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新世界が聞こえる  作者: ニシムラ圭
1章
2/5

墓守のアトネ

「また? それ管理者に問題があるんじゃ」


 じとり。オズはドッグドッグを見下ろし、行きたくないとキッパリ言った。


「お願いしますよう……今色々大変で、墓荒らしなんて頻発すれば国民の不安をさらに煽ることにもなりかねないのはお分かりですよね」

「ま、そうだね。国民の動向に乱れがあれば、あの脆弱な王様がとんでもない事を言い出すだろうし。その前に何とかしよう」


 ケタケタと笑ってから直ぐに面倒くさそうな顔に切り替えたオズはため息をついた。この国の王族は心配性をこれでもかと遺伝させている。安寧が保たれる国は一度強風が吹けば倒れるハリボテと同じ、オズはそう思っていた。

 

「墓地には、どう行くつもりなの? 」

 

 そうオズが尋ねるとドッグドッグは萎びた紙切れを取り出した。


「もちろんお手を煩わせないようムブカードを持ってきました」

「何ですか? それ」

「ムブカードと言って、ここに書いてある場所に転移できる魔法道具です。一般市場でも流通してるんですよ。まぁ高額であまり一般的ではありませんが」


 黄ばんだ小さな紙にミミズが這ったような文字とも言えないインクの染みがある。


「……へぇ。買って、ここに好きな場所を書くんですか」

「いえ、そんな便利なものではないんですよ。あらかじめ行先は決まってるんです。魔法士や魔術士、魔力を取り扱える方々が特定の転移場所に移動出来る魔法を紙に染み込ませるんです」

「なるほど」

「需要のあるカードでないと売れないので、国内の僻地や認可マーケットが主流ですね。場所を指定するオーダーメイドも出来るんですけど、それはとても買えた値段ではないですね」


 サルモネはドッグドッグからムブカードを受け取るとじっとカードを見つめた。サムズウェアという非魔法国家で生きてきたサルモネにとっては新鮮な物だった。オズは「今度作ってみようか」と笑いかけると、サルモネは目を輝かせる。


「これから行くのは墓地ですが、魔法史上の偉人マーリンの墓もあります。観光地にもなっているので騒がしいかもしれません」

「マーリンって誰ですか? 」

「あぁ、そうですね。サムズウェアだと魔法史は禁書レベルで出回っていなかったですね」

「マーリンは英雄魔術士。様々な魔法道具を作ったと言われる偉人だよ」


 へぇ、と唸る他ない。今まで触れてこなかった魔法の世界には人間と同じ深い歴史がある。サルモネはぼんやりとドッグドッグの首を絞める輪を捉えながら目を伏せた。

 一瞬、頭の中で声が鳴った気がした。


「どうかした? 」

「なんでもないです。ムブカード、どうやって使うんですか? 」

「破るだけです。やってみますか? 」

「いいんですか?! 」


 琥珀色の瞳がキラキラと光を抱き込んだ。ムブカードを手に取ったサルモネは勢いよくビリッと紙切れを引きちぎった。

足元に紙切れに書いてあったぐにゃぐにゃの文字が現れた。


「わッ!」


 光が地面から差し込み、思わず目を瞑る。足元から突き上げるように吹く強風が三人を包んだ。

 次に目を開いた時には、墓地の入口であった。緑の中にびっしりと並ぶ墓石、思わず息を飲むような荘厳な空気が肌を刺す。


「凄い……本当に移動してる」

「魔法士はムブカードなんて無くても転移魔法くらい出来るんだからね」

「いいんですよ。何事も経験でしょう」


 オズの言葉にそう返したドッグドッグは「ね? 」とサルモネの顔を見た。


「この先が、マーリンの墓と記念碑があります。どうです、せっかくだし見ていきますか」

「……いいんですか? 」

「もちろん」




 墓地を通り抜けると、背の高い木々に囲われた広い空間が現れた。木漏れ日を受け、佇む大きな墓を見つけた。湿ったような空気だが、清々しい爽やかな風が身体を三人の包んだ。

