どの道をゆく?
「魔法士を目指すなら、先に役所で申請書を出さなければいけません。無許可で通そうとしないで下さいね、いくらオズさんであろうと目を瞑れませんよ」
ドッグドッグはそう釘を刺して帰っていった。
アリスフォードでは魔法士、魔術士を名乗るためには「自分が魔法士、魔術士である」という資格が必要なのだ。後ろ盾の魔法使いの名前も必要で、認められるには何かと難しい。
認められていない魔法使いは違法魔法士・魔術士と呼ばれ、世界警団から拘束を余儀なくされる。また拘束出来なかった場合は全世界に指名手配される事になるのだ。
しかし違法魔法使いの存在が知られているのはごく一部。目立った事をしなければ存在が明るみに出ることが無いという曖昧な線引きがされているのだが、それは違法魔法使いの類が把握出来ないほどに各地に蔓延っているからなのだ。
「さ、疲れたし、とりあえず家に入って朝食でも食べよう」
オズはふぁ、と欠伸をしてポストから新聞を取って、玄関の扉を開くとノソノソとリビングに入っていった。
サルモネもついて家へ入ると、オズは物だらけのソファで寝転がりながら新聞をふよふよと浮かせて読んでいた。
床に雑に置かれた本や羊皮紙、魔法薬に使う何かの骨や乾燥した植物。
「……あの、ちょ、朝食は」
「サルモネが作るんだよ」
オズは宙に浮く新聞を見上げながらなに食わぬ顔で言った。
「僕、料理出来ないし」
「え? 」
「保存庫に卵とか、ベーコン……あったかなぁ。あ、パンはあるよ」
「保存庫ってどこ……」
そう言いかけるとオズはサルモネに指先を向けてクイッと指先を右に揺らした。
「どわッ!! 」
途端サルモネの足は勝手に動きだし、床のものを蹴散らしながら廊下へ出た。カビ臭い廊下を抜け、ダイニングに入ると足二本、揃って立ち止まった。
「……」
サルモネは足元から視線を上に移すと、泥遊びしたかの如く汚いキッチンに悲鳴をあげた。
「ぎゃあ!!!!!!! 」
泥遊び、といっても汚れは泥ではない。何年も放置されたとんでもキッチンは異臭すらする。ホコリ臭いなんて文句を言おうとしていたサルモネもびっくりの地獄絵図に立ち尽くしていた。
「……こんな、こんなキッチンで料理出来るわけないでしょ」
とりあえず保管庫だ。ウッと口と鼻を押さえてキッチンの端にある食材保管庫の前に立った。
嫌な予感はずうっと頭の中にある。
「開けてはいけない」そう自分の心が開けようとする手を止めている。保管庫を開く取っ手もドロッと長年の油汚れなのか茶色い物質がこびりついているのだ。
「……うぅ」
目をギュッと瞑り、ヌルりとする取っ手を唇を噛みながら開いた。ヌチャ、と粘質を破るように開かれた扉。見てもいないのに身震いもした。
ムワッ、とカビ臭さと腐った匂いが塞いだ鼻にも飛び込んできた。
「ッッッ!!!!! 」
思わず飛び上がってキッチンから逃げた。ねちゃねちゃと靴裏を鳴らしながら必死でリビングに飛び込んだ。
「オズ!!!! 」
「うわ、何。大声出さないでよ」
未だ寝転がりながら呑気に新聞を読むオズは青い瞳をぎょろりとサルモネに向けた。
「なんですか! あのキッチン!! 」
「え? 」
「あんな場所にあるもの食べられるわけないし、あんなキッチンで料理できるわけないでしょ!!! 」
オズはきょとんとした顔をするだけで我関せず、なんて新聞に再び視線を移した。
「オーズーさーん!!! 」
宙に浮いた新聞を取り上げてオズの顔の前に汚れた手を突きつけた。
「手! 一瞬保管庫の取っ手触っただけで! 」
「汚い……」
そのひと言でサルモネは声にならない声で叫んだ。
「どう? このベーコン。特殊魔法で燻製した一級品だよ」
「ううん……」
はじめて来たアリスフォードの認可マーケットはたった一人だった。オズは家でふて寝しているために、一人で心細いがオズに腹が立っているサルモネはついてきて欲しいとは言わなかった。
「あちゃー」
地獄絵図のキッチンを見てもそのひと言。悪びれる素振りもなければ他人事。
「ベーコンも、ダメかぁ」
保管庫を開けてなはは、と笑うのでサルモネは「当たり前でしょうが!!! これで!よく! 俺に料理させようとしましたね!!! 」と怒鳴りつけた。
