6 戴冠の儀
ダグラスに呼ばれた神官長ゼフィールは、慌てて祭礼用である象牙色の衣服に着替えて現れ、暗い神殿に火を灯して回った。
王宮とは別棟にある神殿は、建国の神話に基づいて蒼龍――つまりアレストロンの大きな像を祀ってある。台座は高く、見上げる位置に祀られた青銅の像は龍型のアレスそっくりに作られ、羽根を広げたその姿は今にも飛び立たんとしている。
神官とはこの神殿の地下にある居住区で過ごし、時間の管理と星見の占い、王宮神事の取り仕切りなどを行う者たちだ。神事の中でも戴冠の儀は最も華やかで名誉ある儀式であり、この時期に神官長を務めることは、神官たちの密かな憧れと言ってもいい。
もちろん、十年前に就任した神官長ゼフィールも、レイ王子の戴冠の儀を楽しみにしていた。それなのに、あのクーデターが起こってしまったのだ。
あんな、エマーソンのような恥知らずの男に戴冠させるなど許されない。ゼフィールはもしそんなことになろうものなら、キッパリスッパリ神官長を辞める覚悟を持っていた。神官としては見上げた男である。
ただほんの少し、彼はお調子者なところがあった。そして見栄っ張りな面も持ち合わせていた。
そのため、王子が生きていたという朗報に顔を輝かせ、神殿に姿を見せたレイを涙ながらに歓迎したのも束の間、ゼフィールは急な戴冠式に不満タラタラなのであった。
「花飾りも、供え物も、何もありませぬ……寂しいではありませんか……」
「そんな物は必要ない。ただの飾りだろう。それに、アレスとの契約の儀式はもう済ませてある」
「なっ⁉︎ どこで済ませてしまわれたんですか? 儀式は神殿でと決まっておりまするに」
「しょうがないだろう。魔力が発現したのが遠い国の草原の真ん中だったんだし」
レイはふとそこで別れた鳶色の髪の少女のことを思い出したが、すぐに話に戻った。
「だから、あとはお前に宣言してもらって書類にサインするだけだ。王冠を頭に被せるパフォーマンスも必要ないからな」
「そんな……レイ殿下の戴冠式は、歴代王の中でも一番立派で一番豪奢なものにしたかったですのに……」
「それはお前の見栄のためだろう。いいから早く」
ぶつくさ言いながらゼフィールは祭壇の前に立った。祭壇のアレス像に向かって聖なる水と花びらを撒く。そして祈りの文言を唱え始めた。レイとアレスはその後ろに並んでひざまづいた。
「自分の像に祈るアレスとはなかなかシュールな画だな」
レイは隣に座っているアレスにコソコソと耳打ちした。
「はい……私も気恥ずかしいのですが、儀式化した方が威厳が出ると五百年前の王が決めたものですから」
ゼフィールがコホンと咳払いをして杖の先で地面を二回叩き、高らかに声をあげた。
「蒼き龍の御前にて我等は宣言する。ここにいるロスラーン・レイ・アシュランは蒼龍アレストロンと契約を結びアルトゥーラ王国の神聖なる王の地位を継承した。第五十代アルトゥーラ王に祝福が与えられんことを!」
そしてゼフィールは花びらを二人の頭上に撒いた。本来ならこのあとレイの頭に王冠を被せるという、神官長にとって最高の見せ場があるはずなのだが、それは夢と消えてしまった。
「ああ……我が一世一代の晴れの舞台よ……たくさんの閣僚・貴族・他国のトップが出席して、華やかな儀式になる筈だったのに……」
「ゼフィール。心の声が口から出てるぞ」
「お、おっと、申し訳ございませぬ。ではこちらに、サインをばよろしくお願いいたします」
サラサラとサインを済ませ、ここにロスラーン・レイ王子は第五十代アルトゥーラ王となった。
「おめでとうござりまする、レイ陛下。神官一同、陛下の御代をお祝い申し上げます」
「すまんな、ゼフィール。お前の晴れ舞台も必ず用意してやるから。……そうだな、例えば結婚式とか」
「そっ、それはありがたき幸せ! それならば、この老神官、それまで必ず長生きいたしまする」
レイは頼むぞ、とゼフィールの背中をポンと叩くとダグラスに声を掛けた。
「よし、終わった。ダグラス、行くぞ」