墓石には美しい女性の横顔が描かれている。精巧に彫られた長い髪の女性の名は「マーリン」


「凄い……」


 見上げるほどに大きい。遺跡と見紛う程神聖で美しいものだ。


「サルモネさん。先に墓守(はかもり)の方にご挨拶を済ませてもいいですか」

「あ、はい」


 広い空間の奥に小さな小屋があった。この大墓地の管理人の住処だ。

サルモネの知らない時代がそこにある気がして彼は心を奪われてしまった。


「サルモネ、早くおいで」

「はい」


 こじんまりとした小屋だ。木造の古びた小屋は昔からずっとここにあったような、そんな雰囲気がある。


「アトネさん、お久しぶりです。ドッグドッグです」


 扉をノックして声を掛けると、小屋の中からオズと同じくらいの身長の老年の男が現れた。白髪や顔のシワはあるものの凛と背筋を伸ばして立つ姿は若々しく見えた。


「ドッグ、オズよく来たな。それと……見ない顔もいるな」

「僕の弟子のサルモネ、よろしく」

「お前が、弟子を。名前はサルモネだって? どこで拾ってきたんだ」


 赤髪のサルモネをまじまじと見つめた男は顎をさすって「ふぅむ」と唸った。

ツリ目がちな鋭い目に刺され、サルモネは思わず肩を竦める。


「悪い悪い。そんな怯えないでくれ」


短い白髪をぐしゃぐしゃと乱し、歯を見せるほどハツラツと笑って見せた。


「私はアトネだ。ここの管理人をしている」

「あ、よろしくお願いします」


 アトネはサルモネに近づき、剣士のようなカサカサのぶ厚い手を差し出した。握手を交わすと、オズたちがこの墓地に来た理由について触れた。


「今日来てくれたのは墓荒らしのことだな」

「えぇ。アトネさんがお怪我をされたと聞いて」

「あぁ、私の不注意で悪かったな」


 墓を荒らす何者かは一人ではなく背後をとられて背中に真一文字の傷を負ったのだ。

アトネが言うにはマーリンの墓を狙う訳では無く、多数の普通の人間の墓を掘り返そうとするらしい。ほぼ毎晩現れるのを撃退していたのだが、徐々に人数が増えてきているらしい。

しかし幸い何かを盗られたりという被害はない。


「目的は誰かを探しているのか、無差別に狙っているのかどちらなんでしょう」

「マーリンの墓を荒らそうとしないのも気になるね」

「荒らされた墓は元に戻しているんだが、何か証拠があるかもしれん。見てくるか? 」

「そうするよ。僕とドッグドッグで見てくる。サルモネは気になるならマーリンの記念碑とか見てていいよ」


 そう言ってオズとドッグドッグはマーリンの墓地を離れた。


「サルモネくん」

「あ、はい」

「君は、魔法士の家系の生まれ? 」

「いえ、家族がいなくて……それでオズさんに拾ってもらったんです」

「そうか。オズも珍しいことをするもんだな」


 オズとは古くからの知り合いらしい。クスクスと笑う姿はまるで小さな子供の成長を感じるような笑みだった。


「アリスフォードの人間ではなさそうだが、君はどこにいたんだ」

「サムズウェアです」

「ほう。それまた魔法とは縁のない場所から」

「はい。なので全く魔法使いや魔法のことは分からなくて……」


 サムズウェアは閉鎖的ではないが、魔法使いを忌み嫌うような性がある。魔法道具も少数しか流通せず、国民は魔法使いと接触することは禁じられている。唯一、名誉のある魔法使いのみ王家への謁見が許されているのだ。