「そんなに怒ること? なんかサルモネじゃない」
サルモネの怒りのツボを次々と的確に押していく。オズも苛立ちを見せるがお門違いにも程があった。
「あのですね! 言わせてもらいますけど、家が汚すぎます! 本に書類に植物ですか? 人が住む家じゃありません! 」
「人じゃない、魔法使い」
「そういうこと言ってんじゃないんですよ」
背の高いオズを見上げながら詰め寄るとオズはムッとした顔でサルモネを見つめ返した。
「片付けますよ」
「サルモネがやってよ。得意だろ」
「なッ! 」
ワガママ中のワガママ。大きな子供と言っても過言ではなかった。長い前髪の隙間から冷たい瞳が見下ろし、サルモネは何を言っても無駄だと諦めた。
「……はぁ。掃除道具は」
「え? 」
「掃除道具です。箒とか、雑巾とか」
キッチンの異臭すらもうしない程に呆れ果てていた。珍しく怒鳴ったことで気疲れしたサルモネは大人しくオズについて家の裏に向かった。次はくたびれた倉庫があり、オズは手を使わずに扉を開いた。
「ここにあると思うんだけど……」
ボロボロの倉庫は物を動かす度に天井や棚からホコリや塗装が落ちてくる。家も倉庫も長い年月が経っているのだが、オズが手入れをかなり怠っているためガタがきている。
本来ならば魔力で維持できるはずなのだ。
「あ、あったあった! 」
はい、と手渡されたのは穂先がほとんどない箒だった。
「……これ、で掃除しろって? 」
「え、ダメかな」
「ダメです。オズさん今までどうやって生きてきたんですか?! 」
「いや、そんな事を言われたって」
魔力さえあれば魔法士は死なない。百年何も口にせず引きこもっていようが死なないのだ。
長く伸びた髪もオズが生に無頓着であるという証拠だ。
「オズさん今から片付けをしますよ。魔法で出来るならそうして頂けると助かります」
「なんで」
「今のままじゃまともに暮らせないからですよ。満足に食事も出来ません」
言い切るとサルモネは家に戻った。
「何?キッチン綺麗にすればいいの」
「全部ですけど……まぁ、まずはキッチンですね」
「分かったよ……」
キッチンに続くホコリだらけの廊下を戻り、異臭が漂いはじめたのでサルモネは鼻を摘んだ。
キッチンの入り口に立つと、オズは仁王立ちをして「カサロス」と呪文を唱えた。
「わッ! 」
とぷんッ。透明なボールのような物体が数個床から迫り出してきた。ぷるぷると揺れながら浮かぶ物体はパチンと弾けると透明な液体がキッチン一面に広がった。
液体はまるで生きているかのごとく部屋を蠢き床、天井、シンクやコンロ、食品庫に貼り付いた。
「凄い! 」
目を丸くしたサルモネの瞳には新品同様の床、ピカピカのシンクが目に飛び込んできた。
液体は茶色く汚れ、腐った食材ごと抱き込んでシンクの中にギュウギュウに詰まった。
「どう? 」
オズがパチンと指を鳴らすと液体は排水溝に吸い込まれていった。
「凄いです! 」
キッチンにパタパタと足音を立てて入り込んだサルモネはピカピカのシンクやコンロを触った。あのキッチンが嘘のように綺麗だ。
「ほら、簡単に掃除なんか出来るんだから」
「……へぇ? 」
じゃあ、と言いかけたサルモネを察してオズは耳を塞いだ。
「ちょっと! 聞かないフリしないで下さいよ! 」
「だって家を全部やれって言おうとしたでしょ! 」
「そうですよ。今、簡単って言いましたよね! 」
そうしてまんまと掃除をさせたサルモネは「じゃあ、買い物でも行きましょう」と言うとソファでふて寝を始めたオズは首を横に振った。
「……マーケットに玄関繋げるから一人で行ってきて……」
という訳で一人なのだ。
人だらけのマーケットで一人肉屋の前で捕まるサルモネはベーコンの肉塊と睨めっこしていた。
「安くしとくよ〜。1万ルーンでどう? 」
「1万かぁ、その大きさでなら安いんですかね」
「安い! 出血大サービス! 」
軍資金は五万。サルモネは腕を組んで唸った。一万をベーコン一本で使ってしまうのはあまりに無計画だ。
「わかった! 8500ルーン! 」
「いいんですか! 」
気のいい太った肉屋の男はサルモネに頷いた。
「買った! 」