後ろに控えていたダグラスは、臣下の礼を取り恭しく応えた。
「はい。レイ陛下」
ダグラスの変化に、レイは一瞬戸惑いを見せた。
「む、……なんだかこそばゆいな。お前が私に敬語を使うとは」
「立場はわきまえておりますから。もうあなたは幼馴染みのレイ殿下ではなくなりました。この国の、大切な国王陛下なのです」
ダグラスの黒い瞳が細められる。これは、嬉しい時の目だ。
(うーん、敬語はちょっと寂しいが……私は王になったのだ。慣れるしかないな)
「よし、執務室で話をしよう」
「はい、陛下」
神殿を後にしたレイたちが王宮へと戻り執務室へ入ろうとした時、たくさんの侍女や護衛兵士達が集まってきた。瞳を輝かせ口々に祝いの言葉を述べる。
「陛下! ご即位おめでとうございます!!」
そしてその中から、レイの乳母であり王宮の侍女頭を勤めるマーサが飛び出してきた。
「レイ陛下! よくぞ、よくぞご無事でいらっしゃいました……」
「マーサ! 帰ってきたぞ」
両腕で抱きしめると、マーサはさらに号泣した。母を早くに亡くしたレイにとって、マーサは母親代わりであり、大切な女性だ。心配をかけたのだろう、以前よりも痩せた体が痛々しい。
「マーサ、つもる話もあるのだが、今はダグラスと話を詰めなければならん。何か、軽く食べられる物を作ってくれないか」
「……はい、レイ陛下! すぐに持って参ります」
マーサは泣きはらした赤い目のまま微笑むと、すぐに仕事モードに切り替え台所へと走って行った。
執務室に入ると、三人はソファに向かい合って座った。
「こんな柔らかいソファ久しぶりだな」
レイは子供がするように、軽くお尻を弾ませて柔らかさを確認していた。それを見たダグラスが呆れた顔をしている。
「一体、どこでどのような暮らしをしていたのですか? 忽然と姿を消してしまって」
「うん。姿を消したのは父の力だ」
「ゼン陛下の?」
「父の魔力の大きさは歴代の王の中でもかなり劣っていたのは知っているだろう? だが、魔力を利用して物の形を変えることには長けていた」
「そうだったのですか⁉︎ まったく存じ上げませんでした」
「誰にも見せていなかったからな。たとえ物の形が変えられても、アレスに与える魔力が弱いことは変わらん。意味のない力だと思っていたようだ」
「物の形を変える、というのは具体的にはどういう?」
「例えば、だ」
レイはソファに置いてあるクッションを手に取って、呪文を唱えた。すると、クッションは犬のぬいぐるみに変わったのだ。
「ええっ⁉︎ こんなことが出来るんですね」
「ああ。父はこの魔術の研究をしていたようで、私に呪文を教えてくれた。魔力が発現したらやってみるといい、と」
「ではまさか、さっき犬だったと言っていたのは……」
「父が最期の力で、私を犬の姿に変えたんだ。しかも、王宮の外にまで瞬間移動させて」
「そうだったんですか……犬になっていたならば、いくら捜索しても見つからないわけですね。……それにしても、随分と大胆な賭けだったのでは。もしかしたら野犬に噛まれて死んでしまう可能性もあったでしょう」
「ああ。だが幸い、優しい人に拾われて、ずっと大切にされていた」
この台詞を聞いたアレスは、何も言わず微笑んでいた。
「それは本当に良かった。アルトゥーラの大恩人ですね、その方は」
「そうだな」
レイも、遠くを見るような目をして微笑んだ。
その時、ノックの音がして、マーサが湯気の立つスープとパンを載せたトレイを持って入ってきた。
「さあさあ、まずは腹ごしらえをなさって下さいませ。大事なお話はそれからですよ」
「ありがとう、マーサ。ああ、いい匂いがする。ダグラス、お前も一緒に食べよう」
「はい。懐かしいですね、こうしてマーサの作ったスープを一緒に食べるのは。たくさん遊んで空腹になった時によく、出してもらいました」
「まだまだありますからね。たくさん召し上がって下さい」
その夜は、ずっと今後の国の立て直しを話し合い、なんとか方向性が決まった時には夜が明けていた。