22 黒い龍 2
アルトゥーラ王宮では、帰ってこない主を心配して誰もが眠れない夜を過ごしていた。
翌日の真夜中、日付が変わる頃になってようやくセランからの二度目の早馬が到着した。
「アイナ、馬が来た」
「ええ、聞こえたわ、コウ」
エレンはさっと廊下に出て、宰相の部屋へ向かった。おそらく、少しでも早く情報を得ようと思ったのだろう。
「俺も行ってみる。エレンは中に入れてもらえないかもしれないし」
「お願いね、コウ」
コウは目を瞑ると、小さなつむじ風と共に姿を消した。風に姿を変えて宰相の部屋へ忍んで行くつもりなのだ。
アイナはバルコニーに出た。外の風も強く吹き荒んでいる。嵐でも来るのだろうか、木々がザワザワと音を鳴らして不気味にうごめいている。暗闇でそれらを見ていると、まるでこの世のものではない、死者たちの踊りのようだ。
(ハク、アレス、ダグラス……どうか無事でいて)
ふいに、爽やかな風とともにコウが姿を現した。
「アイナ! 戻ったよ」
「コウ! どうだった? ハクは無事なの?」
「それが……どうやら、敵に捕われたらしい。敵には黒龍がいたんだ。兵士の解放と引き換えにカストール王の所へ来いって」
「ええっ? それでハクは捕われてしまったの?」
「アレスも一緒だ。でも、二人ともなぜか動けなくされていたらしい。魔力が使えないみたいだったって」
「じゃあ二人は……」
「黒龍が背に乗せて飛んで行った」
「どういうことなの? カストール王はハクをどうするつもりなの? どうして黒龍はこんな酷いことを……?」
アイナは大粒の涙をボロボロとこぼしそれ以上何も喋ることができなかった。コウが優しくアイナを抱きしめる。
「ごめんよ、アイナ。黒龍の奴、何を考えてるんだろう。こんなことをするなんて信じられないよ」
「ダグラスは? ダグラスはどうしてるの?」
「ダグラスは向こうの兵士に変装して、潜入したらしいんだ。だから、それが唯一の希望だ」
そこへエレンが戻って来た。
「アイナ様、詳しい状況はわかりませんが、カストールに連れ去られた陛下を助ける為に今、国中の軍を編成し直しているもようです。カート大尉がカストールに潜入したようなので、陛下の行き先は探ることができそうですが」
「カストールに攻め込むってこと?」
「はい。宣戦布告など何もしないままにアルトゥーラを侵略し、陛下を連れ去るなどと国際法にも甚だしく違反する行為。我が国としても全力を挙げてカストールを潰しにかかります。まずはセランに宿営しているカストールの軍を排除。同時にカストール王都に向けて出発する隊も整えるとのことです」
「大きな軍を動かすとなると、すぐには動けないわよね……」
アイナとコウは神妙な顔をして見つめ合っていた。
「アイナ様、助けに行こうなんてお考えではないでしょうね。今のアイナ様の魔術では何の助けにもなりません。それに、コウ様まで敵の手に堕ちてしまったらどうなることか。ご心配はわかりますが、どうか王宮で大人しくなさっていて下さい」
「わかってるわ、エレン。まだ魔術を何ひとつ上手く使えない私だもの。行ったところでどうすることもできないわ。足手まといになるだけだもの」
「それでは、もうお休みになって下さい。眠らないと身体に毒ですよ。新しい情報が入ればお知らせしますので」
「ええ、そうするわ。ありがとう、エレン」
エレンが退室し、部屋は真っ暗になった。バルコニーに出たら、隣の部屋で待機しているエレンは、もしかしたら気づくかもしれない。
「でも、ここでこうしてはいられないわ。行くわよね、コウ」
「もちろん。アレスを助けて、黒龍の奴をぶん殴ってやらなくちゃ」
「とにかく、無事にハクたちを連れて帰りましょう」
二人はそっとバルコニーに出た。アイナは動きやすいパンツスタイルに着替えており、龍の姿に変化したコウに軽々と飛び乗った。
「じゃあ、行きましょう」
コウが空中に浮かび上がった。するとエレンの声がアイナの後ろから聞こえた。
「やっぱり。こんなことだと思いました」
「エレン!」
振り向くと、エレンもいつの間にかコウの背中に乗っている。
