44 新たな契約
いよいよ、明日はラムダスの森に行ってアイナとコウの新しい血の契約を結ぶ。コウはワクワクしているようだが、アレスの方は少し沈んでいるようにも見えた。
「コウ、ちょっと神殿に行ってきますね」
「あ、はい、行ってらっしゃい」
アレスの後ろ姿を見ながらコウは少し不安を覚えた。
神殿に着くとアレスはじっと考え事をしていた。かなり長い時間そうしていたが、ようやく立ち上がったアレスにコウが声を掛けた。
「アレス」
「コウ! ここにいたのですか? いつから?」
「ずっといたわ。なんだか、アレスの様子がおかしかったから。どうしたの? もしかして、私とずっと一緒にいるのが本当は嫌なんじゃないの?」
少し涙ぐんだコウが悲しげに言った。
「コウ! 違います。私もコウと一緒にいたい気持ちは同じです。ただ……」
アレスは言葉を切り、空を見つめた。
「アレス、何か隠してるなら言って。私たち、結婚するって訳じゃないけど……夫婦みたいなものでしょう? 何でも、言って欲しいの」
「コウ……」
アレスは意を決したようにコウを見つめた。
「コウ、今から言うことはアイナ様にも陛下にも言わないでくれますか?」
「え? ええ、もちろん、必要ならば」
「では話しましょう。実は、私とガイアス王の間にはもう一つ、契約があるのです」
「名前の契約と、血の契約。それ以外にってこと?」
「そうです。ガイアス王は、ご自分の子孫に私との契約が続くように血の契約を結ばれました。そして同時に、契約解除の契約も結んだのです」
「契約解除の契約? それ、どういうこと?」
少し難しい話になってきた。コウはちゃんと理解しようと、ひとつひとつの言葉をしっかり頭の中で繰り返した。
「遠い先に、子孫が悪い心を持って生まれた時。私の力を悪用し、悪事を働こうとするかもしれない。私がそう判断した時は、契約解除することになっています」
「契約解除って、私たち精霊のほうからそんなことできるの?……どうやって?」
「私は、悪い心を持った王を殺すという役割をガイアス王から与えられています」
「え……」
人間との契約は人間が死なない限り破棄することはできない。そう思っていたコウはひどく驚いた。
「つまり、私は王の暴走を止める安全装置としての契約も結んでいるのです。万が一、シン殿下にその兆しがあった場合には私は殿下を殺さなければならない。コウの主人でもある殿下を」
「……」
「このことは歴代の王にも言っていません。しかし、ガイアス王の子孫はみな、素晴らしい心の持ち主だったのでこの契約は未だ実行されたことはありません。だがこれから先も続くかどうかはわからない。その時、私はコウから主人を奪わなければならないのです」
「重い役割ね……主人を殺すなんて」
「これは私の心にだけ秘めておくつもりでした。コウに、こんなこと知らせたくはなかった」
目を伏せて辛そうな顔をするアレスの手をコウはギュッと握った。
「それは違うわ、アレス。しんどいことは二人で分け合っていけばいいじゃない。陛下とアイナの子孫ならきっと大丈夫。そうならないように私たちが見守っていきましょう」
「そうですね、コウ……ありがとう。コウがいてくれて良かった」
アレスもコウの手を握り返し、微笑んだ。
「アレス。もしもそんな時が来たら、私たち、主人亡きあとどうなるのかしら」
「わかりません。精霊の世界に一緒に戻れたらいいのですが、戻り方がわからないのです」
「また別々の主人の所に行くようになるの? それだけは嫌だわ。アレスと離れたくない」
「ええ。それを考えると辛いのですが、今はガイアス王の子孫の力を信じていくしかありませんね。それにロビンが言っていたように、私たちもいつかは消えてしまうのでしょう」
「アレスと離れる前に、一緒に消えてしまえたらいいな……」
コウはそっとアレスに寄り添った。
次の日、一行はラムダスの森に向かった。シンはレイに抱かれてアレスに乗って空を飛び、喜んではしゃいでいた。湖に着くと、アイナはシンの頬にキスをしてレイの胸に託した。
「じゃあレイ、シンを抱っこしていてね」
「ああ。アイナ、頑張れよ」
アイナはにっこり微笑んだ。
「さあ、やりましょうか。文言は覚えたわ。コウ、ここに来て」
「はい」
アイナはひざまづいたコウの頭上に手をかざし、文言を唱え始めた。
すると二人は光に包まれ、金色の円陣が二人の周りに現れた。そのままアイナが全ての文言を言い終わるまで円陣は消えなかった。そして、シンの身体もレイの腕の中で金色に光り始めた。
やがて静かに光が消えた。
「契約は、成ったようです」
アレスが言ったその時、再びアイナが金色に光り始めた。
「えっ?」
何も言っていないのに、と驚くアイナの後ろにティナが浮かび上がった。そして、
――アレスよ。ここへ来なさい――
ティナの声がした。
「私ですか?」
アレスが言われた通り一歩前に踏み出すと、ティナが何かを唱え始めた。
すると金色の円陣が現れ、アレスとコウの二人を取り巻いた。そして、その金色の光はティナと共に空へ消えて行った。とても、不思議で荘厳な光景だった。
やがて全ての光が消え、アイナはふわっと崩れ落ちた。
「アイナ!」
シンを抱っこしていたレイの代わりに、アレスがアイナを倒れないように支えた。
「アイナ、大丈夫か!」
アイナは目を開けてレイを見た。
「大丈夫よ、レイ。急に力が抜けただけ」
「ものすごい魔力を感じたぞ。随分力を使ったから、疲れたんだろう。しばらく休むといい」
レイはエレンにシンを預け、アイナを抱いて湖のほとりに敷いておいた毛布の上に寝かせた。
「アイナ様、ありがとうございました」
「アイナ、ありがとう……」
二人の龍は泣きながら礼を言った。
「泣かないでよ、二人とも……。私も嬉しいんだから。これで、ずっと一緒にいられる」
「はい。本当にありがとうございます」
コウがアレスに寄り添い、二人は抱き合った。血の契約が無事完了し、アイナも無事だったことに安堵していたが、それだけではなかった。
ティナが現れ、古い言葉で唱えた文言をアレスとコウだけは理解していた。ティナは、二人が精霊の世界に戻りたいと思った時、一緒に戻れる道を作ってくれたのである。
その道を示す円陣を作るためにティナは力を使い果たした。そして空へと消えていったのだ。
――ティナ、ありがとう。これで私たちはこの世界でも精霊の世界でも一緒にいることができる――
きっと、主人を殺す日なんて来ないだろう。レイとアイナの子孫に悪い心の王など出てくるはずがない。だがいつか遠い未来、精霊が必要とされない世界がやってくる。その時は、手を取り合って精霊の世界へ戻ろう。
二人の龍は希望を胸に、新しい契約の下、永遠の幸せを手に入れた。