「魔法使いを悪とする国にいたにも関わらず魔法士になりたいとはとんだ変わり者だな」

「そうですね」

「君は魔法使いをどう思うんだ? 」

「え? 」

「悪いね、質問ばかりで。どうもオズの弟子の君が気になって」

「そうですね……凄い人というか、雲の上の存在だと思ってました。だけど、案外普通の人間と変わらない、ような……これ失礼ですか? 」

「いいや、彼女が一番喜びそうな答えだ」


 アトネが嬉しそうに目を細める。視線の先にはマーリンの眠る墓があった。



 一方、オズとドッグドッグはアリスフォードの国民が眠る墓地を歩き続けていた。


「流刑地のタルタロスが消えてからもう二十年が経ちますか」

「まだ十八年だよ」

「……何事にも興味を示さない貴方がよくご存知ですね」


 ドッグドッグは丸い目でオズを見つめると口の端を上げた。


「何が言いたい? はっきり言いなよ、脆弱王家の飼い犬は決められた事しかお喋り出来ないのかな」


オズは面食らったドッグドッグの首と首輪の隙間に指を差し込むとグッと引き寄せた。


「どう? 僕が君の首輪を引きちぎってあげてもいいんだよ」

「……ッ! 」


ドッグドッグはオズの手を払い、首輪を緩めるとフゥと息を吐いた。


「余計な事を言いすぎました。すみません」

「そう、まぁそれはいいんだけど。

君、どこまでサルモネの事を調べた? サムズウェアにいた事、教えてないはずだ」

「大して知りませんよ。オズウェルさんが無断で国境を越えて戸籍もない青年を連れ帰った、という事実のみです」


 戸籍のない青年。オズはその事実に顔を顰めた。

 

「サルモネには言うな、絶対に」


 食ってかかるわけでもなく、唇を噛み苦い顔をするだけだ。未来ある青年に知られるわけにはいかないのだ、絶対に。

 


「アトネさんはどうして墓守をしてるんですか」


 何も知らないサルモネは石碑の文字を一つ一つ読みながら聞いた。


「約束なんだ。彼女との」

「彼女……? 」


 アトネの視線を追いかけると彫刻のマーリンの横顔があった。ポカンと口を開け、サルモネはアトネを見つめると「彼女って……いや、マーリンは二百年に亡くなったんじゃ」と声を震わせた。

 有り得るはずがない。話が本当ならば彼は二百年は生きているのだ。


「私は、彼女に呪いをかけられてね。死ぬ事が出来ない」

「呪い? 」

「その時が来るまで彼女を守るという呪いだよ」

「その時って……」

「それは教えられない。それも約束だからね」


 アトネは二百年間ずっと、ここを守り続けているのだ。マーリンとの約束を果たすために。


「彼女はずっと魔法使いが自由に生きられる世界を願っていた。晩年も、ずっと夢のように語っていたよ」

「……」

「だから、君のような存在がいてくれると彼女も救われる」

「なんだか、童話のような話ですね」


 魔法使いが人間と約束をするおとぎ話のようだとサルモネは言った。

アトネはそう呟いたサルモネを目を丸くして見下ろした。


「……はは。そんないい話ではない」

「そうですか? 人と魔法使いが約束をするって、素敵な話じゃないですか」

「月下物語のように美しい背景なんてありはしないが、確かに夢のような話かもしれないな」


 ここ、アリスフォードではそうなのだ。魔法使いと人間、どうあっても等しくはいられない。どこか歪みが生まれる。


「月下物語ってどんな話なんですか? 」

「あぁ、月から漂流した月姫と人間の恋物語だ。私たちとは文化の違う遠い島国の話なんだ」

「へぇ……魔法使いの話ではないんですか」

「月の民と人間の話だ」


 月からやってきた月姫は無人島に漂流した。そこに冒険家の蛇丸という男に助けられ、蛇丸一行の故郷に共に帰還した。蛇丸という男は国で名の知れた冒険家で、美しく不思議な力を使える女を連れ帰ってきたことは誰もが知っていた。

