味噌と醤油を求めて・3
その日、アーレスは朝から息ぴったりに働く使用人といずみを眺めながら、悶々としていた。
朝食が終わるとともに彼女は厨房にこもりきりになってしまい、ひとり自室にいるのも落ち着かなく、コーヒーが欲しいと称してわざわざ厨房まで出てきたところだ。
(いつの間に、イズミとこいつらはこんなに仲良くなったんだ。特にジョナス。馴れ馴れしく肩を叩くな、ああ、ハイタッチとは何だ。仮にもイズミは俺の妻で……)
ゴホンと咳ばらいをし、コーヒーを一口飲む。横に立つリドルからの視線に憐みのようなものを感じ取り、頬のあたりが引くついた。
「そんなに気になるのなら、旦那様もご一緒なさればいいのでは」
ついにはそんなことを言われ、危うくコーヒーを吹き出すところだった。
「……あれは何をやっているんだ」
「本日の伯爵家訪問のためのお土産づくりです。数日前からみんな集まって試作を重ねていたようですよ」
「土産……?」
「喜んでもらえるものを持っていきたいとおっしゃっておりまして。何度も作り直して頑張っておられます」
意外な理由に、アーレスはもう一度まじまじといずみを見つめた。
「じゃあ焼けたクッキーをジョナスさん、冷ましてください。スカーレットさんはこっちで組み立てを手伝ってください」
ハキハキと指示を出すいずみの声はいつもよりも活力に満ち溢れており、表情も生き生きとしている。最初に城で会った頃のオドオドした様子とは一変していた。
(こういう顔もするんだな。いいな、見ていてシャキッとする)
感心しながら見つめていると、イズミがクッキーの板を押さえ、スカーレットが何やら塗り付け始めた。
「旦那様、すみません。通していただけます?」
後ろからのジナの声に、一心不乱に作業をしていた三人が顔を上げた。
「あら、アーレス様。なにかご入用ですか?」
「いや、特には。先ほどから、イズミまで混ざって何をしているんだ」
「お土産づくりでさぁ。びっくりしますぜ、旦那様」
答えるのはなぜかジョナスだ。
(お前には聞いていない……と言うのも冷たいしな。だが俺はイズミから聞きたいのに)
「せっかくだからアーレス様にも驚いていただきたいので、あっちで待っててください!」
笑顔でいずみに言われてしまっては、もうそれ以上強くは言えない。アーレスはすごすごと引き下がり、再び仏頂面で椅子に座る。リドルが苦笑しているのが余計癪に障った。
それから一時間後、そのお土産の準備とやらも終わり、外出着に着替えてきたいずみに、アーレスは目を奪われた。
今日は肩のラインにたくさんギャザーを寄せたシックな濃青のドレスだ。シンプルであるがゆえに、いずみの肌の白さが強調され、首元に光るダイヤモンドが顔周りを引き立てている。露出が少なく、デザインで魅せるドレスは、いずみによく似合っていた。
「……ジナはセンスがあるな」
王城で見たときのごてごてしさを思い出して言うと、いずみは「馬子にも衣裳ですよね」と苦笑する。
思ったより喜ばなかったので、言葉選びを間違えたのか? と一瞬思う。
(なんだかよくわからんが、まずいことを言ったのか? なんだ? マゴニモイショウとは)
「遅れてしまいますよ、参りましょう」
固まりかけた空気をほぐしてくれたのはジナで、追い立てるようにふたりを馬車に乗せた。
最後にお土産のお菓子の家を入れた箱を大切そうにかかえてジナも乗り込み、いずみの隣に座る。
今日はジナも一緒に行くのだ。荷物もちと称して、まだこの世界の常識を知らぬいずみを助けるための配慮だ。
同じ王都にありながらも、バンフィールド伯爵家は王城にほど近い一等地にある。
敷地内に入ってからも馬車はしばらく走り続け、庭の広さをうかがわせた。
いずみは自分の心臓が緊張で高鳴っているのを感じる。
玄関前に横付けされた馬車を降りると、使用人たちが出迎えに勢ぞろいしていた。
玄関で、待ち構えている貴婦人がどうやらアーレスの母親のようである。年齢は五十歳を超えているくらいだろうか。目尻やほうれい線に多少皺が見られるが、アーレスに通じるところのある美形だ。やせ形でほっそりとしていて、ビリジアンのドレスがよく似合っている。
彼女はにこやかにアーレス一行を迎えていたが、やがて近づいてくると、いずみをまじまじと見つめ始めた。
(あれ? この視線は歓迎というより……)
急速にアーレスに出会う前の半年が思い出される。出会う人すべてにミヤさまと比べられ、失望のまなざしを向けられたあの頃の。
「……っ」
途端に、足がすくむ。先に一歩行ってしまったアーレスがいぶかし気にこちらを振り向いた。
「イズミ……?」
「奥さま、どうされました?」
後ろについてくるジナがこっそり耳打ちする。
「あ、……私……」
動けないいずみに、周囲の使用人がざわめきだした。その声に、ますます体が震えてくる。
(ダメだ、私。家の中では平気だったのに。ちょっと外に出ただけでこんなになるなんて……)
ますます落ち込み、パニックになりかけたときだ。
「こっちだ、イズミ」
ぐい、と強引にアーレスが腕を引いた。力持ちな彼のおかげで足は前に出たが、その動きを予想していなかったため、いずみはバランスを崩した。
結果、彼の胸に倒れ込む形となり、視界からはすべての人の顔が消え、彼の服だけになる。
だがそのおかげで、いずみは自分を捕らえていた視線の網から逃れ、落ち着いて考えることができた。
(そうだ、私、アーレス様の妻なんだから。怯んじゃだめだ。一緒に頑張るって決めたじゃない)
アーレスの悩みを聞かされた夜、いずみは決意したのだ。
彼にとって、いい妻になろうと。いい妻は、実家の母親を前に怯んだりしないはずだ。
「すみません、アーレス様」
いずみは姿勢を正し、一度深呼吸をして、今度はしっかり前を見た。
美しい伯爵夫人に、にこりと笑いかけ、ドレスの裾をつまんで親愛の礼を取る。
「お初にお目にかかります。アーレス様の伴侶となりました、いずみと申します。お義母様には、たくさんの心づくしをいただきまして、本当に感謝しております」
「あら。そんなに固くならなくていいのよ。イズミさんとお呼びしていいかしら。アーレスの母のセリーナです。ようこそ、バンフィールド伯爵家へ」
いざ堂々と挨拶してみれば、義母はにこやかに応対してくれた。視線が突き刺さるような気がしたのも、気にしすぎだったのかもしれないといずみは思う。
チラリとジナに視線を送ると、彼女はにっこり笑ってセリーナに箱を差し出す。
「こちら、お土産ですわ。小さなお孫さんが同居されていると聞いたものですから」
「あら。それはお気遣いをありがとう。中で開けましょう。まずは入って?」
アーレスが腕を差し出したので、そこに手をかける。
玄関に入るまでに三段ほどの階段があり、そこに黒の絨毯が敷かれていた。
彼に支えられながら階段を上り、紋章の刻まれた扉をくぐると、天井の高い玄関ホールへと出た。
大理石で作られた床が磨かれていて、天井からの光を反射している。その天井にも、浮彫のような装飾が施されていた。人が通るところには赤の絨毯が敷かれていて、壁面には宗教画が飾られていた。