「お二人だけでは危なっかしいので私もついていきます。私にはアイナ様を守る役目がありますから」
「ありがとう、エレン……」
もしもこのことが知られたらエレンも処罰されてしまう。それなのに、こうしてついてきてくれた。だから、絶対にハクたちを無事に連れて帰らなければ。
「なぁ、とりあえず、どこへ向かって飛んだらいい?」
コウが振り向いて尋ねた。
「やっぱりカストール王宮よね。王はそこにいるんじゃない?」
「そうですね。夜の間に、行けるところまで行ってしまいましょう。明るくなると、赤い龍は目立ってしまいますから」
三人は強い風の中、真っ直ぐにカストールを目指した。途中、セランの上空も通り過ぎた。軍の駐屯地には中も外も明かりがともり、忙しく人が動いている。
「兵士たちは、本当に解放されたようですね。動く人影が見えます。出発の準備をしているのでしょう」
「ええ、みんな無事で良かった。ハクが守りたかった人たちだもの……」
セランを超えるともうカストール領内だ。しかし、すでに朝がきて明るくなってしまった。
「この街道をずっと行けば、王都に出るはずです。この道を行きましょう」
エレンの提案で、コウは人型になり、昼のうちは歩いて向かうことになった。
「コウ様、髪の毛は隠してくださいね」
「うん。これでどうかな」
不器用なコウはストールを頭にグシャグシャに巻いていた。
「コウ、貸して。巻き直してあげる。……はい、できた」
「ありがと、アイナっち」
「あと、この眼鏡も」
エレンに渡された丸い黒眼鏡をかけると瞳は隠れるが、いかにも怪しい風体になった。
「まあ、金色の目が見えちゃうよりいいわよね」
「でもさあ、そんなに気にしなくてもいいんじゃない? なんかこの辺、人がまったくいないよ」
コウの言う通り、王都に向かう大きな道の割には店も家も少なく、しんとしていた。
途中、市も立っており、覗いてはみたものの商品も少なく活気はなかった。
「王都に行けばもう少し賑やかなのでしょうか」
エレンはまだアルトゥーラから外へ出たことがないらしく、他国の様子をあまり知らない。
「もしかしたらこの国はあまり豊かではないのかも。私、今まであちこち旅をしていろんな国に行ったけど、こんな風に地方が寂しい国はたいてい王都も栄えていないの。貧しい国はあちこちにたくさんあったわ。アルトゥーラが特別なの。本当に大きくて豊かな国なのよ」
「貧しいからこそ、龍とアルトゥーラを奪いたいということでしょうか」
「そうかもしれないわね……でもそんなの、勝手な言い分だわ」
アイナは市の中で一番人の多い屋台に近寄って行った。三人ほど客がいて、朝食をとっているようだ。
「おはよう、おじさん」
「おや、見ない顔だな、姉ちゃん」
アイナはそれには答えず、愛想のいい笑顔を返した。
「ねえ、昨日、空に龍が飛んでるの見なかった?」
「龍だあ? そんなもん、生まれてこのかた見たことないね」
「そちらのおじさんは?」
「ワシも無いなあ。龍なんて伝説じゃないのかい」
「あら、アタシ見たわよ」
一番奥にいた中年の女が答えてくれた。
「最近畑が荒らされることが多くてさ、夜が明ける前から見張りに行ってたのよ。そしたらさ、お日様が登ってしばらくしたら黒いおっきなトカゲみたいなのがさあ、空飛んでたのよ。あれが龍なんじゃないの?」
「それ、それよ! どっちに飛んで行ったの?」
「あっちの方だよ。なんだか不気味な奴だったねえ。昔の言い伝えにさ、黒い龍は死の使いだから見たら死ぬって言われてるんだけど。アタシ、死ぬのかね?」
「大丈夫、それ、迷信だから」
コウが珍しく強い口調で答えた。
「そうかい? なら、いいんだけどね」
「ありがとう、助かったわ」
店を離れ、三人は街道に戻った。
「やはり、王都に向かったようですね」
「ええ。急ぎましょう。私、体力なら自信ある。エレン程じゃないかもしれないけど、早く歩けるわ」
「しんどくなったら俺がおぶってあげるから。エレンちゃんもね」
「私は、大丈夫です。さあ、行きましょう」
目指す王都の方角は険しい山々がそびえ立っていた。あの麓に王都があるのだろう。
暗い、陰鬱な風景ばかりが続く道を三人は急いだ。