月姫はこの世のものと思えないほど美しく、国の王様にすぐに見初められた。婚姻を申し込まれた月姫は蛇丸から離れたくないと断る。それに激怒した王は蛇丸の捕え、処刑するよう命じた。月姫は悲しみ、蛇丸を救うために王に嫁ぐことに決めた。蛇丸に自身の形見だと自分の薬指を託した。

『わたくしにはもう時期月からの迎えが参ります。蛇丸さまとの別れはどんなかたちであれ訪れます。お約束です、わたくしのからだは口にすれば永遠の生命を手に入れられるのです。

必ず再びこの地に戻って参ります。だからわたくしの指を食べて蛇丸様、変わらぬ姿で待っていてください』

月姫はそう言って王に嫁いでゆきました。

そして、月からの使者とともに帰ってゆきました。

蛇丸は形見の指をどうしても食べることは出来ませんでした、愛しい月姫を屠ることができなかったのです。



「約束は果たされなかったんですか」

「いや、そこまでは描かれていない。現地に行けばまた続きがあるのかもしれないが、私たちに語り継がれているのはそこまでだな」

「……なんだか、腑に落ちない話ですね」

「そうか? 私はとても美しい話に思うが」


 サルモネは難しい顔をして首を捻った。

月姫が次に蛇丸に会いに来た時に悲しい思いをするだけではないか、と唸って見せるとアトネは笑った。


「おとぎ話だ。そんな顔をせずとも良い。

まぁ、一説によると死んだ蛇丸の魂が月に行ったとも言われているんだ」

「へぇ」

「月下物語の舞台は摩訶不思議な国でな。いつか行ってみるといい」


 文化が全く違う国だ。身なりも、魔法使いの身分も。


「魔法の文化はあるんですか? 」

「あぁ、あそこはなぁ……ちょっと変わっていて王家に仕える魔法士の一族があってな、神の使いと崇められているんだが……いや、やめておこう。君が自分で知るべきことだ」


 アトネは言うと、サルモネの肩を叩いた。理解が乏しく頷くしか出来ないサルモネはアトネに連れられてマーリンの記念碑の前にやってきた。


「こちらはまだだったろう。オズたちが戻ってくる前に目を通しておくといい」

「ありがとうございます」


 マーリンの功績がこれでもかと綴られている。ムブカードもその一つだ。


「……ムブカード、魔法舟、魔力式飛行船、魔力式機関車……」


 魔力式機関車をはじめ、魔力式四駆車などはサムズウェアにもあったためサルモネは感心してしまった。

読み込んでいくうちに石碑の下の方にガタガタと拙い文字が彫られていたのを見つけた。


「カミュ……? 」


 カミュと彫られた隣には削られて見えなくなった何かしらの文字があった。

明らかに記念碑に何者かが付け足したような文字だ。


「あの、アトネさん」

「どうした? 」

「ここに、文字が」


文章の羅列からはみ出した文字にアトネは顔を顰めた。


「観光に来た客がたまにやるんだ。大馬鹿者がここに名前を書くと大魔法士になれるやら、迷信を信じ込んで、ほらこっちに来てみろ」


アトネに手招きされ、記念碑の後ろに回るとびっしりと名前が彫られていた。


「わッ……」

「な? 墓はバチあたりだからこっちに書くんだ。こんなことをしても意味が無いのにな。まぁ、ロマンはあるがなぁ」


