30 貝殻の子守歌
部屋に閉じ込められたアイナは、懸命に窓を開けようとしていた。しかしいくら力を入れてもやはり、びくともしない。
「魔力を込めてもダメかな」
手のひらに魔力を集め、窓を思い切り引いたがやはり少しも動かなかった。
「何とかしてここから出なきゃ」
窓ガラスに顔をつけて外を見ていると、通りを行くエレンの姿が見えた。
「エレン! エレン、私はここよ!」
窓をバンバンと叩き、声を上げたが気づく様子はない。エレンは全ての店を覗き、聞き込みをしているようだ。この宿にも入ろうとしていたが、ドアが開かなかったのでぐるっと回って窓を覗きに来た。
「エレン!」
窓の向こう、アイナと向かい合う形でエレンがいる。それなのに、エレンの目にはアイナが映っていないようだった。目をキョロキョロと動かし中の様子を伺うと、立ち去ってしまった。
「行ってしまったわ」
アイナはがっかりしてベッドに座り込んだ。この宿は切り離された空間にあると言っていた。外からは中の様子が見えないのかもしれない。
「ここで百年も過ごすの……?」
思わず震え上がった。もしそんなことになったら、気が変になってしまうかもしれない。
「……もしかしたら、アッシュもそんな気持ちなのかしら」
十歳で成長が止まってしまったアッシュ。周りの人が成長していく中、彼はいつまでも子供のままだ。自分だけが取り残され、周りの人間は年老いて先に死んでしまうというのは想像しただけでも恐ろしい。
「五百年という長い時を、あの二人はどう過ごしてきたんだろう」
アイナはアッシュを可哀想に思った。しかし、だからと言って彼らと一緒に旅をする訳にはいかない。
「私はハクの所に戻るのよ。やっぱり、どうにかしてアッシュに術を解いてもらわなくちゃ」
それにはまず話をしなければいけない。一緒に旅に出ることは絶対にしたくないが、過去見をすればもしかしたら解放してくれるかもしれない。
アイナはドアの隙間から大きな声を出した。
「ねえ、アッシュそこにいる? 私、過去見をやってみるわ」
(反応するかな……)
しばらく待っていると、足音が聞こえてきた。鍵が開けられ、アッシュとロビンが入ってきた。
「気が変わったの? やってくれるんだね」
「ええ。できるかどうかわからないけど、頑張ってみる」
アッシュはポケットからペンダントを取り出した。それは小さな巻貝で、白地に七色に輝く模様が入っていてとても美しかった。
「綺麗な貝殻ね。これは、いつ頃ご両親から頂いたものなの?」
「僕が四つのころだと思う。砂浜で拾って、大事に持って帰ったら母がペンダントにしてくれた」
アッシュは愛おしそうに貝殻を見つめた。
「優しいお母様ね」
「だと思いたい。でも……」
一旦言葉を切って、また続ける。
「僕がロビンと契約して連れて帰った時、両親は気味悪がって受け入れてくれなかった。僕の国では、魔力のある者は悪魔の使いと言われているんだ。だから僕は家を出た。それきり、一度も会っていない」
アッシュは前を向いていたが、その目はどこか遠くを見ているようだった。
「十歳でご両親と別れてしまったのね……」
「別にそれはいいんだ。ロビンもいたし、一人じゃなかったから。だけど五百年も経つと、故郷を忘れてしまった自分がいる。貝殻を見ても親の顔も声も思い出せないんだ。最後の記憶は両親に拒絶されて家を出た時のこと。それまでに楽しい思い出があったのか無かったのかすらわからないんだ」
「だから私に過去を見て欲しいというのね」
「アイナ様、巫女でいらっしゃいますよね? 黒龍の過去を見せた時に感じました。私は時間を操る霊亀ですが、過去を遡ることはできません。ただ、過去を見る巫女の力を増幅させることはできると思います」
「待って、ロビン。私は巫女ではないわ。霊が見えたことだってないし」
「そんなはずありません。今もあなたから巫女のオーラを感じます。――いや、ちょっと待って下さい」
ロビンは、アイナをじっと見た。
「あなたに巫女が重なって見える。もう一人のあなたが、巫女なのです」
(もしかしてティナ? ……あり得るわ、彼女は古いサンバルの王女で、魔力があった。巫女としての能力もあったのかもしれない)
「だからきっとできるはずです。やってみて下さい」
「わかったわ。やってみる。その代わり、過去を見ることができたら、ここから出して欲しいの」
「そんなに、僕のことが嫌? 僕と一緒に旅をしてくれないの?」
「アッシュ、あなたのことが嫌とかじゃないの。私はハクを愛しているのよ。ただ彼の元に帰りたい、それだけなの」
「……わかったよ。本当にできたら考えてみる」
「考えてみる、じゃ駄目よ。約束して。でないと、やらないわ」
アッシュはしばらく考えていた。だが今すぐ過去見をしたいという欲望が勝ったようだ。
「……わかった。約束する」
「絶対よ。じゃあ、ペンダントを貸して」
アイナは貝殻を両手を重ねて持ち、胸に当てた。ロビンがアイナの背中に手を当て、念を込め始めた。アイナも貝殻に気持ちを集中させる。――すると。
