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刺繍の髪飾り・3


 騎士団は王城の敷地内にその本部を持っている。家を出ているものは、城とは別棟で建てられた宿舎に寝泊まりし、併設の食堂で料理を取る。医療の心得のあるものは城に数人いるので、騎士団員が怪我をしたときはたいがいここで面倒を見られるのだ。

 実際、アーレスは現在、騎士団宿舎の空き部屋に寝かされていた。


 あの討伐のとき、狼を引き寄せたところで、アーレスは剣を取り襲ってくる獣の一団に備えた。

 野生の獣はアーレスの気迫にたじろいだのか彼を囲むようにして一定の間合いを取った。

 そこへフレデリックとセイムスの矢が飛んでくる。セイムスの矢は一番大きな狼に命中したが、とどめを刺すべきのフレデリックの矢は脇にそれた。目の前に矢が落ちた狼は興奮し、アーレスの首を狙ってとびかかってくる。

 それでも、すぐにやられるアーレスではない。目を狙って剣を振り下ろす。

 鮮血がほとばしり、アーレスの刃は血に濡れた。


 続いてとびかかってくる狼を相手にするが、応戦してくれるはずの弓兵が腑抜けているようではどうしようもない。


「フレデリック! ふざけるな。しっかりしろ!」


 アーレスの怒号が響き渡り、群れの中の子狼が怯えたように後ずさる。しかし、矢が刺さっているボス狼が暴れていて、予想もつかない動きをする。


 アーレスの一撃に傷を負った狼は、ふいに向きを変えフレデリックを狙った。


「う、うわっ」


 驚いたフレデリックは尻もちをついてしまう。

 セイムスが脇から矢を放つのと、アーレスが助けに入るために駆け出したのは同時だった。


 狼は矢をよけ、アーレスが予想した軌道とは違った動きをした。とびかかってきた狼に、アーレスは腕をかまれ、肉の裂ける音を聞きながら、「逃げろ!」とフレデリックに向かって叫んだ。

 その後、渾身の力で食らいついている顔を押さえつけ、地面に叩きつけて気絶させたが、とどめを刺したかどうかまでは覚えていない。その場で気を失ってしまったからだ。


 そうして、気が付いたら騎士団宿舎まで運ばれていた。

 腕の傷は深く、傷が塞がるまでは絶対安静。屋敷に帰すよりも医師の常駐する宿舎にいたほうがいいだろうという判断がなされたのだという。



「……怪我をした経緯はそんな感じです。俺のせいなんです。すみません」


 いずみは、騎士団宿舎で発熱にうなされているアーレスと対面した。

 ジナは現在廊下で待っていて、部屋の中にはいるのはいずみを含めて四人だ。寝ているアーレスと、副団長だというルーファス、そしてフレデリックという名の騎士が、べッド脇に控えている。


「アーレス様はあなたをかばったということですね」


 アーレスの額の汗をハンカチで拭い、いずみは彼の手を握る。この手が、こんなにも力なく動かない様子を、いずみは見たことが無い。大きくて頼りがいのある彼が、こんな風に眠っているのも。

 夫婦と言いながら夫婦生活のないふたりは、互いに無防備な姿をさらしあったことはないのだ。


(でも、何にも知らないわけじゃない)


 アーレスはこの騎士団を叩きなおしたいと言っていた。

 それはきっと、こんな風に怪我をする人間が少なくなるようにと願っていたからだろう。

 国を守る役目の騎士団がたるんでいては、守られる国民はこの程度では済まない。アーレスだから、命には別状のない程度で済んでいるが、一般人が襲われれば数人死亡していたかもしれないのだ。


「……上官が部下を守るのは当然のことです。謝るのはもうやめてください」


「聖女様」


 いずみの胸に、いら立ちが湧き上がる。

 思えばこの青年は、最初にいずみを見て、明らかに落胆したのだ。そして「アーレスの妻のいずみです」と名乗った後も、聖女と呼び続ける。


「私はいずみという名で、アーレス様の妻です。もう聖女ではありません!」


 自分でもびっくりするほど、凛とした声が出た。驚き、目を見張るフレデリックは、慌てて「す、すみません」と頭を垂れる。


「謝るくらいなら、鍛錬をなさい。アーレス様があなた方に言い続けてきたことは何ですか? 国を守るため、国民を守るために、力を身につけろと言っていたのではないの? こんなところで落ち込んでいる暇があるなら、一分一秒でも力をつけるために使いなさいっ」


