騎士団副長の困惑・5
あの後、国王陛下による、聖女降嫁の命が正式に出され、結婚に関する取り決めはつつがなく決まった。
今日迎えに来ることも、前々から伝えてあったはずだ。
(どうしたんだ? なにか不満か?)
アーレスの姉は口うるさく、常に女性に対し、礼を失しないようにと言われ続けて育った。
だからこそ、女性経験が少ない割に、アーレスはレディファースト精神が行き届いている。
(なにか失礼な行動をしたのかもしれない……が、なにが悪かったか全く思い至らない)
ひそかに困り果てている巨漢のアーレスは、さりげなく何気なく聖女を観察した。
いずみは、きょろきょろとあたりを見回していた。そしてその視線は、廊下の花瓶の上でとまる。と同時に、アーレスは自分の手落ちに気づいた。
(そうだ。俺は彼女の婚約者だというのに、手ぶらでやって来てしまった。迎えにくるにあたり、花束のひとつでも用意するべきだったのではないか)
遠い昔の話だが、友人たちは求婚の際、花束を贈ったと聞いている。姉にいたっては庭園をプレゼントされたと聞いた。
だが、気づいても、今更急に用意はできない。
(使いを出して、屋敷に花束を用意させるか? しかし不安いっぱいな聖女をひとりにさせるほうがよほど薄情なのでは……)
アーレスが考えあぐね、結局正直に謝るのが一番だという結論に達したと同時に、いずみはイズミで目当てのものを見つけたように声を上げた。
「す、すまん。イズミ……」
「あっ、いた。セシリー!」
軽やかな足取りで、花瓶のさらに奥で掃除をしていたメイドに駆け寄った。
メイドはイズミと年が近そうで、彼女は屈託のない笑顔を向けている。
「まあ、イズミ様。いよいよお輿入れですのね。どうかお幸せに」
「セシリー、今まで本当にありがとう。何のお礼も出来なくてごめんなさい」
「嫌ですわ。私はメイドです。聖女様にお話できてうれしかったです」
(気に入りのメイドか?)
主人とメイドという関係には見えないように親し気に握手を交わし、いずみは涙目になっている。
セシリーというメイドが、花瓶からこっそり一本花を抜き取った。そして、エプロンのポケットから花切り用のハサミを出し、数センチの茎を残して切り落とし、いずみの髪にそっと差し込む。
「お綺麗です」
「……セシリー! また会えるよね!」
いずみは感極まって彼女に抱き着いたかと思うと、名残惜しそうにしながらアーレスの方へと戻ってきた。その顔からは先ほどまでの陰りは消えている。
「あのメイドは知り合いか?」
「お掃除の係のメイドさんです。よく部屋にお花を飾りに来てくれて。年が近そうなので話し相手になってもらったんです。内緒ですけど、国王様や神官様への愚痴も聞いてもらいました」
「そうか……。気に入りのメイドだというなら、屋敷に来てもらうか?」
アーレスの提案に、イズミは驚いているようだった。そして、少し考えたように腕を組んだ。
「アーレス様は身分の高いお方なんですよね。だとすればそれは命令になってしまいませんか?」
「ん? それがどうした?」
メイドの引き抜きくらいは、誰でもやっているようなことだ。
アーレスは特におかしなことを言ったつもりはない。
「私が暮らしてきた世界は、自分で職業を選択できる世界だったんです。もちろん、能力とか才能も必要ですし、家業という制約のある人もいました。けれど、少なくとも、その職業に就くために努力することは許されていた世界なんです。だから、私は自分が望む仕事をしたいし、セシリーにも自分が選んだ仕事を自分が選んだ場所でしてほしいと思っています」
毅然と言い放ったいずみに、アーレスは面食らった。
(自由に選ぶ? どんな世界だ、それは)
この世界ではどうしたって親の爵位に左右される。土地持ちの貴族であれば、領地を守るため運営していかなければならないのだ。次男以下は騎士団にはいったり、文官を勤めたりと自分の生きる道を探すが、末席でも貴族の一員になっているものが、平民のように店で働くようなことはない。
(それがイズミの住んでいた世界? ミヤ様も暮らしていた世界?)
