで運んでいるの?」
「え? もちろん。いつもだったら呼びに行くくらい余裕があるんです。今日はイズミ様がいたから……」
「それは悪かったわ。でも、最初から全部自分で取って行ってもらったらどうかしら」
「え?」
配膳用のお盆はあるのだから、最初から一つずつ持って行ってもらえばいいのだ。
エイダがひとりで五十以上の料理をセットするなんて非効率にもほどがある。
「でも、ひとりでふたつとっちゃう人がいるかもしれないし……」
「そこは節度を持っていただくしかないけど。そうね。ズルをした方はアーレス様に報告しましょう。……皆さん、まずはそこのお盆を取ってください」
自分の世界での食堂のイメージだ。まして、ここではメニューがひとつに決まっているのだから、悩むこともない。