「は、はいっ」


 慌てて立ち上がったフレデリックは敬礼をして出ていく。

 くすくすと笑い声を立てるのは副団長だ。


「なかなか手厳しいですね」


「……すみません」


 さすがに怒りすぎたと、いずみも頬を赤くする。


「ですが、若者たちにはいい薬になったかもしれません。この王都は平和でした。それが、辺境を守ってくれていたアーレス殿をはじめとする精鋭によるものだという自覚が、欠けていたのかもしれませんね」


「……ルーファス様」


「熱が下がるまでは動かせません。しばらく、アーレス殿はこちらでお預かりすることになります。イズミ様は、どうなされますか?」


「夫の世話を人に任せる気はありません。私もここに住み込みます。部屋をひとつ準備していただいても構いませんか? それと、食堂に出入りする許可をいただきたいです」


 ルーファスと名乗った副団長は、アーレスよりも年配の神経質そうな男だ。

 食堂、というところで眉を寄せる。


「食堂ですか? 奥様の食事もこちらで用意させていただきますが」


「それはありがたいのですけど、アーレス様にしばらくは消化のいいメニューを召し上がっていただきたいんです。騎士団員の方々と同じメニューでは、体が受け付けないかもしれませんし。もしよければ、私に作らせてもらえないでしょうか」


「なるほど。では、食堂の担当者に伝えておきましょう」


「あ、そのときに、ひとり補助をお願いしたいってことも伝えてもらっていいですか?」


「補助?」


「調理のための魔法が使える人がいいです。よろしくお願いします」


 簡単な生活魔法さえ使えないことを、夫の部下には知られたくはない。

 自分だけではない、彼の沽券にかかわるからだ。


「話は通しておきましょう。ここは任せてよろしいですかな?」


「ええ。もちろん」


 ルーファスも出ていくと、本当のふたりきりなる。

 未だ目を開けていない夫だが、意識がないというわけではなく、起きていたときもあるらしい。そのときは、ちゃんと会話もしていたのだという。

 小一時間ほど前から熱が上がってきて、彼はずっとうなされているのだそうだ。

 いずみは額に載っているタオルを、冷たい水の入った桶で絞り直すと、再び彼の額に乗せた。


 そして、熱のこもった彼の手に、小さな白い手をそっと重ね合わせる。


「心配しました」


 聞こえてもいない夫に、ほんの少しの恨み言を言う。


「今もまだ、心配です」


 倒れることなどないと思っていたアーレスの怪我は、いずみに相当の衝撃をもたらした。

 うっすら、瞳に涙が浮かぶ。

 彼に食べてほしいと、不在の間に考えたたくさんの料理も、彼がいなければ何の意味もない。

 いずみを構築する世界のすべてが、今はアーレスなしでは成り立たなくなっていた。


 彼の手にを両手で握り、その甲にキスをする。


「……大好きです、アーレス様。早く元気になって」


 消え入りそうなか細い声で、いずみは初めて彼への気持ちを言葉にした。


 それと同時にノックが鳴り、ルーファスが戻ってくる。


「イズミ様、手配が整いましたよ。食堂の担当者にご紹介しますので……」


「あ、はい! はい! 参ります」


 真っ赤な顔で焦ったように立ち上がるイズミに、タイミングを間違えたかとルーファスは頭を掻く。

 彼女が扉の外に出てから、「申し訳ありませんでしたな、アーレス殿」と小さく声を落とした。



 いずみたちの足音が遠ざかったころ、熱い息を吐き出しながら、アーレスはこっそり薄目を開ける。

 そして扉がしっかりと閉まっているのを確認すると、安堵の息を吐き出す。


「目ざといな、ルーファスめ」


 妻の告白に顔が熱い。ただでさえ高い熱が一層上がった気がする。なのに先ほどよりもずっと幸福な気分だった。



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