役立たず聖女の初仕事・6
「嬢ちゃん! なんだこれは!」
「ジョナスさん! 元気になったんですか」
「ジョナス、いたのか。具合が悪いんじゃなかったのか」
礼儀をどこかに置いてきた様子で食堂に飛び込んできた彼は、皿に変わった茶色の物体を乗せている。
「あー、コロッケ食べたんですか? 病み上がりで揚げ物、大丈夫でしたか」
「嬢ちゃん、これはどうやって作ったんだ!」
唾が飛びそうな勢いでいずみに詰め寄るジョナスを、アーレスは首根っこを掴んで離した。
「落ち着けジョナス。彼女は嬢ちゃんではない。イズミだ。もしくは奥様と呼べ」
そこか?というような顔で見られて、アーレスは一瞬怯む。
(いやしかし、大事なことだろう。この屋敷の女主人だぞ? もう少し敬って接してやって欲しいじゃないか)
釣り上げられた状態のジョナスがやがて苦しそうに咳き込んだので、慌てて放してやる。
「うー、死ぬかと思いましたぞ、旦那様」
「悪い。つい。だが、イズミは俺の妻だ。嬢ちゃん呼ばわりは困る」
「いいですよ、アーレス様。好きなように呼んでもらえれば」
「いいってよ、旦那様」
いずみの仲裁にジョナスが乗って来たのでじろりとにらんでやる。
どいつもこいつも、この屋敷の主人が誰だか忘れているのではないか。
さすがに無言で睨まれるのは堪えたのか、ジョナスは咳ばらいをしてかしこまった。
「……分かりました。じゃあ奥様、これ作ったのはアンタだって本当か?」
「ほ、本当です。ジョナスさん気に入ってくれました?」
(アンタとは何だ、かしこまりきれて無いぞ。しかも、そのコロッケという代物は俺の皿には載っていない。ずるいぞ、ジョナス)
そろそろ突っ込む気力が無くなり、しかしその新しい料理は気になったので、アーレスはジョナスが油断した瞬間を狙って、皿からコロッケを奪い取って一口食べた。
(うまい。冷めてはいるが、コショウの風味も利いているし、表面はサクサクしている)
「あっ、旦那様。それは俺のですぞ!」
「ケチケチするな。お前ならまた作れるだろう」
「こんなのレシピがなきゃ作れません!」
「落ち着いてくださーい!」
いつになく、ジョナスが不敬に食いついてくる。双方の頭に、食い物の恨みは恐ろしいという言葉が躍った。
ふたりの言い合いを止めたのはイズミだ。
「ジョナスさん、病み上がりなんだから興奮しないでください。レシピは差し上げます。その代わり、私にたまに厨房に立たせてほしいんです」
「なんだと?」
「私、料理研究家なんです。新しいレシピを考案するのが大好きなんですよ」
「ほう? そりゃあいいな。他にもあるのか、俺の知らないレシピが」
ジョナスの興味は、すっかりイズミにうつっている。そして、アーレスはそっちのけで交渉が始まった。
それを見ているアーレスの眉間に、再び深いしわが寄る。
(おいおい、主人は俺だぞ。最終的な許可は俺から出るんだぞ? ふたりとも分かっているか?)
「つまり、嬢ちゃ……奥様は俺の仕事を取る気はないってことだな?」
「ええ。大量の料理を作りたいわけじゃないんです。私は体に優しいレシピを作りたいだけなので」
「体に優しいとは?」
「人の体を作るのは食事です。だから体にいいものをすすめていきたいんですよ。例えば、腹痛だったジョナスさんには今日のエンドウ豆のスープがおすすめです。ぜひ飲んで早く元気になってください」
「お、おう」
物腰はいずみのほうが丁寧なのに、ジョナスが押されてきた。
そしてついに、「よしわかった。奥様の使いたいときに厨房を貸してやろう」となぜか偉そうな物言いで許可を出す。
(ジョナスよ。お前が相手をしているのは俺の妻だと忘れてはいないか?)
「やったぁ。そうと決まれば、やっぱり和食の調味料が欲しいな。味噌や醤油を作ろうと思ったら半年はかかるけど」
イズミは手を合わせて喜び、アーレスには分からない言葉をつぶやきだした。
(ミソ、ショウユ……? なんだろう。どこかで聞いたことがある気がするのだが)
それに答えたのは意外にもジョナスだった。
「それならあるぞ?」
「え? 本当ですか?」
「いや、ここにはないが」
ぱっと顔を晴れ渡らせたイズミだったが、ジョナスの返しにガクッと肩を落とした。
「ミヤ様が考案された調味料ということで、一時料理人の間で話題になったんだが。うまく使いこなせる料理人がおらず、流行らなかったんだ。それでも、気に入ったお貴族様もいるにはいる。そういった方が、毎年自分の屋敷の料理人に作らせているはずだ」
「そうなんですね。誰なら持っているだろう」
イズミは口もとに手を当てて考え込んだ。その様子は真剣そのものだ。
(基本おとなしいが、主義主張はしっかりいう娘だ。そのミソやらショウユやらは本当に欲しいのだろう。だとすれば俺も夫として、なにか協力してやれれば……)
思い当たることが無いわけじゃない。そういう新しいものが好きな貴族といえば……。
「実家の母に聞いてみればどうだ。どっちみち、一度イズミを連れて会いに行くつもりだったし」
「え?」
「バンフィールド家は俺以外は社交的な人間の集まりだ。貴族が持っているというなら、手掛かりのひとつくらい見つかるだろう」
「本当ですか? 私もお義母様にお会いしたいと思っていたので嬉しいです」
(母に? ……なぜ? 嫁は姑に会いたくないものじゃないのか? 実の母だが俺だってそんなに会いたいとは思っていないのに)
ノリノリになったいずみに、アーレスの疑問は尽きない。彼の母が彼女のためにたくさんの日常着を用意していたなど、露ほども気づいていないのだ。
「では日程を調整しよう。俺の仕事の休みの日になるがいいかな」
「もちろんです! ありがとうございます。アーレス様!」
再び晴れ渡るイズミの表情。
ここに来てからよく笑ってくれることを、アーレスは改めて嬉しく思った。