愛は全身で・2
屋敷についてから、アーレスは気もそぞろに執務室にこもった。
久しぶりに苦手な実家に向かい、あろうことか最も苦手とする姉とまで対面を果たした。アーレスは何気にてんぱっていた。戦いのさなかにいるよりも緊張して手汗が出たくらいだ。
そんな状況の中、いずみはよくやっていたと思う。突然現れた姉に対しても、愛想よくふるまってくれた。
人嫌いなくせに人の下には立ちたくない姉は、女性を見下すような態度をとることが多いのだが、いずみに対しては世話を焼く気になってくれているらしい。
それはいいのだが。
「……贈るって何をだ……」
帰り際、姉から耳打ちされたのは、気の利かない愚弟への散々な悪口だった。
『あなた、妻となったイズミ様になんの贈り物もしていないのでしょう。なんて気の利かない男かしら。フランツ様は、婚約のときには部屋いっぱいの花を、輿入れの日は私のための庭を、結婚したときはたくさんの衣裳とそれを入れる衣裳部屋を、妊娠したときはかかとの低い靴と、別荘をくださったわ。他にも上げたらキリがないくらいに。あなたも伯爵位をもらったのならば、今まで通りでは駄目よ。ちゃんと妻を愛し、どこに出しても恥ずかしくないくらい着飾らせてあげないと』
気が利かないのは自覚している。
しかし、彼女に贈り物をと思っても、何も思いつかないのだ。
いっそ支払いはこちらに任せて彼女が勝手に買ってくれればいいのだが、いずみはそういうタイプでもないらしい。
(……それに)
いずみは素朴な格好が一番似合う。
かつて彼女が着飾った姿を見てきたアーレスとしては、それが結論だ。
まるで戦地で健気に咲くすみれのような、素朴ながらも心をほころばせるようなそんな可愛らしさがいずみにはある。
もちろん彼女が望むならば何でも買ってやる気ではいるが、どうせ贈るなら似合うと思えるものを贈りたい。
(それに、今のところ、一番喜んでいるのはジョナス達と料理をしているときだしな)
思い出してムッとする。
単純に、自分といるときよりもジョナスといるときのほうがいずみが楽しそうなのが気に入らないのだ。
リドルには、『ジョナスは既婚者ですし、イズミ様から見れば年上すぎるでしょう』などど慰めのようなことを言われたが、ジョナスとアーレスは四歳しか違わないのだ。
(だったら俺もイズミにとって年上すぎるじゃないか……!)
彼女が自分と一緒にいて、安心したように笑ってくれるのが嬉しい。けれど、これはもしや兄に対するような感情なのではないかと思ってしまう。
初夜を過ごさなかったことで、今となってはいつ寝室を訪れていいのか分からなくなり、隣の部屋から物音がするたびに、不埒な妄想をしては筋トレする羽目になる。
「……はぁ」
ため息が止まらない。
(ああ。……俺はどうすればいいのだ)
恋愛ごとを避けてきて、かれこれ十八年ほどになる。
年を食って今更訪れたこんな気持ちに、アーレスはどう折り合いをつけたらいいのか分からないのだ
そう。それが恋という名のものだということも、分かっていないのかもしれない。
*
一方、食堂ではいずみがジョナスやスカーレットの前に、本日の収穫物を広げていた。
「じゃじゃん! 味噌と醤油です!」
「ほう。こいつがかぁ。俺も見るのは初めてなんだ」
ジョナスが味噌をスプーンで取りひとなめする。
「しょっぺえなぁ」
「保存食ですからね。味は濃いです。お肉なんかも味噌に漬け込んでおけば、長持ちしますよ」
「へぇ!」
ジョナスはノリノリになっている。そういった保存法が伝わっていないのは、少しばかり意外な気がした。
ミヤさまは味噌と醤油の作り方は知っていたのに、なぜその活用法を教えなかったのだろう。
いつかオスカー王にでも会えたら聞いてみよう。
「今日作りたいのは生姜焼きです。スタミナが付きますよ。最近、アーレス様もお疲れのようなので、元気になっていただかないと」
ジョナスに頼んでショウガの現物は用意してもらっている。
そして、コメも見つけることができた。どうやら、隣のルブタン国ではコメ文化が発達しているようなのだ。料理法としてはパエリアのような炊き込み料理が主流で、コメをそのままで炊く習慣はないらしい。
ジョナスの御師匠様である料理人が昔作ってくれたのだそう。
ジョナスの伝手をたどって、コメは三十キロ分入手してもらった。
「やっぱり和食には白米だよね」
「せっかく入手したのに、本当にそのまま炊くのかぁ?」
実際まだ不満そうだ。彼らにとっては、コメは外国産の貴重品らしい。
「小麦が育てられる気候ならコメも出来るはずだけどね。和食をはやらせてコメも自国栽培してもらえるようにしたいなぁ」
野望はどんどん広がっていくが、まずは一番近しい人であるアーレスを喜ばせたいのだ。
「さあ、じゃあやりますよ。ジョナスさん、スカーレットさん、よろしくお願いします!」