そう一万ルーンを差し出したサルモネの手を誰かが掴んだ。
「ちょっと待った」
「え? 」
「ちょっとちょっと、何だい君は」
見上げると黒い短髪の青年だった。背の高い青年はサルモネも見ないで肉屋の男に言った。
「そんな粗悪品、8500ルーンは高いんじゃありません? 」
低く乾いた声が言うと、肉屋の男は焦ったように「そんな訳ないだろ! 」と言った。
「それ、特殊魔法でって話だったけど微塵も魔力痕ないけど」
「な、適当なこと言うな! 」
「見ない顔だからって騙したらダメだろ。そのベーコン、売れ残りだって知ってるぜ? 」
「うッ……」
図星だったようで何も言わなくなった男は肩を竦めた。
「行くぞ」
グイと手を引かれ、サルモネはわけも分からず肉屋から離れた。
マーケットの人が流れる大通りに入ると、手をぱっと離された。
「あの、ありがとうございました」
「マーケット初めてだろ。あの通りは三区つってぼったくりが多い場所だ」
「そ、そうなんですか」
あの場所には自分以外にも沢山人がいた。サルモネはどうして自分だけ助けてくれたのだろう、と首を捻った。
ーまぁ、助かったけど。
「上物もあるときはあるが、あぁいうのは常連にしか売ってねぇ。お前みたいな初心者は格好の餌食だな」
「なるほど……」
「一区に行くほど金はなさそうだな。二区まで連れてってやろうか」
「え? いいんですか? 」
サルモネがパッと明るい表情になると青年は顔を歪めた。
「お前、だから騙されんだぞ」
「え? 」
「俺があの肉屋のオヤジと同じだったらどーすんだよ。人が良すぎる」
つり目がちで鋭くなる視線がサルモネを捉えた。
「まぁ、俺はそんな事しないから安心しろ。安くていい店、教えてやるよ」
「ありがとうございます」
アリスフォード近郊の認可マーケットは世界有数の大市場だ。国から認められたマーケットの中では最大の大きさを誇る。
その大きさから三つ区を設けている。
入り口に近い三区は観光客がメインのマーケットで、設定価格が高い上にあまりいい品物がない。二区はアリスフォードの国民やマーケットの近隣に住んだりと常連御用達の店が立ち並ぶ。一区は許可証を得た客のみを受け入れる高級店のみの区だ。
それぞれ外殻から三区、二区、一区を包む円状になっている。中心街の一区はアリスフォード国民でもごく一部、また貴族や上流階級に属する人間しか入ることを許されないのだ。
「だから、俺らは二区までしか行けないってわけ」
「へぇ……」
「ほら、あそこ見えるか。あの壁」
そびえ立つわん曲しているコンクリートの白い壁。サルモネはわっ、と声を上げた。
「凄いです。はじめて見ました」
「? よく新聞とか本に載ってるだろ」
「……いや、あんまりそういうのは」
サムズウェアに住んでいて魔法社会を知らないとはいえ、常識という常識は知らなかった。数ヶ月の間、世話になったあの家族の中にいても知ることが出来るのはごく一部だった。
見上げるほど高い壁。サルモネはそれを知らなかった。
「あの」
ずっと気になっていたことがあった。
「どうして俺を助けてくれたんですか」
大勢の中の一人。どうして自分だけを助けてくれたのだろう、と思っていた。
偶然なのか、それとも……
「俺と、同じ匂いがしたからさ」
「……え? 」
「魔法士だろ、お前」
そう言った青年は唇の端を上げた。
「まだ、魔法士にはなってないと思うんですけど」
「いずれなるんだろ? 同じことだ。どこの弟子だ? 」
「オズです。オズウェル」
オズ、そう言った途端青年は口をポカンと開けた。
「オズの? 本気で言ってんのか」
「はい」
「そりゃ、名門だな。名前は? 」
「サルモネです」
「よろしくサルモネ。俺はガロだ。見たところ同じくらいの歳だし、仲良くやろうぜ」
ガロに差し出された手を取り、握手を交わした。ニコリと笑ったガロは気を良くしたのかサルモネの背中を押し二区の門をくぐった。
「俺のことはガロでいいぜ」
「あ、うん。ガロはどこで魔法を習ってるの」
「どうせ言っても分かんねぇだろ。言うほどでもねぇよ」
「確かに。俺、魔法使いの人のこと全然知らないから」
