20 突然の別れ
その頃、執務室にいるレイとダグラスの元に辺境のセランより早馬の使者が訪れ、王宮内に緊張が走っていた。
「セランの領主より至急のご報告です。『カストール軍から攻撃されている。至急応援を願いたし』とのことです」
使者は一晩中馬を飛ばしてきたのだろう、疲れ切って青い顔をしている。
「やはり動いたか」
「はい。ただ、気になるのがその攻撃です」
「どういうことだ? 詳しく説明せよ」
ダグラスが使者に問いかけ、彼はゴクリと唾を飲み込むとうわずった声で答えた。
「普通の攻撃ではないのです。アルトゥーラ軍の駐屯地周辺が突然暗闇に包まれ、中にいる兵士は皆、倒れて動かなくなってしまいました。そこへカストール軍が侵入し、セランの国境付近を占拠し始めたのです」
軍の幹部たちがざわめく。武力による攻撃ではなく、兵士が倒れてしまうとはどういうことなのか。しかも昼でも駐屯地のみが闇に飲まれた状態だという。
「……これは……魔術が関係あるのではないか、ダグラス」
「そうですね。そのような超常的な現象は、魔術以外に考えられません」
「魔術で攻撃されるのは初めてだ。アレスやコウの他にも龍がいるのだろうか?」
「アレス様に聞いてみる必要がありますね」
「よし。使者はご苦労だった。奥で休ませてやれ。セラン周辺の領地から軍隊を集め、すぐに派遣する。カストール軍をセランから出してはならん」
レイの指示が飛び、皆がそれぞれの役目を果たしに出て行く。レイは苦々しい気持ちでアレスを呼んだ。
「お呼びですか、陛下」
レイが自分を呼ぶ声に気づいたアレスは、アイナたちと魔術のレッスンをしていた馬場からすぐに飛んできた。
執務室にはダグラスの父、カート宰相とリヴィア大佐もいて、重々しい雰囲気を醸し出している。
「アレス、教えてくれないか。突然辺りが暗闇に包まれて人が倒れるという魔術はあるのか」
アレスの顔色がサッと変わる。温厚で、普段からあまり表情を変えることのないアレスには珍しいことだ。
「……はい。あります。それは、黒龍の能力です」
「黒い龍か。アレスが昔コウと共にいたという龍だな」
「はい。三千年前、洞窟から最初に出て行きました。黒龍には闇を操る力があります。もしも魔力の強い人間と契約すれば、一つの国ごと闇に包み、人々の命を奪うことも可能でしょう」
カート宰相が首を捻って言った。
「それほどまでに強い魔術の使える龍ならば、話に聞くこともあっただろうに。なぜ今まで全く表に出てきていないのか」
アレスも、首を横に振った。
「わかりません。少なくとも私が外に出た千年前から今に至るまで、黒龍の噂を聞いたことはありません。コウのように、封印されていたのではないでしょうか」
「誰かが封印を解いたのだな。その誰かとは、カストール王ではないか」
レイはダグラスに問いかけた。
「私もそう思います。以前、王族の集まる世界会議で見かけたカストール王は、レイ陛下ほどではありませんが、かなりの魔力持ちだと感じました」
「あの時、アレスにも興味津々で、『親から引き継いだ龍の力で国を運営していけるとは、なんと羨ましい』などと嫌味たらしく言っていた。あの男が黒龍と契約を結んだのか」
リヴィア大佐はセランの兵士の様子が気になってたまらない様子だ。
「アレス殿、意識を失った兵士達はどうなりますか。命は大丈夫でしょうか」
「……洞窟にいた頃、黒龍が言っていました。闇の中で命は七日、と。七日経つと、死んでしまうのです」
「兵士達は倒れてから二日経っているな。あと五日か……」
レイは立ち上がって窓の外を見た。
「陛下。まさか」
「ああ。軍を増援するのは日にちがかかる。私ならアレスに乗れば半日で着くのだ。先に出発する」
「しかし、罠かもしれませぬ」
カート宰相は止めようとした。
「だが、残り五日で術を解かねば兵士達はみな命を落としてしまう。死なせる訳にはいかない。アレス、ダグラス、すぐに向かうぞ」
「はい、陛下」
「リヴィア大佐、セランに向かわせた軍の指揮を頼む。これ以上国内に侵入させないよう食止めろ」
「はっ」
「カート宰相。王宮のことは頼んだ。それと、ダグラスを借りるぞ」
「承知致しました。愚息には、陛下を必ずお守りするよう常に言い聞かせております。存分にお使い下さい」
「陛下、アイナ様にはお知らせしたほうが」
ダグラスの進言に、レイは少し考えて言った。
「……一言だけ、交わしてから行こう」
レイはアレスに乗ると、馬場へ向かった。
アイナとコウ、エレンは、まだ馬場にいて護身術の練習をしていた。
「アイナ!」
声に反応した三人は、アレスに乗って空から降りてくるレイとダグラスを見上げた。
「ハク! どうしたの? 何かあったの?」
レイはアレスから飛び降り、アイナを一度ギュッと抱きしめると、両肩を持って身体を離し顔をじっと見つめた。
「アイナ、今からセランへ行ってくる。あちらの情勢が少し悪くなっているんだ。私とアレス、ダグラスで行って解決してくるから、心配しないで待っていてくれ」
いつもの優しい顔と違って真剣な、緊迫した表情が見て取れる。初めてのことにアイナは不安を覚えたが、それを口にするわけにはいかなかった。
「ハク……よっぽどのことがあったのね? どうか、気をつけて。無事に三人とも帰ってくるのを待っているわ」
レイは微かに微笑んで頷いた。
「あと二週間で結婚式だ。それが終わったら、ずっと一緒にいよう」
そう言ってアイナの頬にそっとキスをし、それからエレンたちに声を掛けた。
「コウ、エレン、アイナのことを頼んだぞ」
「お任せください、陛下」
「アイナっちのことは俺が守るよ!」
頷いたレイは再びアレスに飛び乗る。エレンの敬礼にレイとダグラスは目で答え、そのままグンと空高く上っていった。
「ハク、気をつけて――――」
アイナの最後の呼びかけは、レイに聞こえたかどうかは分からなかった。
「エレン。セランって、今そんなに良くないの?」
アイナは震える唇をなんとか抑えようとしながら尋ねた。
「そうですね。国境を挟んで隣接しているカストール国が、これまでになく軍隊を集結させております。セランに侵入しようとしているのではないかと以前から警戒を強めてはいたのですが」
「大丈夫だよ、アイナっち。陛下は魔力が強いし、アレスもいるし。すぐに片付けて帰ってくるさ」
「そうよね。そうだといいわ」
だが次の日になってもレイは帰ってこなかった。




