25 黒い龍 5
広場は、この小さな王都のどこにこんなに人がいたのかと思うくらいごった返していた。だがそのおかげで、アイナたちは怪しまれることなく潜入することができた。
人々が口々に話しているのに耳を傾けてみると、どうやら王宮からお触れが出ていたらしい。
『バルディス王が直々に罪人を裁くので正午に王宮広場に集まるように。来ない者は死罪にする』
レイの断罪をパフォーマンスとして国民の前で披露したいのだろう。集まらねば殺されるかもしれないとあって、王都の民は渋々集まってきたようだ。
「ごめんなさい、通して下さい」
アイナは必死に人混みを抜けて一番前に出た。そこには、龍の姿になったアレス、そしてレイが立っていた。二人とも石のついた鎖を首に巻き付けられ、レイはさらに後ろ手に縛られていた。
(ハク! まだ無事だった、良かった……! でもこんな縛られた姿で……ひどすぎるわ)
少し離れた所に黒髪に金色の瞳をした男が険しい顔つきで立っている。首には薄い黄緑色の大きな石の首飾りをしていた。
「黒龍だ」
コウが言った。
「あの男は黒龍だ。くそう、あいつ、なんでカストール王なんかに従ってるんだ」
その時、ラッパの音が高らかに鳴り響いた。まるで祝い事が始まるかのように。
「時間がきた。カストール王がお出ましになる。皆、拍手で出迎えよ」
兵士の命令により、人々は仕方なくといった感じで拍手をし始めた。するとバルコニーにカストール王バルディスが出てきて、その拍手に応えるように手を振った。
バルディスはでっぷりと太っていて顔は脂で光っている。夕べの深酒が残っているのか、鼻も頬も赤く染まっている。似合わない、きらびやかな衣装に身を包み、沢山飾り付けた勲章が身体を動かす度にジャラジャラと鳴っていた。
「皆の者、聞くが良い」
バルディスは精一杯の威厳を込めて仰々しく話し始めた。
「今ここに、蒼龍を不当に扱った罪人を処刑する」
人々はざわめいた。蒼龍の持ち主がアルトゥーラ王であることなど、一般庶民でも知っていることだ。
バルディスは構わず続けた。
「蒼龍は千年以上この男にこき使われ、もう辛い、虐げられるのは嫌だと言っている。そこで私が正義の鉄槌を下し、蒼龍を解放してやろうと思う。皆の者、良く見ておくがよい」
バルディスはバルコニーから部屋へ引っ込んだ。おそらく広場に出てくるつもりだろう。
アイナはハクに必死に合図を送った。
(ハク! ここよ! 今助けるわ!)
(アイナ! 何故ここへ? )
アイナに気がついたレイは驚きながらも目で合図を送り、後方を見るように示した。
よく見ると黒龍の後ろに控えている兵士達のうちの一人はダグラスだった。
(ダグラス! ここまで潜入してくれていたのね)
エレンもダグラスと合図を送り合っている。
そこへ、バルディスがふんぞり返って現れた。ゆっくりとレイの前に進み、背の高いレイに負けないように顎を突き出して笑い声を上げた。
「ふはは、レイよ。残念だったな。お前の軍隊もここまで来るにはあと二日はかかろう。今お前を助ける者はいない。軍隊が着く頃には、アルトゥーラの王は私に変わっておるわ」
レイは肩をすくめ、大袈裟にため息をついてみせた。
「子供の頃から馬鹿だとは思っていたが、本当の馬鹿だな。私を殺したからといってお前がなぜアルトゥーラの王になれるのだ。誰もお前を王とは認めない」
「知りたいか? なら教えてやろう。王の証である蒼龍を、私が継承するからだ」
言うと同時にバルディスは手をさっと振って合図をした。すると、黒龍の背後にいた兵士が、エルミナ石のついた鎖を素早く黒龍の首に掛けた。
「な、なんだ⁉︎ なぜ私にこの鎖を掛ける?」
黒龍が叫んだ。
「お前がいると邪魔なのだ。蒼龍を解放するつもりはないからな」
「どういうことだ!」
「こいつを殺して蒼龍を私の下僕にするのよ。この私が、アルトゥーラ王となるのだ」