少なくなった人を避け、ガロはずんずん進んで行った。観光客の浮き足立った騒がしさが無い。ガラリと空気が変わった。
「この先にいい肉を仕入れる店がある。俺の顔見知りだからサービスしてくれるはずだ」
「いいの? 」
「いいっていいって。友達だろ」
友達、その響きでサルモネは浮き足立った。
「また出たんだって、黒豹のカラス」
誰でもない街ゆく人の声が耳に飛び込んできた。
「黒豹の……カラス 」
「どうかしたか? 」
ガロは立ち止まったサルモネに振り返ると首を傾げた。
「黒豹のカラスって、何? 」
「あぁ、最近アリスフォードの国境に現れる黒豹の魔獣だよ」
「へぇ……」
「人を襲ったりしないけど、ソイツが出るとなにか起きるんだ」
ガロは黒髪を揺らし、ふいと向こうを指さした。
「あの店だ。行こう」
駆け足気味に店に入ると、賑わった店内からひょいと店主が顔を出した。
「おぉガロ! 久しぶりだな」
「あぁ。どう、何かいいの無いか? 」
「あるある。アクアリアの水豚のつるしベーコン」
「丁度いい。それいくら? 」
淡々とことが進み、格安でベーコンを手に入れた。オマケに肉屋の裏メニューらしいサンドイッチまでサービスしてもらった。
「何から何までありがとう」
「いいって。また来いよ」
「うん」
ガロとは二区で別れ、家とマーケットとを繋いだ三区の外れにサルモネは急いだ。
「ただいま帰りました」
食材と生活用品を抱えてのそのそとリビングに入った。
「おかえり。どう? いい買い物出来た? 」
どっさり荷物を抱え、満足げな顔をしたサルモネは頷いてオズが寝転がっていたソファの横にあるローテーブルに紙袋を置いた。
紙袋を覗き込んだオズは袋に手を突っ込んで食材を吟味するようにテーブルに並べ始めた。
「もしかして、ぼったくられたりしたんじゃないかって思ってたけど、上手く買い物して来たね」
「三区で騙されそうになったんですけど、親切な人に助けてもらいました」
「へぇ、よかったね」
「それが、同じくらいの年齢の魔法士の人で」
「ふぅん。変わり者もいるもんだね」
魔法士は知らないもの同士助け合う事が少ない。相性が良い、悪いが明確で無駄な関わり合いを避ける性質がある。その代わり元あるコミュニティは大事にし、仲間であれば命を懸けることも厭わない。
サルモネとガロは相性、というやつがよかったのか。
「友達になりました」
「友達? 」
「凄くいい人で、この買い物も手伝ってもらったんですよ。必要なものを買い揃えて2万ルーンも余ったんです」
笑うサルモネを他所に天井を見上げた。
「その余ったお金あげる。好きに使って」
「え? いいですよ、そんなに貰えません」
「いい、お金ならあるから」
手に余るお金を握り締めてサルモネはオズに頭を下げた。
「お腹空いた。何かないの? 」
「あ、あります。サービスしてもらったハムのサンドイッチ」
そう言うとオズはむくっと起き上がった。
「ガロって言うんですけどね。マーケットに顔が利いて色々サービスして貰っちゃいました」
「ふぅん」
「はい、サンドイッチです」
包みを開くと大きなサンドイッチが現れた。
オズはガロの事を知らないどころか興味も無いようで彼について話すのをやめた。
「オズは一区に入れるんですか? 」
「いや、無理だね。魔法使いは例外を除いて行けないきまりだから。王族とか、貴族。それとその繋がりの人達しか入れないんだ」
「へぇ。何が売ってるんですかね? 高級食材とか……宝石とか? 」
「そんな甘いもんじゃないよ。もちろん高級なものも売っているけど、食材であれば人魚の肉とか神獣って呼ばれる珍しい生き物の身体さ。本来非合法であるはずの商品が並ぶ公式の闇市だよ」
魔法士もそのひとつだとオズは言った。
「魔法士って、え? 」
「魔法士の奴隷。魔力の供給源として売買されているんだ。魔法士だけじゃなくて魔獣や魔力を持つだけの人間、とか」
サンドイッチを頬張りながらなんの気なしに言うオズに反してサルモネは絶句した。
金も地位も持て余した奴らが考える事は分かんないね、とオズは鼻で笑う。
「だから、君も気をつけなよ」
「わ、分かりました」
「まぁ、僕の息のかかったサルモネに手を出す馬鹿は早々いないだろうけど」