18 魔術のレッスン
ティナの記憶を取り戻して以降、アイナの魔力はグンと大きくなった。これほどの力を放っておいては暴走する恐れがある。そのため、お妃教育の合間に魔力の制御方法を学ぶことになった。
その初日、ダグラスが一人の女性軍人を連れてアイナの部屋を訪れた。
「アイナ様、今日からアイナ様専属の護衛をお部屋に配置いたします。エレン・マグリッド少尉です」
淡い金色の髪に青い瞳の美しき少尉は、アイナに向かってピシリと敬礼をした。
「初めてお目にかかります。王宮軍所属、エレン・マグリッドです。アイナ様護衛の任務にあたることができて光栄です」
「こちらこそ、よろしくお願いします、エレンさん。あなた、とても背が高いのね」
アイナから見ると、背の高いダグラスと並んでもあまり変わらないように感じる。軍人らしく髪を一つに纏めて制帽をキッチリと被り、身体にフィットした軍服は彼女の脚の長さを際立たせていた。
「エレンは身長だけではなく身体能力も高いんですよ。並の男では負けてしまう。私を含めてね」
「何を寝惚けたことおっしゃってるんですか、王宮軍主催の武術大会で毎年優勝してる人が。逆に嫌味ですよ」
エレンはツンと顔を背けた。ダグラスは意に介さぬ様子で微かに笑みを浮かべながら説明を続ける。
「アイナ様には、これから魔力の制御方法を身につけていただきます。エレンは優秀な指導者ですので、すぐにマスターできるでしょう」
「俺は? ダグラス、俺は何してたらいいの?」
何やら楽しそうだと思ったのか、コウがワクワクした顔で割り込んできた。ダグラスはフッと口の端を意地悪そうに上げて、でも口調は優しげに言った。
「コウ様は、アレス様が王族に仕える際の心得を教える、と張り切っていますよ」
するとコウは眉間に皺を寄せて思い切りふくれ面をした。
「えー! 嫌だー! 俺も可愛い子に教えてもらいたい!」
「だめです、コウ」
いつの間にかアレスがコウの後ろに立っていた。笑顔だけれど目が笑っていない。
「さ、行きますよ。まずは神殿から」
「えーー、アイナーー! エレンちゃーーん!」
コウはアレスに首根っこを掴まれて引きずられて行く。ダグラスはそれを楽しそうに見やると、恭しく礼をした。
「ではアイナ様、私はこれで失礼いたします」
ダグラスが退室した後、エレンによる魔術のレッスンが始まった。
「まずは、身体をリラックスさせます。目を瞑って、身体全体を魔力というもう一枚の皮膚で覆っているとイメージしてみて下さい」
アイナは言われた通り、身体中に薄くて見えないベールを纏うように想像してみた。
「はい。こう……ですか?」
「お上手ですよ。そうしたら、その皮膚をもう少し分厚くするようイメージして下さい。そうです。それから、その分厚い皮膚を、硬くする……はい、いい感じです。まずはこれが基本で、身体を守る形です」
なんとか、エレンに言われた通りにできているとは思う。しかし、集中が続かなくてやり直しになったりして、ものすごく時間がかかるのだが大丈夫なのだろうか。
「最初は時間がかかるものです。これを、一瞬のうちにできるようになるのが目標です」
アイナはうっすらと魔力を纏っている自分の手のひらを見た。今、この手のひらは守られている状態ということだ。
「魔力を纏っている時は、叩かれても痛くないのかしら?」
「痛くないことはありません。皮膚に傷が入りにくくなるだけなのです。かすり傷は負わなくなります」
「ふうん。でもかすり傷って地味に嫌だものね」
大きな切り傷も痛いけれど、小さい傷や擦り傷だって十分痛いものだ。それがなくなるのは嬉しいかもしれない。
「もう少し練習したら、もっと分厚い膜にできるようになりますよ。アイナ様は魔力が多いですからね。魔力が少ないと、そもそも厚くできません。厚さが増すほど、痛みを感じにくくなります」
「これ、気を抜いたらどうなるの? 少し疲れてきたんだけど」
「では力を抜いてリラックスしてみて下さい。ほら、無くなりました」
集中をやめると、風船が弾けた時のように身体の周りで何かがパチンと切れて消えていった。
「ホントね。大変だなぁ」
リラックスした途端に防御できなくなってしまうなんて、一瞬たりとも気が抜けない。思わず天を仰いでため息をつく。
エレンはそんなアイナを見てふふっと微笑んだ。
「アイナ様、私を見て下さい。身体中に薄く、膜を張ってるのが見えませんか?」
目を凝らしてみると、確かにエレンはうっすらと魔力を纏っている。
「……ほんとだ。うすーく、光ってる。こんな風に見えるのね?」
「魔力がある者は、相手の魔力も見ることができますからね。王宮軍には魔力のある者が多く入ってきますが、最初に訓練するのが、この膜を瞬時に張ること。そして、それを常に持続することです。慣れれば、意識せずとも持続できるようになるのです」
「これができるようになったら次は?」
「次は、攻撃を受けた時に、膜をそこに集中させる訓練です。例えば、剣で斬られそうになった時。その部分だけに膜を集中させて、刃が身体に入るのを防ぐのです。これができるようになると、相手の攻撃のダメージを受けにくくなります」
「ええ! それは凄いわね。剣に斬られなくなるの?」
「はい。ただ、そこまで強い膜を張れるのは魔力の多い王族と、軍の中でもほんの一部の者です。レイ陛下はもちろんですが、例えばカート大尉とか」
「ダグラスってやっぱり凄いのね。頭も切れるし」
エレンは微笑んだが、アイナにはその微笑みが嬉しそうに見えた。
「そうですね。大尉は魔力の多い家系に生まれながら、日々の努力も怠りません。それに、クーデター後の軍を立て直すのにかなり貢献されましたので、上司からも部下からも信頼されています」
エレンは、自分をじっと見ているアイナの視線に気がつき、慌てて言った。
「すみません、お喋りが過ぎました。では次の訓練を」
「はーい」
アイナは、ニコニコして練習に戻った。
☆☆☆☆☆
「アイナ、魔術のレッスンはどうだった?」
休憩時間にやってきたレイが心配そうに聞いた。
「とても楽しかったわ。エレンはとっても優しいし可愛い人ね。歳も近いし仲良くなれそう」
「それは良かった。エレンは本当に優秀だからな、教え方も上手いだろう」
「ええ。だいぶ早く防御の膜が張れるようになったのよ。あとは毎日少しずつ自主練していくわ。明日からは、護身術を教えてもらうの」
「本当は、王妃にそんなこと教える必要はないんだが、せっかく魔力を持っているのだし自分の身を守れるに越したことはないからな。大変だと思うけど頑張ってくれ」
「あら大変じゃないわ、大丈夫よ、ハク。もう二ヶ月も、ずっと部屋で大人しくしていたから身体がかなり鈍ってるの。護身術が終わったら攻撃魔術を教えてもらえるらしいから、すごくワクワクしてるわ」
「そうだな。まずは基本の護身術、それから攻撃力を高めるのが基本だからな」
「上手になったら、ハクにも手合わせしてもらおうかな」
「おっ、言ったな? 私はダグラスほどではないが結構強いぞ」
二人は楽しげに笑い合った。結婚を間近に控えた幸せな二人の幸せなひとときだった。