 笑うアトネは空を見上げた。木々の隙間から昼間の月がぽっかりと浮かんで見える。


「ここはよく月が見える」

「……ほんとだ」

「マーリンは月が好きだったんだ」


 見上げると月は高く、白く光っていた。


「お、いい時にオズたちが戻ってきた」


 オズとドッグドッグがマーリンの墓の入口に現れたところだった。


「アトネ、今日は人がいないね」

「あぁ、墓荒らしが出てから人が寄り付かなくなった。どうだ、何か見つかったか」

「いや、これと言って……だけど、地面に妙な爪痕だけ見つけた。君がやられたのはおそらく爪痕の持ち主だろうね」


 おそらく魔獣の仕業だろうとオズは付け加えた。


「だけど、魔獣は知力がないから墓を荒らすだけでは済まないはずだ。誰かが一枚噛んでいると思う」

「僕らも今日は一晩見張ります。サルモネさんは……」

「サルモネは僕と一緒に。ドッグドッグとアトネで二手に別れよう」

「俺、足でまといじゃ……」


 魔法も使えなければ大して力もない、とサルモネは焦ったがオズは軽く「大丈夫大丈夫」と言うだけだ。


「軽く魔法でも教えてあげる」

「……え?! 今ですか?! 」



 しかし、魔法を教えるのはオズでは無かった。あまりに教え方が下手くそなのだ。

魔法に触れてこなかったサルモネに突飛した事ばかり言うためにドッグドッグが呆れて代わってやった。

小屋のダイニングテーブルで二人向い合わせに座り、真剣な顔をしている。


「まず、魔法使いには二種類。

自らの体内で魔力を生成し、魔法を使う魔法士。魔法道具、魔力生成出来るものを扱い魔法を使う魔術士。サルモネくんは前者ですね」

「あ、はい」

「それで、魔法なんですが、もちろん才能やその人自身の魔力生成能力にもよるんですが、年齢を重ねたり、鍛錬すればするほど魔法士としても力がつきます」


 ドッグドッグは身振り手振りをつけて分かりやすく説明を続ける。


「そして魔法には大きくわけて四つ種類があります」


人の精神に干渉するマインド型。

人の身体に干渉するメディカル型。

物理的に何かを生み出すオブジェ型。

別の生物に変化するカフカ型。


「四種はまた細分化されますが、大まかにこの四種の魔法の基本形を使える事が魔法界では求められます」

「……なるほど」

「満遍なく使えるようになるのもいいですが、それでは大魔法士と呼ばれるような存在にはなれないと思った方がいいです。


と、言うのもあまりこの例えは良くないのですが……サルモネくんの魔力が百としますね。


そうするとその四種類に満遍なく振り分けてしまうと、どれも突出しない秀でたものがない魔法士になってしまいます」


 そうすると、魔法士としての能力は高いとは言えない。どれかを極めることによって魔法士としての能力を上げるのだ。

 

「はじめのうちはどれが自分に向いているか、見極めていくといいですよ。

あぁ、それとさっき魔力を数値に例えましたが、その値は鍛錬すれば上がります、それに魔法が使いこなせてくると魔力の絞り方などが分かってくるので効率的に魔法を使えるようになりますよ」