頭の中をものすごいスピードで映像が流れていく。時を遡っているようだ。それと同時に自分がこの貝殻に同化していくような感覚になり、やがて映像が止まった。
「父さん! 母さん!」
アッシュが叫んだ。アイナの周りには浜辺が映し出されていた。まるでアッシュやロビンもその場にいるような、臨場感のある映像が空中に浮かんでいた。
浜辺では黒い髪の父親らしき人がニッコリ笑っていて、その横には、鳶色の髪に薄い緑色の瞳の女性がいた。
「アッシュ、綺麗な貝殻拾ったねえ」
「うん、これが一番綺麗でしょ? 僕の宝物にするんだ」
「今日は魚も沢山獲れたから、ご馳走だぞ」
「やったあ、さすが父さんだ!」
「じゃあ帰りましょう、アッシュ、おいで」
そうしてアッシュと母親は手を繋いで家に向かって歩いた。
父親は魚を売りに出掛け、母親は食事を作り始めた。その横で貝殻を手に持ってアッシュは遊んでいる。
「随分気に入ったんだね、その貝殻」
「だって、綺麗なんだもの。ずっと見ていたいよ」
母親は、貸してごらん、と言って貝殻に紐を付け、アッシュの首に掛けてくれた。
「ほら、こうするといつも一緒でしょう」
「ありがとう、母さん!」
とても優しい笑顔の母親……そして、次に場面は夜になっていた。アッシュを寝かしつけようと子守歌を歌っている母親。反対側には既にいびきをかいている父親。もう一度母親のほうを向くと、ニッコリ笑ってくれた。そしてアッシュは安心してゆっくりと眠りに落ちていった。
そこで映像は止まった。アイナは自分の意識が貝殻から戻ってきたことを感じた。
アッシュを見ると、何も言わずただ涙を流している。ロビンは静かに言った。
「ありがとうございました」
「ロビン。これで良かったのかしら?」
「はい。ここまで詳細に見せて貰えたのは驚きです。確かに、アッシュ様のご両親でした」
アッシュはまだ、泣き続けている。アイナは今し方聞いた母親の子守歌を歌ってみた。初めて聴いたメロディだが、東の国の歌だろうか。やけにもの悲しく、耳に残る歌だったのだ。
アイナが歌い始めるとアッシュはびっくりしたようにアイナを見た。だがやがて目を閉じて、じっと聴き入りだし、歌が終わってもしばらくそのまま動かなかった。
「……アイナ。父さんと母さんのこと、思い出せたよ。ありがとう」
「とても幸せな家族だったわね」
「ああ。幸せだった。僕は確かに愛されていた、そのことを思い出したよ。子守歌も……懐かしかった」
アッシュは再び目を閉じ、ソファーに深く持たれ掛かった。
「アイナ、もう一度だけ歌ってくれないかな。そうしたら、……君を帰すよ」
アッシュの身体から攻撃的な気配が消えた。この言葉は本心からだと思えた。
「ありがとう、アッシュ」
アイナは再び、心を込めて歌った。さっきよりも伸びやかに、優しげに。
目を閉じて聴いていたアッシュは、そのまま眠ってしまったようだった。
「アッシュ様……眠ってしまわれたようですね」
「そうね。しばらく眠らせてあげましょうか」
「よろしいのですか? 一刻も早く帰りたいのでは」
「もちろんそうだけど、こんなに安らかに眠っているアッシュを起こすのも可哀想だわ」
すうすうと健やかな寝息が聞こえてくる。
「ありがとうございます。実はアッシュ様、近頃あまり眠れていないのです」
「どうしたの? 体調でも悪いの?」
「はい……。実は寿命が近づいているのです」
「ええっ? 本当?」
「はい。私と契約した人は長生きするとはいえ、大体五百年で寿命を迎えます。アッシュ様は今五百ニ十歳。本来ならもう、命が尽きていてもおかしくないのです」
「そうなのね……それなのにこんな大掛かりな術を掛けて、身体は大丈夫なの?」
「ええ、宿を丸ごと時間を止めるのはかなり体力を使います。だからあなたの前では元気そうに振る舞っていましたが、別室ではずっと休んでいました」
よく見ると、顔色もあまり良くないようだ。
「アッシュは、私があなたたちと行くと言ったらどうするつもりだったの?」
「アイナ様を私の新しい主人にするつもりだったと思います。三人で旅をして、自分が途中で死んだらあなたに引き継げるように」
「そんな。どうして私に?」
「さっきの映像でお分かりでしょう。アイナ様は、お母様に似ているのです。髪と目の色が同じで、笑顔の優しい所も。自分でも気付かないうちに、お二人を重ねていたんだと思います。だから、一緒に最後の旅に出たかったのではないかと」
アイナは、アッシュの髪を優しく撫でた。
「ロビン、アッシュはあなたのことを心配しているのね」
「はい。私が次にどんな主人に契約されてしまうかをとても心配していました。今、精霊を見ることができる人は少なくなっています。そんな中、もし悪い人間に契約されてしまったらどんなことになるか。カストール王がいい例でした。だから、黒龍を封印したあなたなら……私を託してもいいと仰ったのです」
アイナは、アッシュの疲れた顔を見た。十歳の可愛い子供のはずなのに、眉間に苦労が刻まれている。このまま、この子を置いていくことはできない。
顔を上げ真っ直ぐにロビンの目を見てアイナは言った。
「ロビン、一緒に王宮に行きましょう」