ジンジャークッキーの効能・1
それから数日が経った。
実家との日程調整には時間がかかるらしく、ちょっと待っていろと言われたので、いずみは屋敷内を探索する日々を送っている。
一度紹介されただけでは覚えられなかった使用人のこともだいぶ分かってきた。
ジナの旦那様が、庭師兼従僕のコール。八歳の娘がアメリ。
メイドのスカーレットはジョナスの奥さんであり、調理補佐もするらしい。子供は十歳の男の子のハッセ。ふたりにはもうひとり立ちした十八歳の子供もいるらしいけど、ここには住んでいないらしい。
そして最年長がリドルで、五十六歳だ。リドルはこれで家令を勤めるのは三件目になるらしく、“屋敷”というものに精通していた。いずみが屋敷探索にいそしんでいると、『もとは古い屋敷ですから、いろいろ傷んでいるところも多いでしょう。裏庭に直接出られる回廊は危ないから通らないように』などと苦言を呈したりする。
イズミの一日は、朝、旦那様であるアーレスを見送ることから始まる。
午前中は貴族の暮らしについて家令のリドルに習い、午後は厨房の器具の使い方をジョナスの手伝いをしながら習っている。
当然ながら、厨房にはコンロがあるのだが、日本のように便利なものではない。
魔道具といわれるもので火を起こして使うのだが、火をつけるにも、火力を調整するのにも魔力がいるらしいのだ。
(つまり、私はひとりでは火もつけられないってわけ)
「奥様は下手だな」
ジョナスは呼称として〝奥様〟と使い、敬意は払ってくれるが、言動に遠慮はない。
はっきり言われて、少しばかり落ち込む。
「実は魔法が全然習得できなかったんです」
「聖女なのにか」
(ああ、それきっつい。どうせ残念聖女ですよー)
内心落ち込んでいるけれど、悔しいので顔には出さないように微笑を浮かべてみる。
ジョナスは「へへん」と鼻を高くして、「じゃあやっぱり俺がいてやらんとな」と言った。
「へ……」
「そうだろ? 俺の知らないレシピを、教えてくれるのは奥様。作るのは俺。しっかり分業できてるじゃねぇか」
予想外に男前なひと言だ。さっき落ち込んだ心がぐんと上を向く。そして今度は心の底からの笑顔が浮かぶ。
「ジョナスさぁん。なんて優しい。惚れちゃいそうですっ」
「おいおい、俺は既婚者だぞ。お前さんに手を出したりなんかしたら、旦那様に殺されちまうよ」
「やだぁ。師匠としてってことですよ!」
きわどい会話を交わしつつ、彼の妻のスカーレットに「バカなこと言ってごめんね」と軽く謝る。
「誰も本気になんてしちゃいませんよ。こんなおっさん料理人に聖女様が惚れるもんかね」
あっさりと一蹴されてイズミはほっとする。せっかく料理も出来る居場所を見つけたのだ。ここでの生活を大事にしたい。
(旦那様も、素敵な人だし)
大柄で筋肉質な旦那様は、しかして性格は真面目で実直だ。
外見から想像される俺様感は全くなく、むしろ、女性を神聖視している節がある。
毎日朝から騎士団に向かい、一日中訓練なり執務なりをこなしてきて、夕食後は部屋にこもる。そして何やらガタゴトと音を立てている。リドルに聞いてみたところ、筋トレをしているのだそうだ。
昼間訓練してきたんじゃないんですかと言いたくなる。
全く持って艶めいたところのない、それはそれは健全な毎日だ。
(でも、帰ってきて運動できるぐらいに体力が残っている割には、毎日疲れた顔をして帰ってくるんだよね)
一度、「訓練は大変なんですか?」と聞いてみたことがあるが、困った顔をされただけだった。
(疲れているのなら何かおいしいものでもつくってあげたい。旦那様が元気になれるようなものを)
昼食を終え、夕食までの仕込みには早い時間、いずみは自由に厨房を使うことができる。
「ジョナスさん、この粉はなんですかー?」
見つけたのは、小瓶に入れられたベージュっぽい色みの粉だ。
どう見ても小麦粉とかそのたぐいではなく、まさかきな粉? なんて思って開けるとにおいはどうも違う。
「奥様、それは料理用じゃねぇよ。風邪の初期に薬として使用するものだ。乾姜という名で、湯に溶かして飲むと体が温まる」
「薬?」
もう一度匂いを嗅いでみる。
(いやこれ知ってる。何となくだけど、ショウガっぽくない?)
「粉になる前のってある?」
「ありますよ。これですね」
出てきたのは、まさしくショウガだった。小さなお芋が二個つながったみたいなゴロっとした見た目で色は黄土色。
ジョナスが言うには、これを細く切って乾燥させて、粉状になるまですりつぶしたものがこの粉末らしい。
「このままで料理に使えばいいのに」
「こんなスースーするもん、料理には向かないでしょう。苦みもあるし」
「そんなことないわ。このほかの調味料と合わせればいいのよ。生姜焼きとか最高においしいんだから」
でもそれには醤油がいるな。
ああもう! 早く醤油を入手したい。
「なんですかな、そのなんたら焼って言うのは」
ジョナスは聞いたことのない料理名に興味を示しだした。
「ショウガとしょうゆを混ぜた調味料でお肉を味付けしたものよ。うーんでも今はつくれないな。……そうだ、クッキーとかどうかな」
「こんなもんでクッキー? いやいや、奥様。それはどうかな」
ジョナスは呆れ顔だ。
実際、この世界で出てくるお菓子は、ただひたすらに甘い。
日本にいたとき、外国製のチョコレートや焼き菓子が甘すぎて胸やけしたことがあるのだけど、あれに似ている。
ジンジャークッキーなら、甘いものが苦手といっていたアーレス様にも喜んでもらえるかもしれない。
「小麦粉はある。卵もバターもあるよね。あとは砂糖。そしてショウガ」
この世界ではおそらく、ショウガが薬として認知されてしまったので、食べ物としての発展を遂げなかったのだろう。
基本的に気候は温暖で日本とそう変わりないし、実際に多少名前が違うだけで同じような作物はたくさんある。日本にあった作物はたいていあると考えてもよさそうだ。考え方の基本は、広がり方が違うものもある、ということだ。
ちょっとコツを掴んだことで、いずみは何となく気が楽になった。