番外編 シンの探し物
レオノール・シン・アシュランは十五歳になった。魔力が発現するまであと三年。それと同時に結婚するために、婚約者を決める歳になった。
だがシンは悩んでいた。
「婚約者って、どうやって決めるのですか?父上」
「お前が好きだと思う人を選べばいいんだぞ」
「母上はどう思いますか?」
「そうね、シン。あなたがずっと一緒にいたい人を選びなさい」
二人はいつもそれしか言わない。
そもそも、好きな人ってどんな人のことなんだろう。シンは両親が好きだし、守護龍のアレスとコウも好きだ。父上の盟友ダグラス・カート宰相も母上の元護衛隊長エレンも好きだし、二人の子供で幼馴染のクラウディアも好きだ。そういう好きとは違うんだろうな、と思う。
シンの母は平民だった。芸人一座の舞姫だった母とアルトゥーラ国王の父との身分差を越えたロマンスは、物語となってたくさんの人に読まれ、親しまれている。
障害を乗り超えた愛なんてものを生まれた時から刷り込まれているシンは、そうでなければ愛じゃない、みたいに思っている。
父と母はいまだにとても仲がいいし、愛し合っているのが伝わってくるのだ。自分もそういう相手を見つけなくちゃと思っているうちに十五歳になってしまった。
「なあアレス、どうすれば真実の愛って見つかるのかな」
シンは神殿でアレスに尋ねた。アレスは優しく微笑み、
「そうですね。探している間は見つからないのかもしれませんよ」
と言った。
「今までに出会った中で考えるとクラウディアが一番なのはわかってるんだ。周りのみんなもそう思っているみたいだし。だけど、クラウディアはずっと一緒に育ってきて、なんだか家族みたいなものなんだよ」
「妹みたい、ですか?」
「うーん、確かにクラウディアは一つ歳下だけど、しっかりしてるからむしろ姉みたいな感じだな」
シンは天真爛漫な性格だが、クラウディアは両親ともに軍人なので年齢よりもしっかりとして大人びている。父に似た面差しは表情が読み取りにくく、あまり知らない者が見ると無愛想にも思える。
「まあ私はクラウディアが実は笑い上戸だったり、ちょっとおっちょこちょいなのも知ってるから、妹みたいな感じもするけどな」
「そうですね、わかりにくいけど実は明るい性格ですよね」
「うん。だから、クラウディアと結婚することになっても別に構わないんだけど、でもやっぱり、父上みたいに運命の恋をしてみたいんだ」
「運命の恋は、じっと王宮にいても向こうからやって来たりしませんよ」
「う。それもそうだなぁ。」
「少し、街に出てみますか?」
「えっ! いいのか?」
「ええ。今日はコウが王宮の護りをしてくれていますし、私が一緒に行きましょう」
「やった! 私一人で街に出るのは初めてだ。もしかしたら、そこで運命の人に出会えるかもしれないな!」
「街の人といろいろお話してみましょう」
アレスはシンにショールを被せて銀色の髪を隠した。
「やっぱりこれは隠さなきゃダメか」
「ちょっと目立ちますからね。念のためです」
まあいいや、とシンは王宮の門を出て真っ直ぐに伸びる大通りをアレスと歩いて行った。
祭の時には毎回、両親と市場の屋台で食事をする。シンはこれがいつも楽しみだ。クラウディア一家も一緒だし、時々はカストール王国の双子の王子、ヒューイとリュカもついてくる。ワイワイはしゃぎながら食べる食事は本当に美味しい。
市場は今日も賑わっていた。アレスは行く先々で人々から声を掛けられる。
「アレス様! 今年も豊作になりましたよ! ありがとうございます」
「水が豊かにあるというのは本当に幸せなことですよ」
「今年の芸術祭も、宿がもう予約で満杯ですよ! ありがたいなあ」
みんな口々に感謝の言葉を言ってくる。
「アレスは人気者だな」
「違いますよ、シン様。確かに私は水や大地を豊かにする力がありますが、それを生かしているのはあなたのお父様ですよ。レイ陛下がしっかりと統治なさっているからこそです」
「そうか、そうだな」
シンは、いずれ自分が王になった時、国民からこれだけ感謝してもらえるだろうか?と考えていた。
その時、老婆が道端で物乞いをしているのが目に入った。
「アレス、あの人は?」
「住む家が無いのでしょうか。ちょっと話を聞いてみましょう」
アレスは老婆に近寄り、声を掛けた。
「もしもし、あなたはお家が無いのですか?」
老婆は力なくアレスを見上げた。
「お優しい方、ありがとうございます。家は町外れにあるので雨露はしのげます。ただ、畑仕事をする体力がもう無く、売るものも無くなったのでこうして人々のご慈悲をいただいて暮らしているのでございます」
「身寄りがいないのですか?」
「息子がおりましたが、二十年前のクーデターの折に死んでしまいました。息子はまだ結婚をしていなかったので、私は一人きりになってしまいました」
「そうだったのですか。息子さんは何をしてらっしゃったのですか?」
「王宮で兵士をしておりました」
「それならば遺族年金が貰えるはず。手続きはしていないのですか」
「私は字が読めませんので」
アレスはシンの方を振り向いて言った。