「魔法学校の教え方を聞いてるみたいだ」


 突然オズが話に飛び込んできた。


「ドッグドッグさんの説明凄く分かりやすいです」

「はは、ありがとうございます」

「頭で理解出来ても魔法を使うことには繋がらないよ。実践してみないと」

「たしかにそうですね。今詰め込んだ所で意味がありませんね、とりあえず基本の物理魔法から教えますね」


 ドッグドッグは小屋の外へとサルモネを誘った。昼下がり、空気が温かい。


「あの」

「はい? 」

「ドッグドッグさんは魔法が使えるんですか」

「はい。大した魔法は使えませんが、基本くらいなら教えられると思います」


 ハンチングを被り直し、丸い目を細めた。


「押さえなければならないのは火、水、風。自然のものを操るのは難しいのでまずこの三点。特に火、水が基本です」


 そうは言われても根本、火や水を無いから有るにすることは理解し難いことであった。


「大切なのはイメージです。この程度なら慣れれば呪文がなくても使えます」

「……はぁ」

「ほら」


 ぼぅ、とドッグドッグの手のひらに小さな火が揺れている。

ぎゅ、と手を握りしめると火は消えてなくなってしまった。


「やってみましょう」




「そう、手のひらに集中して下さい。全身の血をここに集めるように……」


 何度やっても火が出来る気配、しかない。サルモネはぽきりと心が折れそうなのを何とか保っていた。


「では、もう一度」


サルモネは左手にグッと力を込めると背後からサルモネを包む影が落とされた。


「グリエ」

「うわッ!!! 」


ボッ、と手のひらより大きな火がサルモネを脅かした。

驚いたサルモネが振り向くとオズがいた。オズが唱えた呪文だったのだ。


「……び、びっくりした。今のはオズさんが? 」

「呪文だけね。僕は魔力の流れを整えただけ、あとは君の力だよ」


 サルモネは目を丸くして自分の手に視線を落とした。ドクドクと心臓が波打つ、血に混ざった自分の力が熱く滾る。


「呪文は、余計な気持ちが混ざらないように精神を統一するための手助け。魔法自体には必要無いもの」


オズはそう言うと、もう一度魔法を使うように言った。


「……ふぅ」


息を吸って吐いて、手のひらに力を込める。


「グリエ」


 ボッ!!

さっきよりも大きな炎があがった。赤髪が熱風に煽られてかきあげられる。


「凄い、凄いです! サルモネさん! 」


 ドッグドッグは手を叩いて笑うのだが、サルモネは呆気にとられて口を開けるばかりだ。


「まだ力は制御は出来ないか……」 


オズはサルモネの手をグッと引き寄せ、ジロジロと舐めるように見た。


「な、なんですか」

「いや……練習続けて」


 オズは小屋に戻り、サルモネとドッグドッグは目を見合せた。


「今は、同じことを繰り返しましょう」

「はい」

「今晩の事もありますし、自分の身を守るためにも魔力は使い過ぎないようにしておきましょう」


 魔力の使い方は下手なのだが、サルモネは息一つ切らさない。魔法に触れはじめた存在にしては才能がある。


「サルモネくんは相当スジがいいな」


小屋に戻ったオズは昼寝をしていた筈のアトネの言葉に小さく頷いた。


「才能があれど、普通ははじめて魔法を使おうなんて奴があの短い時間で出来るはずが無いんだがなぁ」


窓の外を眺めながら感嘆するばかりのアトネにオズはフッと笑った。


「ファウストになれるかもね」

「お前も取れていない称号を? どれだけ期待しているんだ」

「僕は別にいらない、興味ない」

「はは、すっかり変わったな。達観したような事言いやがって」

「うるっさいなぁ……紅茶、紅茶飲むから」


 テーブルに突っ伏して目を瞑り、オズは外の騒がしい声も聞かないようにした。


「なぁオズ、お前がマーリンの墓に名前を彫ったんだよな」

「……そうだっけ」

「馬鹿野郎、お前ぶん殴ってやったろ」

「覚えてないよ、そんなこと」


 オズは嫌な顔をするとアトネは呆れ笑いしながら目の前に淹れたての紅茶を置いた。


「あの彼は、身寄りがないと言ったな。

サルモネ。あの名前はお前がつけたのか? 」

「いいや」

「そうか」



夜になると、眠るマーリンを月明かりが照らした。


「……どうして俺たちはここなんですか」


マーリンの墓は狙われていない、と結論づけられたはずだ。


「狙いはマーリンの墓だ」

「え? 」

「間違いない。アトネも狙われている」

「えぇ?! 危ないじゃないですか! 

