頭を打ったら不思議な世界へ・2
一瞬、意識が途切れた。
ふと気づいたとき、いずみは真っ暗な空間にいた。
スタジオならば暑いくらいなのに、ここはなぜか肌寒い。
それに物の気配がなかった。暗さゆえに遠くは見えないが、手を伸ばしてもなににもぶつからない。
風の音がどこまでもまっすぐ進んでいる感じが、いずみを不安にさせる。
(ここ、どこだろう? スタジオにいたはずなのに)
事故があったはずだ。だから別室にでも運ばれたのだろうかと、いずみは自らの手を動かしてみた。
「でも、怪我は、……ないよね」
ゆっくりと立ち上がり、足踏みもしてみるが、どこも痛くない。
(足音もするから死んでいない……よね)
だけどここがどこだかは分からない。不安であたりを見回していると、視界の先にきらりと光るものが見えた。
「あれ? 誰かいます?」
光以外はなにも見えない空間に恐怖を感じ始めていた彼女にとって、その光は救いの手のように思えた。
蜘蛛の糸にすがる罪人の気分で、いずみはその光を目指して歩き出す。
足は滑るように動いた。というか体が軽かった。一応歩く動作はしているけれど、重力のようなものは感じず、水の中を泳いでいるような感覚だった。
やがて、光を発していたものの近くまで来る。それは上半身がすっぽり映るくらいの鏡だった。
時折チカチカと光を発するから厳密には鏡ではないのだろうが。
目の前に映る自分を視界にとらえつつ、おそるおそる手を当てると、鏡に映るいずみはぱっと消え、次々にいろいろな映像が浮かび上がってきた。
「うわっ」
驚いて思わず手を離す。
「え? あれ?」
すると鏡からは映像が消え、再びいずみだけを映し出し、時折チカチカと瞬くだけになる。
(なにこれ。怖っ)
なにが起こるかわからず、いずみは一度後ずさりをした。けれど、逃げようにもあたりにはなにもない静寂な世界が広がっているだけだ。
(ええい。他にどうしようもないじゃん)
いずみは意を決してもう一度鏡に手を当てた。
心づもりをして触れば、先ほどより状況が理解できた。
これは、ラジオのチューニングと似たようなもののようだ。チャネルが合えばはっきりした映像が見えるが、ザーッと砂嵐のような映像が流れて、音もしっかり合わないことがある。
けたたましく流れていく映像の中で、いずみの目を引いたのは、戦場の映像だ。意識がそこにとどまったせいか、先ほどより映像の動きがゆっくりになる。
それは丘の上の戦場だった。切り立った崖に追い詰められた負傷した兵士と、彼をかばうようにして前に立つ立派な体躯の戦士がひとりずつ。対するは、揃いの兜を付けた。三人の兵士だ。
戦士は大きな剣を構えているにもかかわらず、俊敏な動きで三人の兵士相手に向かっていく。一対三という状況ながら、動きを計算し、着実にひとりひとりに重傷を負わせていくので、いずみは思わず見とれた。
ひとり、ふたりと戦士にやられていき、彼が最後のひとりを切りつけた瞬間、背後から伏兵が現れた。
まさか崖を登って来たのか、予想もしていないうしろからの敵兵を確認し、いずみは思わず叫んでいた。
「危ないっ。うしろ」
すると彼は直ぐに背後の気配に気付き、襲い掛かってきた兵士を切り付け、崖に蹴り落とした。
「良かった……」
ほっと、息をついたのもつかの間、今度は敵を倒した彼が、兜越しにいずみを見つめていた。
だがしかし、いずみは鏡の向こう岸にいるのだ。あちらからこの鏡が見えているとは思えない。
けれど、濃い青の瞳は、間違いなくまっすぐにいずみを見ている。
「え、あ、ええ?」
(こっちが見えているなんてことある? まさか)
あたふたするいずみに向かって、彼は剣を鞘に戻し、手を伸ばした。
「……聖女様?」
声は聞こえてこなかった。ただ、口が動いたのと同時に、頭の中に声が響いたのだ。
重い鎧を着こなしたその姿はたくましく、まるで戦争映画のヒーローのようで、いずみは間に鏡があることなど忘れて彼に見とれていた。
「私が見えるの?」
ぽつりとつぶやいたとき、彼の口が動いた。
だがその答えを聞き取る前に、頭に強く声が響いてきた。
『我が世界を救うものよ。こちらに来られたし』
その途端に、チャネルが変わったように、戦場の映像はかき消えてしまった。ザザ―ッと砂嵐のような音がして、映像がある一点で止まる。
……と、次の瞬間、光が強くなり、いずみはその中に吸い込まれてしまった。