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8 再会



「――久しぶりだねえ、ペスカを訪れるのは。四年ぶりだっけねえ?」


「そのぐらいかしら。まだこの子、生まれてなかったもの」


 腕の中ですやすや眠っている赤ん坊を愛おしそうに見つめながら、ナージャがエマの問いに答えた。


 あれから四年。兄のセヴィは一座の楽師ナージャと結婚し父親になった。初めての孫にトーヤもエマもメロメロで、ナージャが公演で演奏している間の子守役を二人で奪い合っている。


「アイナ、今回ペスカに呼んでくれたのは、あの時の行商人のダンだよ」


「えっ、あのおじさん?」


 御者台に座っていたアイナは振り返って、ナージャの隣に座っているエマに尋ねた。


「そうなんだよ。あれからアルトゥーラ国内も安定して、ダンはモラーノとアルトゥーラの国境を行き来してずいぶん儲けてるみたいでね」


「今回も結構、いい金額出して呼んでくれたんだよな」


 馬を御しながらセヴィが口を挟んできた。結婚してからはトーヤの後継者として一座を率いているセヴィ。金銭交渉なども任されるようになったので、こういうこともよく知っている。


「人気のアイナを呼ぶとあって、随分と弾んでくれたんだぜ」


「そうなのね。嬉しいな」


 アイナは、素晴らしい踊り子として世間からの評価が上がってきていた。芝居のほうも評判が良く、特に悲恋物を演じさせると女性客の涙が止まらなくなると言われている。そのため、いろんな国から公演依頼がひきも切らないのだ。


「あ、宿が見えてきたわ」


 四年前に泊まった懐かしい宿に着いた一行は、裏庭に馬車を回し、馬を繋いで荷物を解きにかかった。


「やあトーヤ、エマ! それにアイナちゃん!」


 噂をすれば、ダンが宿の前を通りかかった。


「わあ、おじさん! お久しぶり!」


「やあすっかり大人になったなぁアイナちゃん。あの時はまだまだ子供だったのに、今じゃ、麗しの舞姫と呼ばれてるじゃないか」


「やだ、おじさん。照れるじゃない」


 アイナはほんのり顔を赤らめた。昔は高い位置で髪を引っ詰めていたのに、今は鳶色の豊かな髪をハーフアップにし、ふわふわと背中に下ろしていて、すっかり若い女性らしくなった。桃のように染まった頬は乙女らしくとても愛らしい。舞台上の(あで)やかさと、こういう普段とのギャップが男性客のハートを射止めるんだろう、とダンは今回の公演の成功を確信して頷いた。


「今回は、アルトゥーラのほうにも宣伝しておいたからね。国境を越えてお客さんがいっぱい来るだろうよ。頼んだよ、アイナちゃん」


「ええ、頑張ります」


 にっこり笑って部屋に入って行くアイナの背中を見送りながら、見た目だけじゃなく中身も大人になったんだなぁとダンは思った。


(すっかりしおらしくなって。あの頃は王子様の話に夢中になる子供だったのになあ……)


「そうだ。アイナちゃん!」


 ダンは思い出してアイナを呼び止めた。


「なあに?」


「アイナちゃんが気にしてた王子様だけどね」


「……アルトゥーラの王様のことね? 何かあったの?」


「そうそう。あの王様は国民からの人気が高くてねえ。ワシは見たことはないんだけどもね、とにかく美しいという噂でさ。ひと目見てみたいと若い子たちはみんな言ってるよ。最近は、周りの国の王女たちからのラブコールが絶えなくて困ってるらしくてね。中でも、エルシアン王国の王女様が一番熱心で、いずれは婚約かって言われてるんだってよ。エルシアンも大きな国だからなあ」


「……へえ、そうなんだ。王様も大変なのね」


「おや、アイナちゃん、あんまり興味無さそうだね。前はあんなに気にしてたのになあ。もう王子様を夢見る年頃じゃなくなっちまったのかい?」


「だっておじさん、私もう十九よ。王様とのロマンスなんて夢物語なのわかってます。じゃ、私、荷物の片付けがあるから」


「ああ、またな。アイナちゃん」


 もっと興奮して話に乗ってくるかと思ったダンは少し残念だったが、いやいや、もういい人が身近にいて王子なんて関心がなくなったんだろう、とひとりで納得していた。そうでなければあんなに女性を夢中にさせるお芝居ができるはずがない。きっと、この四年の間にいい恋でもしたんだろう。


 一方のアイナは動揺を隠してサッと部屋に入り、後ろ手でドアを閉めた。ドアにもたれ、ドキドキする胸を押さえる。久しぶりにハクの話を聞いて、驚くくらい心臓が早鐘を打っていた。