すぐにアトネさんに! 」

「落ち着いて。アトネも知ってる」

「アトネさん、怪我させられたんでしょ! 」


 オズは焦るサルモネを見下ろして、唇を尖らせた。


「この前のことは不注意だと言ったろ。アトネがやられるはずない」

「でも……」

「アトネは、君よりもずっと強い」


 大きな斧を背負ったアトネは確かに強そうだった。だが、敵の侵入口にアトネを配置するのは如何なものかとサルモネは顔を歪めた。

不穏な空気が肌を刺してゆく。


「空気が変わったの分かる? 」


 肌が電気に触れた時のようにピリピリする。サルモネはコクコクと頷くと、オズは上を指さした。


「え? 」


上を向くと黒い物体が二つ、ビュンッと勢いよく落ちてきた。スタッと上手く着地した真っ黒な猫のような何か。


「ひッ!? 」

「キャスパリーグだな」


月明かりに照らされるように二体はジリジリと近づいて来る。

巨体の猫の解像度が増す度にサルモネは足が震えが大きくなる。ひとかきで身体が引き裂かれそうな鋭い爪。


「ヴヴゥ……」


唾液が口から漏れ、獲物を見るような目で二人を見る。


どうしよう、どうしようどうしよう。


オズが隣にいるというのに堂々と立っていられない。情けなく瞳が震える。

隣のオズは揃っていた足を開き、腰を軽く沈めた。その動きは一瞬で、右腕が勢いよく突き出された時にはあっという間に二体は遥か向こうに寝転がっていた。


何があったのか分からず、目を見開いたサルモネの背中にオズは回った。


「さ、実践練習。やってみよう」

「え?! 嘘でしょ?!! 」

「大丈夫大丈夫」


大丈夫なはずが無い。サルモネは背後にいるオズにもたれ掛かるように後退りした。

 もたもたしている内にキャスパリーグは起き上がり、「ナ゛ァァァ」と野太い声を上げた。


「手を前に」


言われた通りにサルモネは腕を伸ばした。


「集中」


ぎゅうっと目を瞑る。


「唱えて」

「グリエ! 」


腹から声を出してカッと目を開くと、火柱が上に立ち上っていた。


「ちがぁう!! 何で上?! 」


サルモネは慌てて火を消して手のひらを胸の前で重ねた。


「考えたら分かるでしょ?! 判断ミスは死ぬ! 」

「いや、だって、上に出すやり方しか教わってないです」

「あぁもう! 上なんていつ使うんだよ! 」


 ギャイギャイと騒いでいるうちにキャスパリーグは地面に爪を食い込ませながら突進してきた。


「サルモネ! 」

「う、うわぁぁぁ!!! 」


なるようになれ! と両腕をキャスパリーグに向かって伸ばして叫んだ。

その時信じられないことに、グワッと火炎放射器のような勢いで炎が飛び出したのだ。

炎の飛び出す勢いで尻もちをついたサルモネは「え? 」と横たわるキャスパリーグを見つめた。苦しそうにもがき震えている。


「……え? 」


 驚いてオズを見上げるが「やれば出来るね」と笑うだけだ。


「あとは僕がやるよ」


 オズは二体に近づいていくと、手のひらをかざした。二体が起き上がろうと身体を起こした所で一瞬にして消えた。


「消えた…… 」

「元の場所に帰しただけ。 火傷を負ってるみたいだし、恐らく死ぬだろうからもうここを襲っては来ない」



「ご無事ですかー? 」


 パタパタと駆けて来たのはドッグドッグだ。後ろには何か動く物体を捕まえているアトネもついてきている。


「キャスパリーグが二体。サルモネが片付けてくれた」

「え? 」


目をまん丸にしたドッグドッグは信じられない、という顔をした。


「偶然です! 死ぬかと思いました」

「偶然だとしても凄いです! 」


ドッグドッグはサルモネの手を取りブンブンと手を振った。

褒められて悪い気はしない、サルモネは唇の端をあげて小さく笑った。


「おい! 離せ!」

「こっちは見ての通りカーバンクルと小さなキャスパリーグ数体でした」


 大きな耳の犬のような、ウサギのような小さな動物がジタバタと動いていた。

大きな目と、額に埋まった宝石のような石が光る。可愛らしい顔に反して牙を剥いてギィギィ唸っている。


「許さねぇぞ! 人間ども! 」

「どうやらコイツが指示役だったようだ」