続ける言葉を見つけられずにいるアーレスに、いずみはしょげたような様子で頭を下げた。
「……ごめんなさい。この国の常識とは違うんですよね。私の方が異邦人なんだもの。本当は、国のルールに従わなきゃならないんですよね」
「いや、そんなことは」
「わあ、これが教会ですね」
弁明しようとして、なにをどう言いたいのかアーレスは自分でも分からなくなった。
違う世界から来た彼女は、自分がこの世界で少数派であることをちゃんと理解している。
彼女が召喚されてから約半年。その間に、さまざまな常識の違いと対面し、なんとか折り合いをつけてきたのだろう。
「……君の暮らしていた世界は、変わっているんだな」
せっかく変えた話題を蒸し返されたと思っているのか、イズミの眉間にややしわが寄る。
「その話は……」
「俺はいいと思う。君の意見を尊重しよう」
それ以上言うべきことが思いつかなくなり、アーレスはふいと顔を逸らした。
いずみも何も言わなかったため、そのまま会話は無くなり、互いに無言のまま、教会では神父が勧めるまま結婚証明書にサインをした。
ビックリするくらい簡単に終わる。
これでもう、互いに夫婦なのだと思うと不思議でならない。
「これで一応あなたは俺の妻となったわけだが。俺は十も年上だし、降ってわいた爵位の後継者が必要なわけでもない。だから、妻としての務めを無理強いする気はないんだ。まずは君が新しい暮らしになれるのが大事だ。困ったことがあれば何でも言ってくれ」
「はあ……」
いずみは困っているような様子だ。だが、アーレスも困り果てている。一体なにを話せばいいのか。
そもそも、夜会では怒りが高じて、気障な態度をとってみたが、本来のアーレスは会話能力の低い、筋肉馬鹿だ。
戦場で剣を合わせているときは、敵と対話しているような気にさえなるのに、口から発する言葉は、自分の思う通りに出てこない。
こんな風に決まった婚約ではあるが、帰るところのない聖女の帰る場所になれればと思っている、とか、自分の姿が怖いというならばなるべく姿を見せないようにする、とか、嫌ならば夜の務めはしなくていいとか、どうしても自分では嫌だというならば、国王に進言してもっと優し気な男を探してやるとか。
心の中で思っていることはたくさんあるし、言葉を尽くして懇切丁寧に説明してやるべきなんだろうとは思うのだが、うまい言葉となって口から出てこない。
「……アーレス様はとても大きいんですね」
いずみは聞いているのかいないのか、アーレスを見上げると全くどうでもいい感想を言った。
「……怖いか?」
「いいえ? アーレス様こそ嫌ではありませんか? 前の聖女様と違って、私は役立たずの聖女です。なにも出来なければ、この世界の知識もない。厄介者を押し付けられたようなものでしょう」
ミヤ様の名前が出てきて、アーレスは一瞬驚く。だが、そんな風に比べて劣等感を抱くほど、国王や神官に心無い言葉を言われてきたのかと思うと不憫に感じた。
(ミヤ様はたしかにすごい。だが、この娘と比べるのは間違っているのだ)
「そんなことはない。ミヤ様はミヤ様。イズミはイズミだろう。厄介者かどうかなど、俺には分からない。たしかに王から縁談の話を聞いたときは面食らったが、これも縁だろうと今は思っている。君も多少なりとも不満はあるかもしれないが、君が悪いわけじゃないのだし、互いに楽しんで暮らしていこうじゃないか」
アーレスの言に、いずみは悲しそうにほほ笑んだ。
なにかを間違えたことはわかったが、なにを間違えたのかはアーレスにはわからなかった。