「ハク、王女様と婚約するのね……」


 お世継ぎのこともあるし、結婚は絶対にしなければならない。それはわかってはいるけれど、こうして現実になるとやはり胸が痛んだ。


(私は、きっと一生結婚しないだろう。ハク以外の人を好きになるなんて考えられないもの。これからもずっと一座に居させてもらわなきゃね。私の居場所はここしかないんだから。私はお芝居に人生を捧げていくわ)




 ペスカでの公演は連日大盛況だった。ペスカだけでなく近隣の町、そして国境を越えてアルトゥーラからもたくさんの客が押し寄せた。ダンはホクホク顔で、立ち見券まで売り捌いていた。


 そしていよいよ最終公演日。相変わらず満員御礼の客を舞台袖から見ていた十五歳のミーナが、何やら騒いでいる。


「ねえねえアイナ、客席に、すっごいイケメンがいるよ。あんなカッコいい人見たことない」


 まさかハクでは、と一瞬期待したアイナだったが、ミーナの指差した客は黒髪の軍人だった。切れ長の瞳に薄い唇、舞台で女形をやらせたら映えそうな綺麗な顔立ちだった。


「本当ね。軍人さんが来てくれるなんて珍しいわ」


 アイナは一応そう答えたがそれ以上興味を引かれず、すぐに演技前の集中に戻っていった。


 最終公演は盛況のうちに無事終了した。出演者は、最終日だけはお客様から花やプレゼントを受け取れることになっている。アイナの前には特に長い列ができていて、なかなかその列が途切れなかった。客と握手をし、ひとことずつ話していくのだが、舞台の興奮冷めやらぬ客はついつい長話になってしまい、トーヤが割って入ってしぶしぶ次の客と交代するのだった。

 そしてようやく最後の三人になったが、なんとあの黒髪の軍人が並んでくれていた。


「素晴らしい公演でした、アイナさん」


 背の高い軍人は、近くで見ると本当に美しい顔だった。薄い唇に微かに笑みを浮かべている。


「ありがとうございます。あなたはモラーノの軍の方ですか?」


「いえ、私はアルトゥーラの王宮軍の者です」


 アルトゥーラと聞いて、アイナの胸はドクンと大きく鳴った。王宮軍であれば、ハクと面識のある人かもしれない。


「まあ、わざわざアルトゥーラから……。ありがとうございます。また機会があったら是非、観に来て下さいね」


「はい。それと……私の連れの者もあなたとお話がしたいと申しておりまして」


 彼の背後から、全身ヴェールを被った二人が現れた。頭から爪先まで全て覆っていて、僅かに目の部分だけレースになっていて前が見えるようにしてある。


「はい、ありがとうございます! あなた方もアルトゥーラからいらしてくださったんですね?」


 ヴェールの隙間から差し出しされた手と握手をすると、思いがけず強い力でグッと握られた。そして、小さいがよく通る声でこう話しかけてきた。


「アイナ! 会いたかった!」


(えっ。この声は……)


「ハク! ハクなの?」


「そうだ、ハクだよ! 覚えていてくれた?」


「会いに来てくれたのね? ありがとう!」


 嬉しくて思わず抱きついたアイナを、レイはヴェール越しに抱き締めた。トーヤや一座の面々がびっくりした顔でこちらを見ているがお構いなしだ。


(ハク……本当のハクだわ! この声、間違いない。夢じゃないのね)


 ハクがお芝居を観に来てくれた、そのことがアイナにはとても嬉しかった。今まで頑張ってきて本当に良かったと心から思えたからだ。


「アイナ、話があるんだ。少し出られないかな」


「大丈夫よ。もう公演は終わったもの」


「じゃあ行こう。もうお客もいないし、騒ぎにはならないだろう。アレス!」


 ヴェールを脱ぎ捨てながらレイが呼び掛けると、もう一人の連れが同じくヴェールを脱いだ。蒼い髪に金色の瞳のその男は、アレスだ。そしていきなり大きな蒼い龍に変化した。


「えっ……えーっ!!」


 一座の皆が驚いて声を上げた。人間が龍に変身するなんて、お芝居では演じていても現実にあるなんて思ってなかったのだから無理もない。


「きゃっ……ハク!」


「ダグラス、後はよろしく」


 レイがアイナをサッと抱き上げた。ダグラスは恭しく礼を取る。


「はい、陛下。どうぞごゆっくり」


 アイナを抱いたままレイはアレスに跨り、ゆっくりと月の輝く空へ上っていった。


「ア、アイナ!」


 トーヤとエマが心配して声を上げている。その二人にダグラスが何か話しかけているのが見えた。


「心配しないで、アイナ。あいつがちゃんと説明してくれるから。その間に少し空の散歩をしよう」


 アレスがぐんと高く上り、地上にいるみんなの姿が小さくなっていった。



 


 








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