ヌッとカーバンクルを突き出すと、ジタバタしながらシャーッと歯を剥き出しにした。


「可愛いですね」

「ふざけるな! この下等生物共が! 」


 サルモネは威嚇しても可愛らしい顔に笑ってしまう、それが癪に触ったのかさらに暴れ出す。


「サルモネくん、ちょっといいですか」


 ドッグドッグはサルモネの前に割り込むと、カーバンクルに顔を近づけた。


「……グルル」

「? 」


 低い唸り声が聞こえたかと思えば、カーバンクルは青い顔をしてしゅんと大人しくなった。


「よくキャスパリーグ数体でここへ乗り込んできたね」

「……そ、その声は、オズ? オズなのか? 」


 そういうとカーバンクルはアトネの腕にひしりとしがみついた。

冷たいオズの目がカーバンクルを見下ろす。


「き、聞いてない! オズウェルがいるなんて聞いてないぞ! 」

「僕がいようがいまいが君に勝ち目はなかったよ。結界が破れたからってアトネに打ち勝ったわけじゃない」


 オズは薄い唇をなぞるとドッグドッグを押し退けてカーバンクルに顔を近づけた。


「ここに僕の結界を張っておく。いいか? オズウェルの結界だ」

「……」

「手出しすればどうなるか分かるよね」

「わか、わかった。わかったから離せ! 」


 カーバンクルはアトネの手から無理やり抜け出すとひゅるりと月に向かって飛んだ。


「覚えてろ!! 」


そう言い残すとヒュンと勢いよく飛んでいってしまった。


「行っちゃったけど、いいんですか? 」

「えぇ、オズさんの名前を出しておけばしばらくは大丈夫でしょう」

「三人とも、ありがとう。私の不注意で呼び寄せてしまってすまなかったね」


思い返せば一瞬の出来事だったように思う。手こずる事無く、あれよという間に全てが終わっていた。


「いえ、アトネさんにはいつもお世話になっているので」

「アトネ、結界張っておくから手伝ってもらえる? 」

「あぁ」



「もう行くのか」


 アトネの小屋で一夜を明かし、朝方には目を擦るサルモネを引き連れて墓地を出ようとしていた。

床で寝たせいで腰が痛むサルモネとドッグドッグとは反対に「僕はベッドでしか寝られないから」と家主のアトネをソファで寝かせたオズはしゃっきりと背筋を伸ばしていた。


「あぁ、これからやる事が多くてね。久々に会えてよかった」

「アトネさん、お世話になりました」


 朝の冷たく澄んだ空気が頬をかすめる。

心をかすめ取るような綺麗な風が時々優しく吹く。


「サルモネくん、これから頑張ってくれ」

「あ、はい」

「私も彼女も君の味方だ。何かあれば訪ねてくるといい」


 アトネはマーリンの墓を背に優しく目を細めた。


「はい。ありがとうございます」


 味方だ。何があっても。帰る場所はここにもある。


「ま、オズに泣かされたら来るといい」

「泣かせないってば。行くよ、サルモネ」


 オズはサルモネとドッグドッグを引き寄せると「じゃあありがとう、アトネ」そう言ってブーツの踵をカツンと鳴らした。

すると筆で描かれるように地面に紋章が浮かび上がった。眩い光が地面から差し、三人を押し上げるように風が吹き上がった。


「うわッ」

「しっかり立っててね」


 グラグラと視界が歪み、アトネの表情さえも読み取れなくなった。揺らぐ視界の中、チカチカと邪魔をする白む星の隙間から何よりもはっきりと目が合った。


「……」


 黒い髪の少女だ。

ハッとしたときにはオズの家の前に立っていた。


「……あれ」

「はい着いたよ」


サルモネは目を見開いて脳裏に焼き付いたあの少女の姿を思った。

 

 





「まだ朝だが今日くらいはいいよな」


 アトネはマーリンの墓と肩を並べて彼女の好きだった酒を煽った。度数の高いきつい酒を二人分並べてアトネは嬉しそうに笑う。


「きっと君も会いたかったよなぁ」


 大人びた表情のマーリンが頷いた気がした。


「長い間ずっと待っていたんだよな。まぁ見守っていてくれよ」


 マーリンの分の猪口にカチンと合わせるとグイと酒を飲み干した。



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