「おのれ、騙したな。蒼龍を解放すると言ったではないか。闇に消されたいのか」
「やれるものならやってみろ。そのエルミナ石の封印を破れるものならな」
「くっ……力が」
黒龍は膝をつき、そのまま龍の姿に戻ってしまった。無念そうに唸り声を上げる。
「バルディス……許さぬ……」
「ふははは、レイを殺し蒼龍を手に入れたら、お前も私の下僕にしてやろう。それまで石とともに眠っているがよい」
レイとアレスの周りを、弓矢や槍を持った兵士が取り囲む。武器で攻撃を浴びせ、弱ったところをバルディス自らとどめを差す算段なのだ。飾りのついたご自慢の剣を勿体ぶった仕草で鞘から抜き、魔力を込めるために両手でしっかりと握って目を閉じた。
その瞬間、広場につむじ風が沸き起こった。群衆の中からコウが高く飛び上がり、軽い身のこなしでレイの側に着地すると彼を守るように立ちはだかった。ダグラスとエレンも飛び出し、レイとアレスの鎖を短剣で断ち切った。鎖に付いていたエルミナ石はキラキラと光りながらこぼれ落ちて封印が解かれ、レイの魔力はもの凄い勢いで溢れ出した。
「アレス!」
「陛下!」
レイの魔力を得たアレスは人型に戻り、アレスの力を得たレイは水刃を放って周りにいる兵士たちの弓や槍を真っ二つに破壊した。スパンと切り落とされた槍を見た兵士は震え上がり、ジリジリと下がっていく。
「お前ら何をしておる! さっさと新しい武器を持って奴を攻撃しろ! 弓だ! 弓をひけえ!」
逃げようとした兵士を、魔力を込めた剣で斬りつけるバルディス。それを見て、他の兵士も逃げ始める。
「ハク!」
アイナはレイの元へ駆け寄って行った。
「アイナ、私の後ろへ!」
レイはアイナを庇いながら背後に回した。その後ろをダグラスとエレンが固め、横をアレスとコウがカバーした。
「コウ、風を頼む」
「オッケー」
レイが掌から氷を放出し、コウが風の力でバルディスに向かって吹雪を浴びせ掛けた。
「うわああ。足が凍った。誰か、誰かこれを溶かせ。足が冷たいいい」
下半身が氷漬けになったバルディスは、青い顔をして叫び続けている。コウが揶揄うように言った。
「じゃあ、お望み通り溶かしてやるよ。ほら、アイナ!」
「はい!」
アイナは手のひらに灯した火球をバルディスに向けて投げつけた。だが足を狙ったつもりの球は肩に当たってしまう。
「熱いいい」
「あっ、やっちゃった」
アレスが頭から水を浴びせ掛けて服についた火を消してやった。少なめの頭髪がぺったりと額に張り付く。自慢の衣装は焼け焦げ、たくさんの勲章も炭になったが、火傷まではしていないようだ。
「バルディス。まだやるつもりか」
「く、くそう。お前たち、早くこいつらを捕らえんか! でないと全員死罪だぞ!」
だが、武器も無くなったうえに、氷や風や火の魔術を使う者たちを相手に戦う勇気など、誰も持っていなかった。しかも、このようなみっともない王の為になど。
「バルディス。今回の件は到底水に流すことは出来ない。国交断絶はもちろんだが、各国の首脳にも伝えさせてもらう」
それはカストールの孤立を意味していた。貧しいカストールにとって貿易を断たれることは死も同然だ。
「お待ち下さい、アルトゥーラ王よ。それでは我が国民は飢えて死んでしまいます。どうか寛大な処置をお願いいたします」
カストールの重臣たちが進み出て頭を深々とさげながら言った。
「これだけの不敬をはたらいて、よくもそのようなことが言えるな。私の軍隊も二日後にはこの王都に入るだろう。街を占領し、カストール王家を廃してアルトゥーラに併合することもできるのだ」
「もちろん、この不始末はバルディス王に取らせます。当然、退位させましょう。ですが、カストール王国を残すことだけは認めていただけませんか」
「バルディスはまだ結婚していないだろう。他に王家を継ぐ者がいるのか」
