役立たず聖女の初仕事・4
王国騎士団は、王都に訓練所を設けている。
そして今アーレスは、その訓練所の前で憂いていた。
目の前には、膝をつき、息を荒らげた、まるで戦地を潜り抜けてきた後のような騎士たちがいる。
ちなみに戦争などには行っていない。
基礎体力向上を目的とした一時間の走り込みと、筋トレの後、アーレスは順番に手合わせをした。
その結果、死屍累々と訓練場に兵士が横たわる羽目になったのだ。
対するアーレスは十人切りをしてもまだ余力がある。
(誰が誰に負けるって?)
ここに自分を呼び戻した時のオスカー陛下の談を思い出し、問いただしたい気持ちになった。
たしかに全盛期に比べれば衰えたかもしれないが、こいつらに負けるとは思えない。
アーレスは半分ブチ切れたような状態で、練習用のなまくらな剣を振った。
「情けないぞ! それでも王国騎士団員か! まだまだかかってこい!」
「団長こそ。なんで倒れないんですか。それでも人間ですか!」
倒れている兵士たちから一斉に上がる非難の声。
(……ったく、口答えだけは一丁前なのだから困る)
「……仕方ないな、休憩!」
これ以上の強制は人がついてこないと感じたアーレスは、仕方なくこの場を収めた。
すると途端に沸き上がる歓声。アーレスの眉間には深々と皺が刻まれる。
(不愉快だ。訓練するぞと言ったときは不満に満ちた声を出していたくせに)
アーレスが憤懣やるかたない様子を隠さずにドカッと椅子に座ると、そそくさと下級兵士がお茶を持ってくる。
だから。
そんな茶などを用意する暇があるなら、もっと鍛錬を積めよと思ってしまう。
(……ったく。いつからだ)
アーレスが辺境地での任務に就いてかれこれ十年以上。その間に、王都の騎士団はすっかり腐れきってしまったらしい。
今は内乱は無く、警戒すべきは外敵がほとんど。そのすべてをアーレスを筆頭とした辺境警備隊が引き受けてきた。王都に残されたものは、せいぜい王城の見張り程度ができれば良かったとはいえ、怠けすぎだ。
「そろそろお昼ですよー」
騎士団宿舎には食堂があり、そこの娘が時間になると呼びに来る。
先ほどまで倒れ込んでいた兵士たちはぱっと顔を明るくし、そそくさと移動していく。
(……お前等、まだまだ動けるんじゃないのか?)
湧き上がる疑念といら立ち。
午後は簡単には許してやらん、と誓いを新たに、アーレスも食堂へと向かった。
用意されている定食はみな同じもので、そこには上官だからといった区別はなく、同じテーブルで同じように食べる。
この食堂は、希望者には朝食も提供してくれ、アーレスも今日はここで食べた。
昨日の歓迎の宴で使用人もイズミも疲れていたはずだ。朝から自分の出勤に合わせて起こすのも忍びないので、家令だけに見送られ、朝食を取らずに家を出たのだ。
――が。
(あまりうまくないよな)
普通、料理は温かければそれだけでうまいはずだが、調味料が多いのかなんなのか、ごてごてしているだけであまりうまくない。
これなら狩りをしてきてすぐ焼いたウサギの方がうまい。調味料なんて塩だけだったが、新鮮さが一番だ。
野営地でのサバイバルな食事を思い出してうんうん頷いていると、後ろから騒がしい気配がした。
「団長ー!」
「なんだ、フレデリック」
やって来たのは、柔らかそうな癖のある金髪を揺らした、騎士団員だ。
男爵家の三男坊で、背負う家が無いのを苦にするどころか楽観的にとらえて人生楽しむタイプの男だ。
能力的には、この中では有望なほうだが、いかんせんそのチャラさはいただけない。
「団長、結婚したんですよね。聖女と! どうなんですか、奥様は」
「どうとはなんだ」
「いっやー、それを俺に言わせちゃいます? きゃー、恥ずかしい」
「ええい、うるさい。女みたいな悲鳴を上げるな」
馴れ馴れしい態度にドン引きだ。
昨今の若い者は語尾にですますだけつけておけば問題ないと思っている輩が多すぎる。
「人の家庭事情に口を出すな」
「えー。気になりますよ。聖女でしょ、ミヤ様みたいなすっげー美人なのかな」
素直に、世の中の一般男子が考えそうな感想を言うこの男に若干呆れつつ、でもそんなものかと納得したりもする。
「……ミヤ様とは違う。だが、彼女は彼女なりのいいところがある。それをこれから一緒に探すんだ。それが結婚ってことなんじゃないのか」
「いいこと探しってことですか? はあー、深いな」
「お前、いくつだ。結婚していないのか?」
「二十六歳です。結婚の予定はあったんですけどね。ほら、俺、三男でしょう? 相手が直前になって、他の男爵家の嫡男に嫁げることになって、手のひらひっくり返されたんですよ。もう恋愛とかこりごりです」
「それは、……気の毒だな」
普段の軽さが嘘のようなヘビーな話だ。意外と苦労しているらしい。
「あ、その、同情のまなざしみたいなのいりません。それよか聖女情報! 期待して待ってますよ!」
けたたましくそう言うと、フレデリックは同僚のセイムスに呼ばれて行ってしまった。
「お前、よく団長に声かけられるな。怖くねぇ」
(聞こえているぞ、セイムス。午後の訓練でみていろよ)
大人げない誓いをしながら、話に出てきた聖女のことを考えた。
このむさくるしい野郎どもとは全く真逆に、華奢で、深く黒い瞳と髪を持つ彼女は、二十六歳と言ったが、少女のような危うさを持っていた。
ああ、フレデリックと同じ年なんだな。
昨日の食事中も、終始困り切っていたように見えた。
かわいそうに、十も年上の男に嫁がされて、さぞかし怯えているのだろう。
彼女が落ち着くまでは、食事の時間も分けたほうがいいかもしれない。
(俺みたいなクマ男、か細い彼女にはきっと、恐怖の対象でしかないだろうしなぁ)
自分の考えに軽く落ち込みながら、アーレスはため息をついた。
職場は貧弱な若人ばかりだし、食事はまずい。ストレスがたまりまくりで胃が痛い。
「……ああ」
(辺境地に帰りたい)
言ってはならないが本気でそう思う。
(……もしあの子を辺境地に連れて行ったら、どんな顔をするだろう)
自然に、イズミを連れていく想像をしてしまった自分に驚く。
これが夫婦になるということかと改めてアーレスは思った。
(もう俺の予定は、俺一人の都合では決まらないのだな)
それは面倒な気もしたが、同時にこそばゆい感覚ももたらした。