「シン様、この方の困窮はあのクーデターが原因です。今から役所へ行き、代わりに手続きをしてあげましょう」
「う、うん、わかった」
アレスは老婆を連れてシンと共に近くの役所へ行った。そこでいろいろな手続きをし、老婆は無事年金が貰えることになった。
「ありがとうございます、ありがとうございます」
老婆は何度も何度もお礼を言って帰って行った。
「なあアレス。まだまだ、この国には支援が行き届いていない人がいるのだな」
「ええ、国は豊かに栄えていますが、どうしてもそこからこぼれてしまう人々もいます。レイ陛下はとても良い統治をなさっていますが、全ての国民が豊かになるにはまだまだ時間がかかるでしょう。シン様にも、そういう人々にも目を配りながら統治出来る方になっていただきたいです」
「わかったよ、アレス。すごくよくわかった。私は、真実の愛なんて浮かれたことを言ってる場合じゃないんだな。国のためになる女性を選ばなくちゃいけないんだ」
アレスは優しく微笑んでシンを見つめた。
「だとしたら、やはりクラウディアだろうな。正しい心の持ち主で、魔力もきっと持っているだろうし、私をしっかりと支えてくれると思う」
「クラウディア様のお気持ちはどうでしょうね」
「そうか。そうだな、私がよくてもクラウディアがどうかわからないな。確かめてみないと……」
王宮に帰ったシンを、予期せぬ人物が待っていた。
「ヒューイ! どうしたんだ?」
「やあシン、突然遊びに来て申し訳ない」
「いや、私は全然構わないぞ。ところで一人か? リュカは?」
「リュカは、カート宰相のお屋敷に行っているよ」
「何しに行ったんだ?」
「クラウディアがまだ君と婚約していないなら申し込むんだって張り切ってたぞ」
「えっ! リュカがクラウディアと?」
「ああ。前からクラウディアのことが好きだったんだけど、君の婚約者になる可能性が高いから諦めてたんだよ。でも、十五歳になっても君が申し込んでいないようだから、チャンスがあるかもってね」
シンは目の前が一瞬暗くなった。クラウディアがリュカと? 私の側でなく、リュカの側で笑うのか?
なんてことだ。ずっと家族みたいだと思ってた。そして、さっき国のために一番ふさわしいのはクラウディアだと考えた時も、愛してるとは思っていなかった。
なのに、リュカがクラウディアと結婚するかもしれないと思った時に、ものすごい衝撃を受けた。
駄目だ、クラウディア! 君は私の側にいてくれなくちゃいけないんだ。
シンは踵を返すと、アレスを呼んだ。
「すまない、アレス! クラウディアの所へ連れて行ってくれ!」
「御意」
アレスは龍に姿を変え、シンはその背中に乗って飛び立って行った。
カート宰相の屋敷の庭に降り立つと、クラウディアの名を呼びながら走った。すると、中庭のベンチに座るクラウディアとリュカが、驚いて立ち上がった。
「シン?!」
「クラウディア!」
シンはクラウディアに近寄り、その手を取った。
「クラウディア、君はリュカのことが好きなのか?」
「シン、何故そんな事を訊くの?」
「やっと気付いたんだ。君のことが好きだ。リュカにも、誰にも渡したくない」
シンはクラウディアの手を取ったまま跪いた。
「君がリュカのことを好きなら諦める。だが、私のことを少しでも好きだと思ってくれるなら、私と結婚してくれないか」
クラウディアは唇を震わせながら言った。
「シン、私でいいの?」
「君がいいんだ」
クラウディアは涙をこらえながら
「わかりました、お受けいたします」
と返事をした。
「ありがとう、クラウディア!」
シンは立ち上がり、クラウディアを思い切り抱き締めた。すると、クラウディアの後ろにいたリュカと目が合った。リュカはなぜか嬉しそうに笑っていた。
「済まない、リュカ。君の邪魔をしてしまった」
「構わないよ、シン。元々、これは僕とヒューイの計画だったんだ」
「計画?」
「クラウディアはずーっと君のことが好きなのに、君があんまり鈍感だからさ。気持ちを確かめたくてひと芝居うったんだ。もちろん、クラウディアには内緒だけど」
「そうだったのか?!」
「君が真実の愛とやらを夢見てて、友人としてしか見てもらえないことをクラウディアは悩んでいたんだよ」
「ずっと悩んでいたのか? クラウディア。気付いてやれなくて、ごめん」
その言葉を聞いた途端、クラウディアの目からポロポロと涙が溢れて止まらなくなった。
「ああ、どうしよう、クラウディア、泣かないで」
焦ってアタフタしているシンに、リュカは
「僕は先に王宮に戻っているから、ちゃんと泣き止ませるんだよ」
そう言って立ち去った。
シンは、今度はそっとクラウディアを抱き締め、頭を撫でた。
「クラウディア、君ってこんなに華奢で小さかったんだなあ」
クラウディアはまだ泣いている。
「君の側には私がいたい。これからもずっと。私と、幸せな国を作っていこう」
クラウディアが涙に濡れた顔を上げた。シンは細い顎に手をかけ、優しく口づけた。
もう、家族でも友達でもない。目の前にいるのは、愛する女性だ。
「真実の愛、ちゃんと見つけたよ」
もう一度クラウディアを抱き締めた。
空の上では、アレスが満足して二人を見つめていた。