「はい。先々代の王の忘れ形見、シオン様がいらっしゃいます。何度申し上げても王家にはお戻りいただけないのですが、必ずや説得いたします。シオン様は先々代同様、優れた心の方ですので、この愚かな王のようなことには決してなりません。どうか、お許しいただけないでしょうか」
あまりにも虫のいい話である。だがこの年老いた臣下たちは、バルディスを元々認めていなかったのではないか。だからこの機会にカストールを新たに作り替えようとしているのでは、とレイは考えた。
「どのような人物か、話してみないと信用する訳にはいかない。ここに連れて来い」
「わかりました。すぐに馬を出しますので、半日ほどお待ちを――」
その時、一人の男が群衆の中から進み出てきた。
「その必要はない」
「おお、シオン様!」
声の主を見ると、ペガサスを出してくれたシオンであった。
「シオンさん!」
「アイナ、知ってるのか?」
「ええ、さっき、私たちをペガサスに乗せてここまで運んでくれた人よ。とてもいい人だったわ」
シオンはアイナに向かって優しく微笑みかけた。
「お嬢さん、やっぱり探してたのはアルトゥーラ王だったんだな」
「黙っていてごめんなさい。でも、シオンさんも、カストールの王族だったのね」
「もうだいぶ前の話だからな。私の父がバルディスの父に殺された時、私は十歳で何もできなかった。叔父に身分を奪われて身ひとつで追い出され、もう三十歳になった。王宮よりも町で暮らした年月のほうが長いんだ」
「あなたは、カストールを継ぐ意思があるのか」
レイがシオンに尋ねた。シオンは、真っ直ぐレイを見つめ返し、すっとひざまづいて服従の意を見せた。
「このような男に国を任せていたことをまず謝らせて下さい。そしてレイ陛下、もちろんこの度の償いは必ずさせていただきます。ですが、このカストール王国は、私たちの手で再建させて下さい。もう一度、国を立て直していつか貴方に認めていただける国にしたいのです」
レイはしばらく考えていた。そして、威厳を持って答えた。
「わかった。今回は貴方の言葉を信じよう」
「ありがとうございます! 感謝の言葉もございません」
「バルディスの処分は」
「身分剥奪の上、北の塔に収監します。あの男、魔力だけはたくさん持っていて危険ですから。そして裁判の後、恐らく死罪になるでしょう」
「次は無い。二度とこのようなことのないように」
「はい、お任せください。寛大なお心、ありがとうございます」
レイとシオンは固く握手をした。一方、重臣達の命令でバルディスは捕らえられ、エルミナ石の鎖でぐるぐる巻きに縛られて連れて行かれた。
自分たちの王が捕縛されたというのに、広場に集まった民衆はワッと喜びの声を上げていた。誰もが顔を輝かせ、悲惨な時代は終わったと希望を抱いていた。
「さて、カストールの問題はこれで解決だが……アイナ。何でこんな危険な所にいるのかな」
「はい? えーと……ハク、無事で良かった!」
アイナはニッコリ笑って誤魔化そうとしたのだが、レイには通用しなかった。
「私のことはいいんだ。アイナ、君も無事だったから良かったものの、何かあったらどうするんだ!」
レイは真剣に怒った顔をしていた。
「ごめんなさい。でも心配だったから……いてもたってもいられなかったのよ」
「心配かけたのはわかっている……それに、アイナたちがいなければ私は助かっていなかっただろう。ありがとう。でももう……こんな無茶はしないでくれ。アイナがあの場にいるのを見た時、心臓が止まるかと思ったんだから」
レイはアイナをきつく抱きしめた。
「ごめんねハク……でも本当に、良かったわ……」
アイナはホッとしてレイの胸に顔を埋めた。もし間に合わなかったら、二度とこうして抱き合うことはできなかっただろう。二人は、生きて一緒にいられる幸せを噛みしめていた。




